一遍あるいはニーチェ、推理小説としての音楽

 歴史家の網野善彦が音楽について興味深いことを言っている。彼は著書『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』のなかで、まるまる一章を割いて中世の音楽を論じているのだが、そこで示唆されているのが、時宗の一遍がおこなった踊念仏とは、キューバやブラジルのサンテーリアのようなものだったのではないか、ということだ。

 そして網野は、もし時宗浄土真宗が権力に弾圧されなかったら、現在に至る日本の音楽はだいぶ違ったものになったんじゃないか、もっと別の可能性があったんじゃないかと言っている。 

 網野はアフリカとの類比で論じているのだが、しかし知る人が読めばサンテーリアの匂いがプンプンする。だいたいキューバやブラジルの文化も、元はアフリカである。 

 歴史のなかではしばしば、在来の民俗宗教と世界宗教がぶつかるところで新たな文化が生まれる。その中心は音楽と踊りだ。それを思えば、網野の説は、原理的には十分ありえることだと思う。というのも、この時期、大陸の側はモンゴルに征服され仏教文化が壊滅させられている。一方、日本はそうじゃない。民俗的なものと世界宗教が思い切りぶつかっている。時宗浄土真宗はそれにより生まれた。だから、サンテーリア的なものがあった可能性は十分ある。

 とはいえ、無論、網野は音楽のプロでもなければ、仏教文化のプロでもない。しかし、むしろそこがポイントなのだ。だからこそ、色々とインスピレーションが湧いてくる余地がある。

 かつてニーチェ古代ギリシャの音楽を想像的に喚起して新たな哲学を打ち立て、プルーストフェルメール印象派などをゴチャ混ぜにしたエルスチールという画家を小説に登場させ、幅広く後の芸術家に影響を与えた。

 同様に、たとえば、キューバやブラジルの音楽をブレンドしながら踊念仏のコンセプトを想像的に再構築しつつ、更にそこにシュールレアリスム的なインプロヴィゼーションを取り入れたりしても面白いと思う。網野によると、現代人が仏教に抱くイメージとはまるで異なり、踊念仏というのは相当に猥褻でセクシュアルなものだったらしいのだ。だからキューバやブラジルやシュールレアリスムなどとは合うと思う。もちろん、それ以外の可能性だっていくらでもあるだろう。

 踊念仏とは、言うなればお上品なシナトラに対するプレスリーのようなもの。だからこそ時宗浄土真宗は民衆の間で広く支持された。そしてまた、だからこそ延暦寺など権力の側は徹底的に弾圧した。

 一遍の一行は、男女が一緒に遊行し、行く先々で舞台をつくり、舞台上で踊念仏を舞い踊り、その熱狂する状態のなかで見る人々も熱狂に誘い入れていくという布教のスタイルをとっていた。この踊念仏に対して貴族や大寺社などの既得権益層は「まるで野馬のように肩を揺すって、男女とも根を隠すところなく踊りまくる」と徹底批判している。

 ところで、このような踊りは、旧来の鎌倉仏教のイメージを根本的に覆すものだが、しかし、現在広く一般に浸透している、戦乱の世の中で人々は救いを求めて阿弥陀如来の教えにすがったという類の紋切り型の解釈は、網野の他、様々な研究者によって完全に否定されている。

 そもそも、一遍の踊念仏とは踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)と呼ばれるもので、多くの人々と歓びを分かち合うためのものだった。また一遍の和讃(仏教讃歌)は、和歌は平易で、リズムを持ち、豊かな芸術性があったことが指摘されている。親鸞にしても和讃を用い、そうして信徒たちはリズムのなかで歌っていたのだ。

 映画『ブルース・ブラザーズ』において、教会で賛美歌を歌うジェームズ・ブラウンたちが、歌う過程でノッてきて、やがて踊り出し、いつしか物凄いファンクの宴になってしまう場面があるが、あれほど極端でないにしても、一遍の一行がおこなった舞台も、そのようなファンク的な要素があったことは間違いない。これは決してジョークではない。ヨーロッパの教会音楽との対比で、網野は次のように言っている。

 「キリスト教から出てきた一種のハーモニーを持った音楽は、西洋音楽の一つの大きな基盤になっている。日本の場合は、もちろん全くこれとは別の伝統を持っているわけですが、こういう高音念仏のようなものが、もしも宗教とともに自由に成長していたら日本独特な歌謡、「讃美歌」とも言うべきものが西欧と違った形式で生まれる可能性も、あり得ないとは言えないのではないかと、私は考えています。つまり、日本の歌謡、さらには太鼓を含めてさまざまな楽器のあり方を考えてみると、おそらくどれについても同じようなことが考えられると思います」。

 アメリカでは、黒人霊歌を背景にジェームズ・ブラウンアレサ・フランクリンなどがファンクやソウル・ミュージックを発展させた。それも、踊れる音楽にだ。そして言うまでもなく、黒人霊歌とは、もともとはヨーロッパの教会で歌われていたものであり、讃美歌である。

 同様に、一遍や親鸞の和讃も讃美歌なのだ。しかも、一遍はそれをダンス・ミュージックにしている。とはいえ、無論、中世日本におけるこれらの音楽は、20世紀アメリカの音楽よりもはるかに原初的なものだ。網野は次のように表現している。「民俗的な呪術信仰とも深く結びついた野性の激しい噴出」である、と。そして、だからこそ、この原初的な躍動はサンテーリア的なものを連想させる。

 だいたい、サンテーリア自体、キューバやブラジルなど中南米だけのものではない。サンテーリアの1つであるブードゥーは、アメリカにも存在する。

 何が言いたいかというと、民俗的なものと世界宗教がぶつかるところで生まれる新たな文化の、その構造的な相似性を問題にしているのである。隠喩としてのサンテーリアのようなものが中世の日本にあったことはほぼ間違いないのだ。

 網野がアフリカとの類比で論を進めていることに注目してもらいたい。彼はナイジェリアのティブ族やモシ王国といった西アフリカ(このあたりは、キューバ音楽の源流の1つとも言われている)の事例と、文献などから探れる日本中世の音の世界を対比させつつ、一方で「音の民俗学」という研究領域を開拓してきた村山道宣の説を取り上げたりしながら、縦横に、且つ自由に論じているのだが、そこからは、中世の日本において、トーキング・ドラムなどアフリカの音楽文化に相当するものがあったであろうことが、容易に見て取れる。しかし、それだけでなく、仏教という世界宗教の洗礼を受けて、その民俗的なものが別のものへと変貌を遂げていることを、一遍や親鸞をめぐる様々な資料は明確に物語っている。

 ともかく、その後日本的なファンクやソウルのようなもの(他に呼びようがないのでとりあえずこう言うしかない、それは「名付けえぬもの」である)へと繋がりうる何かが、当時存在したことは間違いないのだ。一遍の一行がおこなった舞台などはその典型である。頭を振り、肩を揺すって、男女が一体となって踊っているのである。そうして、見る者を熱狂の渦に巻き込み、人々を虜にしていった。しかし、そのような踊念仏は、権力によって徹底的に弾圧された。何故か?

 キーワードは「悪」という言葉である。この時期、「悪党」とか「悪人正機」という言葉が盛んに言われていた。問題は、これが何かということだ。

 平安時代以来、日本の経済は荘園制を基盤に営まれてきた。京都の貴族や南都北嶺の大寺社などはとりわけ多くの荘園を有し、彼らが社会の富を独占していた。

 しかし鎌倉時代に入って状況は変わる。門前市などを背景に、貨幣経済は徐々に浸透し、一方で金融も発展する。鎌倉時代も後期になると、全国的に為替手形の使用が当たり前になってゆく。だが、これら市場経済興隆の動きは、権力の側にとっては都合の悪いものだった。それは大貴族・大寺社が有する、荘園に依存した経済のありようを解体する方向へと向かうからだ。

 そして彼らは、市井のなかでフットワークよく動きまわる民間の金融機関を「悪党」と呼び、批判する。大貴族や大寺社は、自分たちの手の届かないところで自由に流動する資金の流れを断とうとやっきになる。そんな状況のなか、悪党でも救済される悪人正機を説く親鸞が現れる。そうして市井の間で民主的におこなわれる市場経済に思想的な裏付けを与える。だが、これは京都の大貴族や大寺社にとっては邪魔以外のなにものでもなかった。社会秩序を乱し、危険思想を吹聴する者として親鸞は即座に島流しにあう。しかし、流刑に処せられながらも、親鸞への信望は高まり、信者は増える一方だった。更にその後、一遍も登場する。だが、その一遍もまた、権力による徹底的な弾圧にあうのだ。

 ところで、これは何かに似ている。そう、現代の官僚や経団連などが、堀江貴文佐藤栄佐久グリーンピースなどに対する姿勢とそっくりなのである。周知の通り、彼らも権力により無実の罪をでっち上げられたり、デマを吹聴するあやしい組織として活動を制限されたりしている。今年刊行された石川知裕議員の著書のタイトルは、なんと『悪党』である。皮肉としか言いようがない歴史の反復だ。

 ともかく、中世というのは戦乱の世で、人々は救いを求めて阿弥陀如来の教えにすがったという文部省検定教科書の記述は嘘である。エロチックで楽しくて人との出会いや繋がりがあって、おまけに自立的にカネも稼げるから人々は時宗浄土真宗を支持したのだ。加えて一遍や親鸞は、京都や南都北嶺既得権益層を徹底批判した。そうである以上、彼らがヒーローになるのは当たり前である。しかし、それは権力の側にとっては、とてつもなく煙たい存在である。

 親鸞や一遍は、ただでさえ市井の経済に思想的な裏付けを与え、これをバックアップしたうえ、彼らが各地でおこなう遊行は、生命力の解放をテーマとし、サンテーリアやファンク的な要素を持っていた。これは当然民衆を魅了した。彼らは完全に既得権益層の常識の外にいた。僧侶という聖職にありながら堂々と嫁をめとった親鸞はもちろん、男女が頭を振り、肩を揺すりながら踊りまくる一遍の舞台など、それまでの社会においてはどこを捜してもありえないものだった。

 しかし、これら女性絡みのものこそ、まさに既得権益層がおこなう批判の格好の餌食となる。現代の週刊誌や夕刊紙などにも通じる俗悪で三面記事的な批判が次々に浴びせられる。やれ一遍は天狗につき動かされているとか、とにかく使えるものは何でも使い、徹底的に潰しにかかった。

 わけても踊念仏は他の何よりも槍玉にあげられ、権力はここへ集中砲火を浴びせる。そうして、あらゆる手を尽くして根絶やしにしたうえで、そもそも踊念仏のようなものは最初からなかったことにされた。だからその後発展しなかったのである。

 ところで、網野は日本の教科書がいかに嘘にまみれているかを到るところで告発している。一言でいって、現在巷に流布している日本人の民族性とは、権力に手により捏造されたフィクションである。荘園領主や大名や徳川幕府などの「お上」の言うままに従い、田畑に出て、そうしてお百姓さんとして額に汗して働いてつつましく過ごしていた、それが日本民族のあり方だったのだ、という「神話」をでっち上げ、教育現場において子どもたちにそのような民族性を叩き込み、彼らを批判精神や主体性のない従順な人間へと形成してしまうことは、官僚や財閥系大企業などにとって何よりも都合のいいことだった。アルチュセールは『イデオロギーと国家のイデオロギー装置』において、学校とは国家のイデオロギー装置であると指摘し、教育を通して国家は自らに都合のいい人間を育成するのだと論じたが、それは何よりも日本において妥当する。

 言っておくが、このことを立証する証言はいくらでもある。知られていないだけだ。たとえば網野は著書『海民と日本社会』のなかで、正しい研究をしている者ほど学界のなかで孤立し、そうして否応なしに外れ者になってしまうと言っている。権力にとって都合の悪い研究をする者は意図的に迫害されるのだ。これは、完全に原子力村と同じ構図である。日本には、原子力村ならぬ、文部省検定教科書村とでも呼ぶべきものが、確実に存在する。だいたい、「検定」といえば聞こえはいいが、しかしそれは「検閲」以外のなにものでもない。

 ともかく、こうして踊念仏や和讃は、徹底的に弾圧されたうえで闇に葬られた。しかし、それらは生き続けてさえいれば、後に大きな実をなしうる豊かなものだったのだ。

 坂本龍一は、辺見庸との共著『反定義 新たな想像力へ』のなかで、次のように言っている。

 「いまに始まったことじゃないけれど、世界中で先住民の文化が急速に消えつつある。ほとんど残ってないともいえるけれども、一方で生命と環境と文化と言葉を奪われた先住民の末裔たち、若い青年たちが、自分たちの祖先の文化をもう一度学び直そうとして、昔あった木彫りの船の航海術、ポリネシアの航海術やイヌイットのさまざまな文化を学び直そうとしている。ぼく自身も、象徴的な意味で地球の先住民文化というものをもう一度自分のなかに発見し、発掘し、再創造して学び直さないといけないと思っている」。

 「植民地主義に抹殺されてきたという歴史的、政治的な面もありますが、環境問題としても、創造力の問題としても先住民がとても大事だと思ってるんです」。

 「じつは、日本人も先住民だった。だけど、あるところから自ら先住民であることをやめて、先住民文化を自分の手で抹殺したんですね」。

 しかし、その抹殺は、民衆の手によってではなく、権力の手によってである。確かに日本は植民地支配をまぬがれた。だが、支配層による抹殺がおこなわれたという点では同じである。日本においてややこしいのは、抹殺した者が外国の者ではなく、日本の者であり、そうして抹殺した者が今もって教育において子どもたちに何をどう教えるかという、いわば教育における生殺与奪の権限を握っているということだ。

 だが、親鸞や一遍は単に宗教者であっただけではない。荘園を基盤とした既得権益層の支配に対する民主的な市場経済の思想的な後見人であり、貧困や災害に苦しむ人々を援助するNPOのトップであり、そして音楽や踊りなど新たな芸術創造のオーガナイザーであった。

 ともかく、権力の側は明らかに歴史を書き替えている。自分たちの都合のいいように。そうして、かつて荘園領主という1%に対してそこからの解放を求めた99%の側の文化や思想は、歴史の闇へと葬られた。

 ところで、ここで今一度ニーチェに立ち戻りたい。

 ニーチェ以降、近代ヨーロッパでは古代ギリシャ芸術の思想を汲み取り、それにより芸術を新たに発展させる動きが起こる。しかし、それは文献以外に知りようがない。実際どういうものだったかなんて誰にも解らない。演劇や音楽に関しては、完全に想像力の出番になる。

 で、この想像力が物凄い力を発揮したわけだが、現代の日本に足りないのは、こういう野蛮なまでの想像力の駆使である。元になったものと似ていなくて全然構わないのだ。だいたい、似ていたらそれは新しい芸術とはいえない。要は、どうインスピレーションを受け、それを自分独自のかたちで発展させるかだ。

 しかも、それは音楽や演劇に限ったことではない。美術や工芸品など、あらゆることに当て嵌まる。

 地方経済の再生や震災からの復興が叫ばれる現在において、かつては確かに存在し、あるいは今もかろうじて生き続けている様々な伝統の技や知恵などを蘇生させ、そこに新たな普遍性を付与し、今までにない産業を興して職を生み出していくことは十分可能である。

 今年、イタリアのグッチは金閣寺狩野派の襖絵と見事なコラボレーションをおこなった。金閣寺のなかを彩る狩野派の襖絵と、その前に置かれたグッチ年代物のバッグは、見れば見るほどそれだけ奥行きが広がる、絶妙のハーモニーを奏でた。

 ところで、グッチのバッグはフィレンツェに息づく伝統の技に根差し、それを現代的に昇華したものである。つまりグッチというのは、元々は地方都市の地場産業だったのだ。しかし、それらグッチの品々は、いまや明らかに芸術と呼ばれるだけの価値がある。グッチを通して、フィレンツェ伝統の職人技がいったいどれだけ多くの職を生み出したか、はかり知れない。だが、向こうに出来て、こっちに出来ないということはない。

 夏目漱石は『三四郎』のなかで、「日本より頭の中の方が広いでしょう」と言った。つまり、想像力の力は無限だということだ。一方でニーチェも『ツァラトストラかく語りき』において次のように言っている。「深き夢から私は目醒めた。世界は深い。白書が思えるより深い」。

 何かしたいと思うなら、自分にも何かやれるんじゃないかと思うなら、想像力の力で、世界の深さに身を浸してみてはどうだろう? 歴史の闇へと葬られたその彼方も、想像力にとっては、これ以上ないプレイグラウンドとなるのである。

 正しい芸術などいらない。刺激的な芸術があればいい。刺激的な芸術には、世界が欲望する。


 *なお、「一遍あるいはニーチェ 推理小説としての音楽」と題したこのシリーズに、発表の場を提供してくださる媒体があれば、歓んで応じます。ウェブ・マガジン、メールマガジン電子書籍を問わず、広く読まれることは何より望むところです。


【参考文献】
 網野善彦 『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』
                        (日本エディタースクール出版部
 網野善彦 『海民と日本社会』(新人物往来社
 網野善彦 『日本論の視座 列島の社会と国家』(小学館