日本によるアメリカ国債購入の問題を、貿易収支の変換から考察する

 昨日の日経平均株価は、前日の終値からプラス0・68%上昇し、1万1385円で取引を終えました。ちなみに、売買代金は2兆0809億円です。

 一昨日の相場は、FRBやCTAに関する憶測から、まず北米・中南米で、次いでアジア・太平洋でも株価が軒並み下落し、併せて化石燃料から鉱物資源まで、とにかく何でも下落したわけですが、しかし、その後取引が始まったヨーロッパ市場の売買は堅調で、フランス・ドイツなどの主要なところは、軒並み株価上昇です。また、資源関連としては1つの目安となるロンドンにおいて、これら資源関連企業の株価も積極的に買われています。そして、日本時間で今朝になってみると、原油価格も戻り始めている状況です。

 ところで、昨日はオーストラリア準備銀行のスティーヴンス総裁が、中国経済の好調さについて触れたうえで、中国の現状について「今の水準に不満はない」とし、更に、資源の動向に関しても「投資のピークは近い」と発言しました。オーストラリアにとって、中国は何よりも重要な輸出先であるため、オーストラリアの経済人からすれば、中国の動向こそが自国の経済を左右するわけですが、そこでこのような発言が出るということは、中国経済上昇の底力をあらためて認識させるものです。ちなみに、この資源に関しての投資のピークが近いということですが、これは言うまでもなく、3月上旬の全人代を受けて発表される、中西部の開発と都市化に関するインフラ整備の具体案を受けてなされる受注を指していることは、誰の目にも明らかです。

 また、インフラの整備といえば、タイでも大型の案件が迫っています。昨日、アジア株専門番組の「ASIAエクスプレス」において、今週タイから帰国したばかりというフィリップ証券リサーチ部長の庵原浩樹さんの出演があったのですが、庵原さんによると、タイ政府は今後数年間で7兆2000億円という巨額のインフラ投資を行うそうです。その最大の主力は、何よりも鉄道であり、鉄道を中心に陸・海・空の物流・交通インフラを整備し、また一昨年の洪水を受けて、災害対策のためのインフラ整備も行うとのことです。そうなって来ると、当然ながら日本の企業にも出番はまわってくるだろうという訳です。特に親日で有名なタイですし、またタイには日本企業も東南アジア最大の生産拠点としてかなり進出していますから、この一連のインフラ事業について、タイが日本の技術力を必要とすることに、疑いの余地はありません。

 また、庵原さんによると、いまタイは非常に活気に溢れており、鞄などのファッション雑貨を買うにも、レジは長蛇の列になっているということです。

 さて、ここからは、昨日の東証の取引の内容を具体的に見ていきます。昨日の日経平均株価は、取引きの終了間際を除けば、株価指数の推移と、ドル円相場の推移は、その軌道を同じくするものでした。まあ、当たり前といってしまえばそれまでですが、しかし、そうして円が対ドルで下落して株価も上昇したので、だから輸出企業をはじめ、銀行セクターなどの大企業がどこも株価上昇したかというと、これがそうでもなく、下落するところがたくさんありました。主なところでは(というより、この場合は主なところこそ重要なのですが)、トヨタ・ホンダ・ソニー・日立・三菱UFJ・三井住友FG・三菱商事住友商事三井物産、といったあたりが、軒並み株価下落です。要するに、戦後日本の高成長を支えてきた(とされている)これら大企業の代名詞のようなところは、軒並み下落したわけです。

 一方、逆に言うと、これらの企業が軒並み下落したにも拘わらず、日経平均もTOPI醱も上昇しているわけで、従来の常識からは逸脱した相場であったとも言えます。では、具体的にどのような企業の株価が上がったかというと、それは、ファナックコマツダイキン・クボタ・キャノン・ファーストリテイリング、などといったところです。これはつまるところ、中国向けということです。中国をはじめとしたアジア新興国の生産やインフラ投資、そして所得の上昇による個人消費、これらの拡大を見越した株価上昇であることは、まず間違いありません。また、東レ帝人川崎汽船なども小幅ながら株価は上昇しており、更に自動車でも、トヨタ・ホンダは下落した一方で、マツダ富士重工は株価が上昇しています。

 という訳で、これまで何よりも日本の産業の屋台骨を支えてきた(と見做されている)ところが軒並み下落し、一方で、それと較べれば非常に地味だけどしかし世界的に高い技術力があったり、アジア諸国の消費者心理を掴むのが上手いところ、国内生産に拘ってきたため為替差益の恩恵を受けやすいところの株価が、揃って上昇したわけです。

 そして、もう1つの注目が、新日本科学です。昨日、新日本科学の株価は東証1部全体を通してもぶっちぎり1位の上昇率だったのですが、その理由は何かと言いますと、地熱発電です。新日本科学というのは、医薬品開発に関する企業なのですが、その新日本科学が、地熱発電への参入を発表したのです。昨日の新日本科学の株価急騰は、ひとえにこのことに依ります。

 最後に、今週1週間全体を通して見ますと、実はクボテックサニックスの株価が、異様に上昇したのです。そして、この2つの企業に共通しているのは、太陽光発電です。

 という訳で、昨日に関しては、財務省に圧力をかけて大企業優遇税制を引き出して来たところ、原発を推進して来たところ、総括原価方式に乗って燃料調達事業で儲けてきたところの株価が下落し、一方でアジア新興国の成長に今後大きく貢献するであろう企業や、新素材や再生可能エネルギーの発展を目指す企業、国内生産に拘ってきた企業の株価が上昇した、ということになります。そういう点で、非常に興味深い相場展開だったと言えるでしょう。こういう日ばかりではないにしても、とはいえ、こういう日は必ずあるものです。

 さて、ここからは、タイトルに掲げました、日本によるアメリカ国債購入の問題について、これを貿易収支の面から考察していきます。
 
 高度成長により、世界の経済大国となった日本は、やがて圧倒的な経常収支の黒字を稼ぎ、そうしていつしか、その黒字をアメリカ国債に投資してきました。21世紀に入ると、中国が物凄い勢いでアメリカ国債の購入を開始し、そうして中国はアメリカ国債の最大の投資家になりましたが、一方で、その中国に次ぐかたちで、日本もいまだに大量の金額を投じてアメリカ国債への投資をしています。

 このようなアメリカ国債の大量の購入は、原発やTPPに反対の市民からは、これこそまさに対米従属の象徴と見做され、強い批判が上がっているわけですが、しかし、単に批判するだけでは、物事は変わりません。重要なのは、日本によるアメリカ国債の購入が、どのような構造のもとになされたものであり、そしてその構造が、持続可能なものであるかどうかを詳細に分析する必要があります。そのことを正確に把握しない限り、どんなに反対の声を上げても、物事は変わらないでしょう。

 というのも、日本によるアメリカ国債の購入は、20世紀においては、明らかに日本の貿易黒字を増大させることに寄与していたからです。それはつまり、皆さんの所得を増やすうえで、アメリカ国債を購入することがかなり貢献していたということです。この事実を認めたうえで、しかしもはやそのような手法は時代遅れであるということを指摘しない限り、惰性的なアメリカ国債の購入をやめさせることは出来ません。

 具体的にはどういうことか? それを知るうえで、貿易収支の分析を行う必要があります。

 2001年、このときはまだ貿易の構造自体は、20世紀的なものを強く引きずっており、内容的には20世紀なのですが、この2001年の日本の貿易の内容と、そこから10年経った2010年の日本の貿易の内容が、もはや別の国のように違うものになっているということは、昨日のこのレポートで詳細に分析した通りです。

 2001年の段階において、アメリカは日本にとって圧倒的に重要な貿易相手であり、その額は、他の国や地域と比較するレベルにないほど、突き抜けたものがありました。この年、アメリカ一国からだけで、実に7兆0395億円もの黒字を稼いでいるのです。

 一方で、この年の諸外国すべてとの貿易を合わせた貿易収支そのものは、6兆5637億円です。つまり、この当時は、アメリカ一国から稼ぐ黒字額が、全体の黒字額を上回っているのです。それは別の観点から言うと、もしアメリカから稼ぐ黒字がなかったら、日本は一転して貿易赤字に転落していたということです。

 という訳で、いかにアメリカから多くの黒字を稼ぐか、それこそが、かつての日本の貿易戦略の殆どすべてだったと言っても過言ではありません。そして、そのうえで、日本がアメリカ国債を大量に購入することは、極めて有効な手段だったのです。

 それはどういうことかと言いますと、日米貿易摩擦以降のアメリカ市民というのは、日本製品の品質の良さ、便利さ、などを強く認識し、おカネさえあれば、日本の製品を盛んに買うような存在になっていたのです。だからこそ、日本は年間7兆円を超える黒字をアメリカから稼げるようになったのですが、しかし、それもすべて、おカネがあればこそ、なのです。

 70〜80年代前半において、日本の企業は、明らかにアメリカの企業に対して優位に立ちました。この時期を境に、アメリカで製造業の職が急速に失われて行ったことは、ノーム・チョムスキーなど様々な論者が指摘しています。ところで、このようにアメリカにおいて製造業の職が失われることで困ったのは、はたして誰でしょう? もちろんアメリカの労働者たちは困るわけですが、一方で、日本の企業も困ったのです。当時、自動車にしても電機メーカーにしても、大変に伸び盛りであり、購買力のある消費者さえいれば、いくらでも稼ぐことが出来るという状況にあったわけですが、一方で、当時は、新興国の大きな成長などもなく、G7諸国が殆ど世界の富を独占していました。とりわけ、アメリカはG7のなかでは突き抜けて多くの人口を誇り、また1人当たりGDPも多いわけで、日本企業にとっては、アメリカこそ、最も有望な市場であったわけです。


 要するに、アメリカの市民はおカネさえあれば日本製品を買ってくれる、しかし、雇用は失われつつある・・・という状況であるわけで、となれば話は簡単、日本としては、アメリカを相手に稼いだ黒字でアメリカ国債を購入し、そしてその日本マネーでアメリカ政府が公務員を雇ったり、インフラ投資をすれば、それによりアメリカの雇用が増え、そしてそのようにして収入を得たアメリカ市民は、彼らが欲しいと願う日本製品を買う、そしてそうやってアメリカ相手に稼いだ黒字でまたアメリカ国債を購入し、その日本マネーでアメリカ政府が雇用を生み出し、そうして収入を得たアメリカ市民が日本製品を買い、そこで得た黒字をまたアメリカ国債の購入に充て・・・・・・、ということになるわけです。

 これは、日本とアメリカの双方にとって利益になります。なにしろ、日本はアメリカ国債の購入によって黒字を稼げるわけだし、一方アメリカとしては、そうして日本から借り入れたおカネで雇用を生み出せるからです。しかも、当時は経済が「国民経済」として発展していたので、このように稼いだ黒字は「国富」となり、そうして日本の市民も、この増大する国富の恩恵を受けていたわけです。

 以前、「アメリカの財政通から日本は保護領」と見做されているという鋭い指摘をした経済ジャーナリストの山田厚史さんのコラムを紹介しました。そこでは、アメリカ人が語ったエピソードして、我々がトヨタのクルマを変えるのも日本がアメリカ国債購入を通してアメリカにおカネを貸してくれるお蔭だ、というくだりがありました。これは、具体的にはそういうことです。日本としても、アメリカにおカネを貸すことで、日本企業の製品を購入してもらっていたわけです。そうして日本は、より多くの黒字を稼いでいたわけです。これはつまり、一口に「保護領」といっても、20世紀においては、アメリカにとって日本が財政的に「保護領」だっただけではなく、日本にとっても、アメリカ国債というのは黒字を稼ぐ絶好の手段であり、その意味で、日本にとっても当時のアメリカは消費市場として「保護領」であった、とも言えます。もちろん、経団連霞ヶ関にそのような意識はなかったでしょうが、とはいえ、構造的には、当時はお互いがお互いの「保護領」であったわけです。

 しかし、2001年においてもこのような関係にあった日本の貿易収支は、2010年になると、状況は一変します。たった10年間の間に、日本がアメリカから稼ぐ黒字は3分の2に減り、その一方で、急激に成長するアジア新興国から稼ぐ黒字は劇的に増大し、僅か10年ほどの間に、日本がアジア諸国から稼ぐ黒字は、10倍に増えたのです。

 つまり、いまの日本は、貿易において黒字を稼ぐうえで、もはやアメリカ国債を購入する必要はないのです。中国をはじめとするアジア新興諸国の成長は、むしろこれからが本番であるということは、既に何度も指摘してきたことです。また、それに併せ、日本が黒字を稼ぐ主たる産業も変化しています。かつては自動車こそが何よりも大きな黒字を稼いでいたわけですが、アジア向けにおいてはそうではなく、日本とアジア新興諸国との貿易の主役は、機械・素材・部品です。そしてだからこそ、昨秋以降これらのメーカーの株価が急上昇しているということは、これまた何度もお伝えしてきた通りです。

 また、この10年間の間に、アメリカ国債の地位そのものも変化しました。かつてアメリカは、世界に冠たる超大国であり、だからドルの基軸通貨としての地位も盤石で、したがって、そのアメリカの国債を大量に保有することは、日本にとっては資産効果もありました。

 しかし、それも10年間の間に劇的に変わりました。巨大な住宅バブルの崩壊、更にイラク・アフガンの両戦争により、いまやアメリカの財政は火の車です。かつては優良資産であったアメリカ国債ですが、ジム・ロジャーズなどが指摘するように、いまアメリカ国債は、間違っても安全な資産ではないのです。

 時代の変化に対応できない者は、没落するというのは世の常です。かつては非常に意義のあったアメリカ国債の購入も、もはやその意義はまるで違うものになっています。現在の状況は、日米の双方向的に「保護領」というものではなく、明らかにアメリカの利益だけが大きいという、一方的な「保護領」となりつつあるのです。

 という訳で、我々は、このような構造的な変化をよく理解したうえで、アメリカ国債の問題について、市民1人ひとりが、明確な判断をする必要がある筈です。