為替相場に関する報道の嘘を暴け

 7月に鮮明化した欧米の債務問題を受けて円高が急速に進行した。このことそのものは事実だとしても、しかしその現象に対して、やれ投機的な売買をなんとかしろとか、やれファンダメンタルズを反映していないとか、そのような報道は多いわけだが、彼らはいったい何を言っているのだろうか? もちろん為替の急激な変動そのものは大いに問題である。しかし、何故そうなるのかということは正確に把握しなければならない。にもかかかわらず、余りにもいい加減な報道が多過ぎる。

 そもそも、為替の取引は本質的に投機的だし、したがって本質的にファンダメンタルズなど反映していない。為替とは、そういうものなのだ。いいとか悪いとかではなく、事実としてそうなのである。事実を正確に解ってないと、対策もへったくれもあったものではない。日本の財務官僚の頭が杓子定規であるのは誰もが知っていることであり、そして大手メディアの姿勢といえば関係当局から得た情報の垂れ流し報道に過ぎないわけだが、しかし民間の主要金融機関のエコノミストまでが紋切り型の解釈を披露するだけ、という事態は困ったものである。

 そのなかにあって、JPモルガン・チェースの佐々木融氏と、DIAMアセットマネジメントの小出晃三氏は信頼するに足る存在である。そもそも、為替とはどのように動くのか? 佐々木氏は明解に断言する。「為替は別にファンダメンタルズを反映するものでもなんでもありません」と。では、実際のところ為替はどのような論理で動くのかというと、佐々木氏によれば次の通りになる。

 「世界経済が好景気で沸いている場合、人々はリスクをとって盛んに投資に出る。しかし現代における成長市場は何よりも新興国であり、一方で大量の資金は日米欧にある。という訳で、好景気においては、儲けを求めて日米欧から新興国へと大量の資金が動くため、自動的にドルや円やユーロを売って、新興国の通貨へと流れるようになる。よって、好景気においては、ドルも円もユーロもいずれも安くなる」。
 
 「ところが、世界的に景気が危うくなると、人々はリスクを恐れて投資を控え、資金を手もとに戻し始める。その結果、外に出て行っていたカネはドルや円やユーロへと戻ってくる。こうして、景気のよくないときは、新興国の通貨が下落し、相体的にドルも円もユーロもいずれも高くなる。このように、為替とは、日米欧それぞれのファンダメンタルズなど関係なく、世界経済における資金の規模の大きさと資本主義の成熟の度合いから、必然的にそうなるのだ」。

 なるほど、と思わせる説明である。実際、サブプライム問題が顕在化する以前の状況を考えれば、これは非常によく理解出来ることである。世界が好景気にあった当時、円は対ドルで120〜110円近辺で推移していた。円安である。しかし、実はこのときドルも安かったのだ。一方で、韓国ウォンなどは世界的な好況と連動して高かった。そしてリーマンショック以降どうなったかというと、日本は、鉱工業生産その他が大幅に落ち込み、派遣切りや新卒の就職浪人が大量発生するなど深刻な不況となったわけだが、それと共に円はドンドン高くなって行ったのである。リーマンショックの影響は世界的なものだったが、しかし日本の落ち込みようは突き抜けてひどく、G7のなかでもダントツの最下位だった。にもかかわらず、円は他のどの通貨よりも急速に値を上げたのである。このように、為替がファンダメンタルズなど、なんら反映していないことは明らかだ。

 このことはまた、世界経済の低迷期においてよく言われる、安全資産として円が買われる、ということでもない。文字通り、外に出て行っていたカネが円に戻ってくるというだけの話である。

 要するに、日本は大企業や富裕層を中心に莫大な金融資産を持っているが、しかし国内はデフレや少子化で投資案件に乏しい。一方で世界経済そのものは大変に好況である。という訳で、大量のカネが日本国内から海外へと流れていった。しかしリーマンショックでどこも不況になったため、海外へ投資していた資金を一斉に手もとへ引き上げた。だから、国内の景気は最悪であったにもかかわらず、物凄いスピードで円高が進んだのだ。

 しかし、それではこの夏、主要先進国のなかで、円は高くなったのに対して、何故ドルは安くなったかというと、これは小出氏の説明が解り易い。

 「為替を左右する大きな要素は、経常収支と金利である。日米は、金利面では共に超低金利という点で共通しているが、経常収支に関しては真逆である。アメリカは恒常的に経常収支が赤字であるのに対し、日本は恒常的に黒字である」。

 「という訳で、アメリカはただでさえ経常収支が赤字で(それも大幅に赤字)であるうえに、不動産バブル崩壊の後遺症が長引いて金利を上げるに上げられない状態だ。世界的な経済の停滞期において、このような国の通貨が買われるわけがない」。

 つまり、借金だらけのうえに金利が思い切り低い国の通貨なんか持ってたってしょうがないわけで、それによりドル売りが進み、円に対してドルは値を下げたというわけだ。よくよく考えれば、いたって当たり前の話である。こうして、為替相場とは、あくまでも通貨独自の論理で動いていることがよく解る。

 そしてまた、これら一連のことは、必然的に次のことを意味する。要するに、人々は別によその国の何それに実際的な需要があってカネを出すのではなく、単に儲かると思うから投資をしているに過ぎない。だから、危ないと思えばたちどころに資金を手もとに戻すわけである。という訳で、為替の取引というのは、なんら実需に基づいていないわけであり、したがって本質的に投機的なものである、ということだ。

 このことは、そもそも通貨とは何なのか、ということを考えればより明らかになる。

 そもそも通貨とは何かというと、通貨そのものに価値があるわけではない。価値があるのは商品やサービスの方である。通貨とは、それらを購入するための交換手段であり、且つ、価格という形態を通して商品やサービスの社会的な価値を表現するものである。

 という訳で、通貨そのものに需要があるわけではなく、実需があるのはその通貨を通じて購入出来る商品やサービスの方なわけだが、しかし現代においては、商品やサービスをめぐって動く実体経済のカネよりも、金融市場でウロウロ動き回っているカネの方がはるかに多くなっており、まるでカネがカネを生むような、つまり通貨そのものに価値があるかのような様相を呈しているが、しかしだからといって通貨の本質が変化したわけでは決してない。価値があるのは、あくまでも商品やサービスの方である。

 奇怪なのは、商品やサービスとの交換手段であり、価格という形態を通してその社会的な価値を表示するに過ぎない通貨そのものが、商品となり市場において売買されるということにある。しかし、だからこそ、為替相場とはそういうものなのだ。

 ちなみに、9月になると今度はユーロが急落したが、しかしこれはあまりにも解り易い。ギリシャの問題が深刻化し、それによりギリシャ国債保有する金融機関が危機に直面した。このままでは金融機関の保有する国債不良債権になりかねないどころか、下手をするとEU発の金融危機さえ起きかねない状況になった。また実体経済も、債務問題で苦しむ各国が軒並み増税と歳出削減に走れば、それを受けてユーロ圏全体の景気の低迷は避けられない。となれば、ECB(ヨーロッパ中央銀行)は金利を下げるなどの対策に乗り出さざるをえなくなる。ユーロの急落は、これらの負の連鎖を受けてのものである。

 しかし、ここで再度確認しておくべきは、実体経済が駄目になるだけなら通貨が下がるとは限らない、ということである。今回のユーロの急落も、金融危機へ発展しかねないという不安感と、金利の低下懸念などがあってのものである。現在のファンダメンタルズを反映したものではない。為替も金融である以上、つまるところ、将来どうなるか? という観点から相場が動いているのであり、そして為替相場における一日の取引量は約4兆ドル(現在のレートに換算すると約300兆円)にのぼる。これだけ大量のカネが1日で動く以上、何らかの臆測から市場が疑心暗鬼に駆られたら、それだけで一気にダーッと流れてしまう危険性を、為替というのは本質的に孕んでいるのだ。
 
 別の言葉で言えば、為替相場に参加しているプレイヤーというのは、賭け(ギャンブル)をしているのである。何度でも繰り返すが、通貨そのものに需要があるのではない。彼らは、儲かると思うから投資をしているに過ぎない。そうである以上、つまり賭けである以上、競馬ファンが熱心にデータを集めるように、為替相場に集うプレイヤーたちもあっちこっちから様々な情報を仕入れている。そしてそこから生まれる先行き予想のアベレージがレートとなって表れているに過ぎない。だから為替も、ときに妙な方向へと必要以上に大きく振れることがある、ということは覚えておくべきである。

 何が言いたいかというと、レートというのは、為替という賭場に集まった個々のギャンブラーの将来予想の集合値に過ぎず、しかもそのなかには、ひょっとしたら近い将来こういうことが起きるかもしれない、もしもそんな事態になったら大変だから今のうちにこう対処しておこう、という動きも含んでいるということだ。つまり為替のレートは、現実に起きるかどうか解らないことも織り込んだうえで形成されているのである。ところがメディアは、単にレートとなって表れる数字だけを見て「だから経済は今こうなっております、大変深刻な状況です」と報じる。実際、この夏ドルが急落したときも、7月から8月初旬にかけての債務上限をめぐる米議会のゴタゴタと、同じく7月に起こったダウ工業平均株価の連日の下落、更に8月に入ってなされた米国債の格下げと絡めて、「もうアメリカは駄目なんじゃないか、アメリカ経済の現状は極めて深刻だ」、とメディアは大騒ぎだったが、しかし9月になってみると、あの夏の大騒ぎはいったい何だったのか? というくらいアメリカ経済をめぐる模様は穏やかである。

 もちろん、不動産バブル崩壊を受けて、そのバランスシート調整に手間取るアメリカは、今後ジワジワと経済的に停滞していくだろうことは間違いないところだが、しかしそんなことは今回のドルの急落が起きる前から解りきっていることであり、今更騒ぎ立てるようなものではない。にもかかわらず、メディアはあまりにも為替相場に踊らされ過ぎる。為替とは、実体経済とはまったく異なる論理で各プレイヤーが儲けを求めて試行錯誤している場所である。そして各プレイヤーは、それぞれがお互いに多大な情報を集めている故に、ときに相場はエモーショナルな要因で一定方向に大きく振れる場合がある。ところが、メディアはそのことをまったく認識していない。

 将来起きるかもしれないことも織り込んだうえで形成されているレートは、そういうものとして捉えるべきなのだ。だからこそ、為替がファンダメンタルズを反映していないなどという批判はお門違いも度が過ぎるのである。EU発の金融危機は、ひょっとしたら起きるかもしれないが、現在においては起きていない。しかし相場は、それが起きるかもしれないという可能性を踏まえて形成されている。何度でも言うが、為替とは、そういうものなのだ。

 ちなみに、新興国の通貨へと投資していた欧米の人間が、世界経済の先行きの不安を受けて、新興国も近頃危ない、だから投資していた資金を手もとに戻そうとしたが、しかし自国通貨の値が下がる一方なので、そこに戻してはせっかく資産を増やそうと思い投資したのに逆に減ってしまう、で、仕方ないから手もとに戻すのではなく円を買う、という行動に出ることがあるが、しかし、このような外国人投資家によるリスク回避の円買いにしても、別に安全資産として円を買っているわけではないのだ。そうではなく、このことの本質は、資産として円を買うのではなく、円を買うことによって資産そのものを宙吊りにするのである。

 どういうことかというと、他国の通貨なんて持ってたって何にもならないのだ。別に円で物を買うわけでもなく、また円建ての投資案件にカネを出すのでもなければ、よその国の人間が円なんか持ってたってしょうがないのである。これまた何度でも繰り返すが、為替相場に参加するものは、儲けようとして取引に参加するのである。損失を出したくないというのなら、為替の取引そのものに参加しないことの方が、円を買うよりもよほど安全である。

 しかし、一旦為替の取引に参加してしまった場合、先行きがあやしいから手を引こうと思っても、自国通貨が安いとそこに戻したら損失を出してしまうので戻すに戻せない。つまり、資産が減ってしまう。それはイヤなので、とりあえず値を下げそうにない円に一旦まわしておき、しばらくの間そこで休ませておく。そうして、その間に次の運用先を考える。これが、資産の宙吊りという意味である。

 先行き不安を受けて、どこの通貨もあやしいというとき、各プレイヤーは、為替の相場からいったん降りたいのだ。しかし降りるに降りられない。かといって株なんてもっと危ない。そこで、一旦円にまわして、資産を宙吊りにしておくのだ。主要先進国で経常収支も黒字だし、おまけに超低金利とはいいながらデフレのため実質金利もプラスということで、円はこういうときには極めて便利ということになる。しかし、あくまでもそういうことであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 要は、儲けを得ようと攻めに出るか、資産を守るための防衛か、投資家は、おのずとそのどちらかのポジションをとるというわけである。そして、そのどちらのポジションをとるにしろ、動機となっているのは投機的な理由である。

 ましてや、ヘッジファンドがおこなう売買が、本質的に投機的どころか思い切り投機的であることは周知の通りである。にもかかわらず、為替に関してはあまりにもおかしな報道が多過ぎる。やれ投機的な売買をなんとかしろだの、やれファンダメンタルズを反映していないだの、このような報道がやたら多いわけだが、しかし、それを言うなら、世界が好景気の只中にあった2007年以前の円安だって、投機的な取引の結果なのである。好景気においては各プレイヤーはこぞって攻めに出るから、成長市場の新興国へと大量にカネが流れてゆき、その結果として円はバブル的な安さで推移したのだ。この点をちゃんと報道しないのは、明らかにフェアではない。

 とはいえ、もちろん市場に歪みはある。だが、それはひとえに為替市場の歴史の浅さに原因がある。というのも、為替が固定相場制から変動相場制へと移行してから、たかだか40年しか経っていない。しかも冷戦構造が崩壊するまでは、日米欧が殆ど世界の富を独占している状態だった。それどころか、中国をはじめとした旧共産主義国や旧植民地、つまり新興国が世界経済のプレイヤーとして重要な役割を担うようになったのは、21世紀に入ってからのことである。一方で、EUが統一通貨ユーロを本格的にスタートさせるのも、同様に21世紀に入ってからである。しかしそのとき、世界経済はアメリカが不動産バブルに沸いて、その影響からとにかくみんな行け行けドンドンで各国が軒並み突っ走るといういささか異常な状態だった。このような状況のなかで、相場が適正な価格で動くわけがない。そしてその後、リーマンショックによる不況が世界全体を包み、ようやくそこから抜け出したと思ったら、今度は欧米の債務危機が待っていたわけである。

 つまり、新興国の台頭とユーロの本格導入という現代的な要素が出揃って以降、世界経済がまともな状態で安定的に進んだことは一度もないのだ。だから、現代的な経済の力関係上、どのような為替レートが適正か、実は誰にも解らないのである。

 という訳で、為替をめぐり現在起こっている動きは、このような過程を経てようやく落ち着くところを目指して右往左往しながらも進んでいる、というのが正直なところなのである。だから、暫くはまだ当分混乱が続くと見るべきだ。

 現在の為替市場を自動車にたとえると、かつては日米欧という三つのタイヤから成る古典的なオート三輪で走っていたところ、21世紀に入って新興国という四つ目のタイヤが加わり、ようやく四輪の普通車となって運転を開始した。ところが、そうしたら調子に乗ってあまりにもスピードを出し過ぎてしまい、それによりアメリカという名のタイヤが突然パンクして破裂してしまった。で、このタイヤの担当メカニックであるサブプライム君をクビにしたうえで、とりあえずパンクは直したのだがこれがどうにも不安定、しかしそうこうするうちに、今度はユーロという名のタイヤが急激にすり減ってきて、そのため緊急の応急処置が必要となった。このままでは、事故が起きるのはほぼ確実である。しかし、残念ながら新興国というタイヤはいかんせん新品のためまだ十分クルマにフィットしておらず、それにより、ドライバーはとりあえず円を頼りにおっかなびっくり走行を続けているという状態である。

 つまり、混乱するのはそもそも当たり前なのだ。為替相場のなかを進むというのは、暗闇のもとで綱渡りをしながら、降りるに降りられない世界なのである。

 わけても、とりわけヘッジファンドは危険な存在であり、これに対する注意は怠ってはならないが、しかし為替においては事前の予防をするというのが極めて難しい。

 だから、どちらにしろ、暫くの間は混乱が続くだろう。

 ところで、ここ数年来、円高が進むたびに企業の側から「とにかく円高をなんとかしてくれ!」という悲鳴にも似た声が上がっていると盛んに報道されるが、これもまたおかしいのである。というのも、第一に、為替のレートに関しては対ドルや対ユーロばかり取りあげられるが、重要なのはアジアや南米など世界各国の通貨との総合的な関係、及びそれに物価の変動などを含めた実質実効レートであること。そして第二に、各企業の各部門が実際に競争しているのは、どの国の企業なのか、ということだ。

 たとえば、日本の各企業にとって薄型テレビの競争相手は韓国のサムスンやLGであり、液晶パネルの場合は韓国勢にプラスして台湾の企業である。という訳で、これらの製品を中国や東南アジアに輸出する際、円が対ドルで高いか安いかというのは大して問題ではなく、企業の担当部にとっては、韓国ウォンとのレートこそ何より重要となる。そしてリーマンショック以降、円はウォンに対して、一貫して円高基調である。

 だいたい、既に言ったように、世界経済の先行きが危うくなると、経常収支が恒常的に黒字である主要先進国の通貨が上がるのは必然なのだ。となると、どうやったって円は上がることになる。そしてこれまで盛んに海外で物を売り、更にその儲けを海外に再投資して金利配当までがっぽり手に入れ、そうして数十年に渡って延々と外貨を稼ぎまくってきたのは他ならぬ当の日本企業である。

 そして、経常収支が恒常的に黒字であるというのはどういうことかというと、外貨を稼ぐだけ稼いでおきながらそのカネを使っていない、言い換えれば、カネの使い方を知らないバカ、という見方も出来る。

 日本の各企業は、稼いだカネを内部留保として後生大事に抱え込んでいるばかりで、設備投資や新規採用などに、つまり賃金にまわしていない。しかしそれでは、社会全体の購買力は落ちる一方であり、内需は先細りするだけである。そして内需が駄目となると、頼みは外需ということになり、それまで以上に輸出に精を出すわけだが、そこで経常収支の黒字を積み重ねると、積み重ねた分だけ、それが新たな円高の材料となって企業を圧迫する。で、危ないから儲けはとりあえず内部留保としてとっておこうということになり、そうして更なるコストカットにより益々賃金は下がり、全体の購買力は落ち、内需はより一層先細りし、それを受けて今まで以上に輸出に精を出し、しかしそれが更なる円高を招き……、という悪循環に嵌まり込むことになる。

 という訳で、現状の産業構造のままでは、もはや立ちいかなくなっているのだ。真の問題はここにある。とにかく、産業のあり方が変わらない限り、日本は永遠に悪循環に嵌り込んだままである。これを打開するには、行政指導と規制でがんじがらめの状況を根本的に変革し、新たな産業が続々と育つ以外に道はない。

 とはいえ、それだけでは真の変革とはいかないのだが、しかし既得権益層に依存しているままでは本質的な変化もへったくれもあったものではない。新たな産業を創出し、そうして今までにない職を生み出してゆくことは不可欠である。

 ちなみに、行政指導と規制でがんじがらめの産業の最たるものといえば、もちろんエネルギー産業である。

 そもそも、日本の電気料金は他の先進国に較べて2〜3倍高い。何故かというと答えは単純で、誰もが知るように、地域独占だからである。地域独占のため、各電力会社は競争相手がまったくいない状態で商売をしている。そのため、経営のスリム化も、顧客サービス向上の努力も、とにかく一切やっていない。

 しかし、どれだけ料金が割高であろうと、我々はそれぞれの地域内にある電力会社から電気を買わざるをえない。だが、電力が自由化され、市場における競争のなかでコストダウンが実現し、電気料金が下がれば、市民はそれまで電力会社に払っていた分を他の消費にまわせるし、企業の方でも賃金カットや資産の売却などを一切せずに経費を節減出来る。とりわけ、中小企業にとって電気料金の大幅値下げは相当な恩恵があるだろう。そして、日本の企業の九割は中小企業である。

 だいたい、円高は大企業以上に中小企業を圧迫し、過剰な円高圧力で日本の中小企業は思い切り苦境に立たされている、とメディアは報じるが、しかし中小企業を圧迫しているといえば、国際基準をはるかに超えて割高な電気料金も相当に中小企業を圧迫している。いまや日本の企業にとって最大の競争相手は韓国の企業だが、日韓両国の産業用電気料金を較べると、日本のそれは韓国よりも2.7倍も高い。無論、アメリカなどと較べても格段に高いことは既に述べた通りである。

 もっとも、大手の総合電機メーカーなどはプラントの建設や発電所内部で使う精密機器などを電力会社から受注することによって逆に利益を得ているわけだが(これがまた、地域独占のため各電力会社はやたらバカ高い金額で買うのである。そしてそのコストはもちろん電気料金に上乗せされる)、しかし中小企業にとっては話は別で、これだけ電気料金が割高な状態で成長著しい新興国企業との戦いを強いられることは、中小企業にとって相当な重しである。

 そもそも、原発といえば、「原発は安い!」というのがこれまでの謳い文句の重要な項目だったわけだが、しかし福島の事故が発生して以降、あちこちの学者が試算を出しているように、原発は高いのである。一方、自然エネルギーはこれまで物凄く高いとされてきたわけだが、ところがこれも嘘で、言われていたよりはずっと安い。とはいえ、もちろん現時点では天然ガスなどより高いが、しかし環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏などが言うように、自然エネルギーというのは、かつての携帯電話などと同様、はじめは高くても、普及すればするほど安くなるものである。この他にも、MDやパソコンなど普及することにより格段に値段が下がった例は枚挙にいとまがない。だから、自然エネルギーも将来的には間違いなく安くなる。

 そして実は、日本ほど自然エネルギーに適したところも他にないのである。まず第一に、日本は周囲をぐるりと海に囲まれている。当たり前だが、内陸部よりも沿岸や沖合の方が風は強い。よって、日本列島は風力発電にもってこいである。第二に、日本は世界的にも極めて稀なほど河川が豊富にある。そのため、農業用水その他を使っての小規模水力発電が日本中ほぼどこででも出来る。第三に、日本は火山大国である。地下には熱が幾らでもある。だから温泉の宝庫なわけだが、そうである以上、これほど地熱発電に適した土地はない。第四に、黒潮である。四国の南から房総半島の東に向けて流れる黒潮のパワーはおそろしく強力である。この黒潮の流れるルートに発電の機械を設置すると、それだけで大量の電気を作り出すことが可能だ。

 一方、太陽光パネルは中国のメーカーが既に相当先行している状態だが、しかしこの技術はまだまだ発展途上である。というのも、パネルが摂取した太陽光をどれだけ電力に変換出来るかを示す変換効率や、年間の実発電量は、現在のところ大したことはなく、たとえば変換効率は現在市場に出回っている製品の場合、概ね10パーセント代前半である注1。しかしイノベーションによって変換効率や実発電量を革新的に伸ばすことに成功すれば、たちまち巨大ビジネスとなり、社会において大きな存在となるだろう。

 とはいえ、単純に職という面で考えた場合、実のところ、世界が本気で自然エネルギーに向かい次々に成果を出していったらどうなるかというと、必然的に価格競争に行く着くのであり、となれば、発電のための製品の生産は、確実に人件費の安い外国かロボットになる。しかし、その一方で、先進国においても、ドイツのフライブルクスウェーデンのマルメなどのように、地域が主体となって自然エネルギーを核とした環境政策を強力に推進した結果、街が思い切り活性化したという例がごく当たり前のようにあるわけで注2、だから自然エネルギーが国内の職を大幅に増やせるかどうかは、これはもうやってみなければ解らない。だが、それでも発送電の分離と電力自由化はなされなければならない。そうでなければいつまで経っても日本の電力業界の硬直的なありようは変わらないままであり、また世界の主要国が自然エネルギーに大きく舵を切ったというのも、今後どうやったって変えようのない趨勢である注3

 無論、原発は危ないというのは言うまでもない。放射性物質は、いったん原子炉の外に出てしまえば、それによる汚染は途方もない年月に及ぶ。原発の安全性を担保出来る指標など何もない。ストレステストなどは何の役にも立たない。銀行に対するストレステストでさえ、いざ危機が起こるとまるで無力だったのである。7月にユーロ圏の銀行に対するストレステストの結果が公表されたが、しかしその後の危機により、人間がおこなう金融取引のストレステストでさえ、想定を超える危機の前にはまるで無効であることがはっきりしたのだ。ましてや天災を相手にする原発のストレステストなんて安全性が担保出来る筈もない。ストレステストなどというものは、地域独占を利用して儲けようという原子力村が仕掛けるまやかしである。

 そもそも、大手メディアではまったく言及されていないが、1939年にアメリカとの戦争に向けて国家総動員体制が敷かれるまでは、日本も電力は完全に自由化されていたのである。統制による電力供給というのは、あくまでも総力戦のための一時的な処置に過ぎないものだった。ところが、それがどういう訳か戦後になり、憲法まで変わっても、電力はかつての自由化状態に戻ることなく、今に至ってしまったのである(ちなみに、電力をめぐるこの間の経緯は、ダイヤモンド社論説委員の坪井賢一氏が同社のウェブ・マガジンで展開するコラム「逆引き日本経済史」に詳しいので、興味のある方は是非とも読まれるべきである)。

 ともかく、電力の自由化、電気料金の大幅な値下げ、将来の自然エネルギーの大規模な導入は、何としてもおこなわれなければならないことだが、しかしそれが大きな職を生み、一部で言われているように新たな日本の基幹産業として非正規や貧困の是正に大きく寄与するかどうかは解らない(間接的な好循環作用がいくらでもあるのはもちろんである。その効果は計り知れないほど大きい。しかし、それについて論じるのはまたの機会いをもちたい。これは社会そのものを根本的に変える力を持つ。それほどに効果は大きいのだ)。

 そして、新たな産業を担うのは、他にも幾らでもあるだろう。あまりにも行政指導や規制でがんじがらめになっているだけで、可能性のある分野は幾らでも存在する。

 だいたい、国家主導によりおこなう政策は民間の足を引っ張るだけである。経済に関して、国家が策定する将来見込みなど当たったためしがない。たとえば、二輪から出発したホンダが自動車で成功するなど、官僚たちはまったく思っていなかった。だからホンダが自動車事業へ打って出るとなったとき、当時通産省は猛烈に反対した注4。ところがホンダは通産省の指導を思い切り無視し、結果、ホンダは大成功したどころか、F1においては完全に世界の頂点に君臨した。そして、このような例も他に幾らでもあるのであって、そもそもソニーウォークマン任天堂のゲーム機も、世界であんなに売れるとは誰も思っていなかったのであり、それは漫画やアニメやファッション業界にしても同様である。

 更に、80年代の日米貿易摩擦を受けて、牛肉・オレンジ自由化問題が議論されたが、これに関して当時政治家や官僚たちは、揃いも揃って、アメリカからそんなものを日本に輸入したら日本の牛肉やオレンジの農家は全滅すると連呼した。そして大手メディアもこのような言説に全面的に乗った。しかし、結果はどうなったかというと、その後これらは品質が格段に向上し、ものによっては80年代よりも逆に生産量を上げており、それどころか、「日本の果物って凄く美味しいよね」ということで輸出までされるようになったのである。

 つまり、ハイテクから文化・芸術産業から農業にいたるまで、政治家や中央省庁の言ってきたことは悉くはずれ続けてきたわけである。だいたい、これらの者たちが策定する政策は、根本的に利権と共にある。そうして補助金交付金を通して、価値ある担い手となりえる存在を、利権の泥沼へと抱き込もうとする。という訳で、国家による経済政策も、国家による成長戦略も、いらないのだ。そんなものは民間の足手まといになるだけである。
 
 重要なのは、本当に意欲とヴィジョンを持っている事業者、及びこれから事業を興したいと考えている人に対して、どれだけ必要な資金がまわるかどうかにある。したがって、当面のところ、最大の鍵は金融が握っている。金融が、本当に民主的且つ、自由主義的に機能すれば、新たな事業は幾らでも育つだろう。また、現にある中小企業のなかにも、困難を突破して成長軌道へと進んでいけるところが幾らでも出てくるだろう。

 しかし、現状を見ると、半ば絶望的にならざるをえない状況である。というのも、行政指導と規制でがんじがらめの産業といえば、そもそも銀行がそうだった。かつて大蔵省から「箸の上げ下ろしまで」と言われたほど過剰な行政指導を受けてきた大手銀行は、いまもって無能をさらけ出している。彼らは既存企業との株の持合いと国債の購入以外に能がない。

 更に、あのおそろしく中途半端な原発の賠償スキームも、河野太郎氏や『週刊ダイヤモンド』などが指摘するように、銀行の旺盛なロビー活動によって出来たものである。だいたい、財務省が毎年大量に発行している国債をせっせと買っている、政府の一番のお得意様は銀行である。かくして、電力会社が政治と思い切り凭れ合っているように、銀行も政治と凭れ合っている。

 自由主義とは、誰もが自由に行き交い、そうして誰とでも自由に物やサービスを交換出来ることであって、既得権におもねって新しい動きを阻害することにあるのではない。しかし、地域独占という統制的なありようの側に立つ日本の大手銀行は、新たな社会形成のための露骨な阻害要因である。既存企業と株を持合い、国債の購入にいそしむ彼らは、新たな価値の創造などまったく眼中にはない。

 ともかく、円高が進むたびにメディアは、日本はものづくりと輸出でもっているのであり、それが円高によって脅かされると盛んに煽りたてるわけだが、しかし明らかなのは、これらの報道をする者たちは、つまるところ、市民の生活の改善も、内需の活性化も、新たな産業の育成も、一切頭になく、完全に官僚の提灯持ちになっている、ということだ。そしてその官僚は、銀行や経団連と癒着している。
 
 しかし、既に言ったように、企業がどれだけ外貨を稼いでも、それがなんら賃金アップに反映されないどころか、むしろ経常収支でひたすら黒字を積み重ねることは新たに円高要因を上乗せするだけであり、結果として賃金の低下をさえ招いてきたのである。しかもこれら既得権益層のビジネスは、根本的に利権に根差しているのだ。

 そもそも、日本の輸出大手は、売上こそ高いものの、しかし利益率となると話は別で、日本の輸出大手の利益率は韓国の企業などと較べると各段に低い。いったい、これらの産業が、いつまで日本の屋台骨を支えられるというのか? というより、非正規雇用の大幅な増大や新卒の就職難などを見て解るように、実はとっくの昔に支え切れなくなっているのだ。

 繰り返すが、為替の取引とは本質的に投機的であり、そしてヨーロッパやアメリカは長期的に景気が浮揚する要因がまるでなく、そうである以上、円は当分の間、高値で推移せざるをえない。そもそも、リーマンショック以前の円安は、円安バブルと言われるほどの異常な安さであり、それはアメリカやスペインなどの不動産バブルによる世界的な好況を受けてのものだった。現在の円高は、単にバブルが弾けたことを受けて落ち着くところへ向かって進んでいるだけだ。  

 バブルはいつか必ず崩壊するのである。リーマンショックそのものは予見出来なくても、21世紀初頭の円安がバブル的なものだと察知出来ていれば、企業の経営戦略も、これほど大慌てで、あちこち振り回されることはなかったのだ。佐々木融氏の言う為替の論理さえ踏まえていれば、リーマンショック以前の円のレートが、ファンダメンタルズなど何ら反映していないバブル的なものであることは簡単に読み解けた筈である。

 ともかく、輸出で儲けるつもりでいながら為替の行方さえろくに分析することが出来ず注5円高が進むたびに「大変だ! 大変だ!」と連呼し、そして利益率では完全に韓国に溝を開けられた日本の輸出大手に、雇用の面でいったい何を期待出来るというのか? 重要なのは、新たな産業の成長による産業構造の転換とそれによる職の創造である。しかし、報道は、むしろそこから目を背ける方へとばかり向いている。

 「円高です! 急激な円高が進行中です! それにより日本企業の収益がこんなに脅かされています!」。まるで円高が悪であるかのような、あるいは円高がかつての黒船のような外圧であるかのような報道ばかりが目につくが、しかし、くどいようだが、経常収支を貯め込むだけ貯め込んで、稼いだカネをなんら使ってこなかったのは当の日本企業である。また、内需は駄目だ、だから外需だというが、しかし賃金を減らして内需を先細りさせてきたのも当の日本企業である。くわえて、原発は安全です、クリーンです、と散々プロパガンダを張りながら、ついに貴重な国土も海も汚染させ、人々の生活までムチャクチャにしてしまったのも当の日本企業である。にもかかわらず、いったいいつまでこんな愚かな堂々巡りを続けるつもりなのだろうか? 我々は、いい加減、真実と向き合うべきである。


(注1)太陽光発電を特集した『週刊ダイヤモンド』2011年8月6日号による。
 
(注2)『クーリエ・ジャポン』編集部が2011月1月号に翻訳掲載した米誌『ストラテジー+ビジネス』の記事より。

(注3)このことは、脱原発原発維持か原発推進かとは一切関係ない。その代表格が中国である。周知の通り、中国は原発をやめる気などまったくないが、それでいて中国のメーカーは、太陽光パネルの世界シェアでトップをひた走っている。また風力発電に関しても中国は熱心で、風力によって発電される電力量において、中国は世界第一位である。そして第二位は、これまた原発をやめる気など欠片もないアメリカである。

(注4)『JMM』1999年11月1日配信号Q36における石澤靖冶氏の回答より。

(注5)各社は、東京証券取引所での決算発表の会見において、今後の収益予想も併せて発表するのだが、その際、必ず各社が試算した為替の想定レートをもとに今後どれだけの収益を見込んでいるかが語られる。つまり、どういうレートを想定しているかによって、収益見込みも全然違ってくるわけだが、しかし、日本の自動車・電機大手は、揃いも揃ってこの想定レートがあまりにも甘過ぎるのである。リーマンショックから現在へと至るトレンドを見ていれば、円が対ドルでドンドン高くなるばかりであることは誰にでも解る。にもかかわらず、2012年3月期の収益見込みの際に日本の自動車・電機大手が出してきた想定は、対ドルで85〜82円というところが殆どだ。これは余りにも甘過ぎる。しかし、このことはなにも輸出産業に限ったことではない。想定が甘い、これは今回の東日本大震災で露骨に露わになった日本社会の大きな欠点である。

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