2012年9月中国経済で何が起きていたのか? 尖閣問題の陰で進みつつあった中国経済の変化について

 中国の景気が上向いてきたのは昨年9月頃からなのですが、このとき日本のメディアにおける中国関連のニュースは尖閣問題一色に染まっていました。はたして、当時中国の経済では、どのような変化が起きていたのでしょうか? もちろん中国経済が長いトンネルを抜けてきたのは、長期的な視野に立った持続的な施策によるもので、何か特別なことがなされたわけではありません。しかし、だからこそ、いったい何があって中国の景気が上向いてきたのかを正確に把握することは、とても重要なことでしょう。

 結論から先に言いますと、中国が景気回復した最大の理由は、市民の所得が上がったことです。所得が上がれば、消費が活性化し、景気が回復するのは当然です。一方で、消費者物価の上昇率も下がりました。所得が上がりながら、それと並行して物価が抑制されれば、市民は食品など生活必需品以外への支出を大幅に増やせるので、これが景気回復への更なる足がかりとなるのも、これまた至極当然のことです。

 中国は、経済が好況にあろうと、あるいは不況にあえごうと、一貫して持続的に最低賃金を上げてきました。「一貫して」といいますのは、好況・不況の別なく、つまり景気に関係なく、毎年同じぐらいの額の引き上げを行ってきたのです。もちろん、引き上げられたのは最低賃金だけではありません。平均賃金もかなり上がっています。中国の場合、賃金の引き上げは地方政府ごとになされるため、その額は地方ごとに微妙に異なるものの、しかしどの地方政府も、最低賃金に関しては毎年概ね20%引き上げてきました。そして、市民全体の平均賃金も、だいたい15%ほどの額で毎年上昇しています。このことは、最大の輸出先であるユーロ圏の景気後退の直撃を受け、中国の企業が苦境に陥った2011年、2012年においても同様です。

 市民の所得が向上することは、そのぶん消費能力を押し上げるわけで、これは長期的には、景気浮揚に向けて、経済を下支えする重要な要素となります。しかし、日本の経済学者や金融アナリストたちは、この賃金の上昇を、一貫して攻撃の対象としてきたのです。つまり、ユーロ圏の低迷によって輸出がふるわず、ただでさえ企業はダメージを受けたうえ、そこに賃金の上昇を課せられたら、コストの増大により企業は益々苦境に曝される、これが中国経済を非常に圧迫していると論じてきたのです。

 しかし、繰り返しますが、所得が上がることは、中国市民の消費能力が上がることを意味するので、一時的に企業が苦境に陥ったとしても、長期的には、経済にとってはプラス以外のなにものでもないです。つまり、この問題は、「所得」が上がると見れば市民にとっては恩恵で、マクロ経済的にも消費が活性化するからプラスなのですが、一方で「賃金」が上がると見れば、企業にとってはコスト負担増となりよくない、という見方になります。そしてもちろん、正解は前者です。

 日本の経済学者は金融アナリストたちは、以前から、中国のように公共投資などの投資部門と輸出部門に経済成長が偏っているようなところの場合、内需を活性化させることは尚更重要だと再三指摘しておきながら、それでいて「賃金」の上昇については、常に企業目線で見て、これをコスト負担の増大だと批判していたのです。そしてまた、過度に公共投資に依存するなと指摘しておきながら、中国の景気低迷が長引くと、かつての4兆元の景気対策を持ち出して、大規模な公共投資補助金といった手が打たれないことを嘆くのです。

 ところが、自動車購入への補助金などからも明らかなように、このような景気対策というのは、単なる需要の先食いに過ぎず、補助金が切れた後は必ず大きな反動が起きて消費が落ちるのであり、また公共投資も、長期的な視野のもとでバランスよく行わないと、単なるバラマキになってしまい、必要な効果は生まれません。

 中国政府は、このことを良く理解しているからこそ、たとえ輸出が不振で経済が低迷しても、補助金などによる景気刺激を行わず、公共投資も抑制していたのです。つまり彼らは、4兆元の景気対策の失敗の体験を、十分生かしていたわけです。そうして、将来に向けて賃金を上昇させ、市民の消費能力を着実に高めていたのです。一方、その反対に、経済政策の失敗から何も学ばず同じことばかりやっているのが、日本政府と霞ヶ関です。

 日本がリーマンショックの後大幅に景気が低迷した原因は、当時最大の輸出先であったアメリカの経済が沈没したことが大きな原因ですが、一方で過去2年間の中国の景気低迷も、最大の輸出先であるユーロ圏が駄目になったことにあるわけです。日本はデフレ、中国はインフレに苦しんでいたという事情の違いはあるものの、とはいえ輸出が大ダメージを受け景気が低迷したという点において、日中両国の景気低迷の要因は同じであるわけです。ところが、輸出が大ダメージを受けた後で、両国の行った施策はまったく逆のものでした。

 日本の場合、賃金を上昇させるどころか、その逆に大幅な賃金カットや人員削減を行ったのです。それは何より、グローバル競争のなかで負けないためという掛け声のもとに、とりわけサムスンなどの韓国企業に負けるな、という声は盛んに唱えられました。

 それに対し中国は、たとえ企業が苦境に陥ろうと、「所得」が上がるための政策を断固実行していたのです。ちなみに、この中国が行った賃金の引き上げについて、中国はいまだ高成長の只中にあるのだからこそ成しえたのだ、と見る向きもあるかもしれませんが、あいにくそれは間違いです。というのも、昨年の中国のGDP成長率は、7・8%です。しかし、最低賃金の引き上げは実に20%、平均賃金も15%上昇しているのです。つまり中国人の平均所得は、GDP成長率の2倍上昇しているのです。これは、高成長の只中にあるからできたというものではありません。

 要は、GDP成長率と不況の度合いに見合ったかたちで、賃金の引き上げを行えばいいのです。これは、どの政府にも出来ることであり、中国もそれにあわせて、長期的なヴィジョンのもとに賃金の引き上げを行い、そうして市民の「所得」を引き上げてきたのです。ところが日本はその逆で、企業を守るために、「所得」を下げたのです。言うまでもなく、所得が下がるならば景気も益々悪くなるということは、デフレだろうとインフレだろうと、なんら変わるものではありません。

 一方で中国は、インフレを退治するため、物価の抑制も行ってきました。ユーロ圏の債務危機が起こった当時、6%以上もあった物価上昇率は、中国政府の物価抑制策により徐々に低下し、そして昨年9月、中国の消費者物価の上昇率はついに2%を下回ったのです。所得がこれだけ上昇しながら、それでいて消費者物価が2%を下回れば、景気が良くなるのは当たり前なのです。それに対して、所得は下落する一方なのに物価は2%上昇させようとしているのが、いまの日本政府なのです。

 という訳で、昨年の9月、中国経済は、まさに日本が学ぶべき素晴らしいことを達成したのです。にも拘らず、当時の日本のメディアは、中国のこととに関して、ひたすら尖閣問題のニュースに終始したのです。このような日本メディアの姿勢は、許しがたい大罪と言わざるを得ません。

 しかし、景気を上昇させるために中国が行った施策は他にもあるのです。以下は、『週刊ダイヤモンド』が昨年1月21日号で行った中国特集の記事からの抜粋です。

 「かつては労働者が社会保険に加入しないのを黙認していた当局もいまや厳しい目を光らせる。排水を垂れ流してきた工場は、汚水処理設備への投資も必須だ。地域によっては『環境税』などをうたった徴税も実施され、基準を守らない企業の摘発も増えている」。
 
 排水を垂れ流していた工場が汚水処理設備へ投資することは、経済的にも汚水処理関連の企業の雇用が増えますし、環境税ももちろん大切です。そして、見逃してはならないのが、社会保険への加入です。

 日本において何故派遣など非正規雇用が増えるのか? それは、賃金が安くて済むという以上に、正社員ではない場合、企業は社会保険料を負担しなくて済むという側面が非常に強いのです。社会保険を負担するというのは、企業にとっては相当な重しであり、コスト増になります。だから日本は非正規雇用が増大する一方なのですが、逆に中国の場合、労働者が社会保険に加入するよう企業への監視を強化しているのです。

 労働者にとって、社会保険へ加入するということは、将来不安が減るので、そのぶん消費意欲も増してくるのです。だから企業が社会保険費を負担することもまた、内需活性化のための重要なことです。

 賃金の引き上げや、労働者の社会保険への加入など、これら一連のことは、いずれも企業にとっては相当過酷だった筈です。好況時ならいざ知らず、不況時にあって政府がこのような施策を企業に要求するというのは、企業にとっては大変な困難を抱えることだったでしょう。様々なマクロ経済指標が、概ね8月から9月に好転するなか、株価だけは11月下旬まで低迷した理由も、ここにあるでしょう。企業にとって、これらの施策が苦しいのは当然です。しかし、長期的な視野に立った経済政策はいずれ必ず実を結びます。12月になると中国株は猛烈な上昇を開始し、上海総合指数はたった1ヶ月で実に14%も上昇したのです。

 以前ご紹介したジム・ロジャーズのインタビューのなかに、次のような一節がありました。「日本人の皆さんも、今、アメリカから学ぶべきではありません。中国から学ぶべき時がやってきたのです」。まったくもってその通りです。

 ちなみに、中国は12月になって消費者物価が再び上昇し、2・5%という数字が出てきたのですが、しかしこれは、市民の購買力が上がって景気が良くなったことを受けて自然と物価も上昇したものなので、このレベルの物価上昇は、景気上昇に伴い必然的に起きるものです

 中国政府は、2011年の12月に行った中央経済工作会議において、6つの方針を出したのですが、そのなかに「恵民生」というものがあります。これは、国民生活を改善するとか、国民に利益を与えるという意味なのですが、中国政府は政策目標として掲げるだけでなく、実際にそれを実行したわけです。もちろんこれには、それをやらないと国民の不満が爆発して共産党の支配が危うくなるという政治的判断は当然あるでしょう。しかし、政策目標だけはもっともらしいことを掲げながら、実際にやることは企業に利益を与えることに終始する日本政府と較べると、どちらがより不況脱出のため効果的な政策を行ったのか、それは明らかというものです。

 中国経済が確実に上昇に近づきつつあることは、9月に突然解ったことではありません。着実に出口が近いことが把握できる指標がないことには、当局も動けないわけです。実は中国の小売売上は、既に昨年4月からプラスに転じていました。ただ、物価高を受けて、小売業の実質伸び率に物価上昇分を加えて名目伸び率は、マイナスのままでした。しかしそのマイナス幅も月を追うごとに小さくなり、そして8月になると、実質小売り売上の伸び率に加え、名目小売り売上の伸び率もプラスに転じました。これが、大きなサインになったことは間違いありません。

 というのも、それを受けて、9月上旬、中国の国家発展改革委員会は、満を持して1兆元(当時のレートで12・8兆円)規模に及ぶ大規模なインフラ投資ブロジェクとを発表したのです。民間の小売売上が好転し、消費環境が良くなったところで、そこで大規模なインフラ投資を打つ、これは順番としてはまさにベストと言えるものです。

 そして、いよいよ9月の終わりを迎えます。

 この9月終わりの時期というのは、既に何度も申し上げてきたように、為替のトレンドが逆転し、それまでの円高から円安へと移行した時期なわけですが、この時期、中国の経済が本格的に上昇してきたということが、誰にでも一発で解ることが起こっていたのです。

 この9月終わりから10月上旬にかけては、国慶節に伴う大型連休にあたり、昨年は実に8連休となりました。そこで中国政府は、奥の手を出します。この大型連休にあわせ、全国の高速道路を一斉に無料化し、及び観光施設の入場料の値下げも行ったのです。これにより、中国各地の観光地は、大勢の観光客でごった返すことになります。

 一方で、観光客が大挙して訪れたのは、中国国内だけではありません。中国出身のジャーナリスト・莫邦富さんは、ダイヤモンド・オンラインで週刊連載しているコラム「莫邦富の驚き中国ビジネス」の10月11付けの記事の中で、国慶節の連休において、タイを訪れる中国人観光客がいかに多いかを克明に伝えています。

 ちなみに、この国慶節の8連休の際、北京市だけで1312万人の観光客が訪れ、例年より22・7%上回りました。そこでは、1人平均で約3万円を消費し、観光名所である故宮は最高で1日に18・2万人が訪れたのです。中国全体での観光客は実に4億2500億人にのぼり、事前予想の3億6200億人を大幅に上回りました。

 そして、だから国慶節の連休中から、円安が始まったのです。この様子を克明にウオッチしていたならば、中国経済の上昇は何よりも確信できたのです。シンガポールに暮らし、娘が中国語を習得するよう教育しているジム・ロジャーズなどは、このことは当然お見通しでしょう。

 しかし、このとき日本のメディアは何をやっていたのか? 連日尖閣問題ばかり取り上げていたのです。しかもその後、中国経済がいかに低迷しているかも盛んに報道されました。こんな愚かなことはありません。ところが、このような愚かな日本のメディアの報道によって、日本は、中国経済がまさに不況から好況へと転じる瞬間をものの見事に見逃したのです。そしてその後も中国経済に関しては、お決まりの報道が延々と続いているというのが現状です。

 これをこのまま放置しておいていいわけがありません。中国経済の上昇は本物です。いまや各国の株価が上がるか下がるかも、通貨がどう動くかも、原油の動向も、すべて中国次第なのです。今こそ日本は、中国にとって最大・最良の経済的パートナーは我々日本であるということをあらためて確認し、日中関係の改善に全力を傾けるべきなのです。