未来からの音楽  『ロス・バン・バン1974』論序説

 悦びのために、生命力を開放するために音楽を必要とするひと、美しい音楽を欲望するひとは素敵な大人といえる。そのようなひとは、音楽と幸福な肉体関係にあるのであり、自らの生と、音楽とが、緊密に結びついているのだ。

 映画こそが歴史を語りうる、そうゴダールは『映画史』のなかで繰り返しているが、映画こそが、というゴダールの言葉をもじれば、音楽こそが、それをかけると、たちまち風景を異化して、モードが切り替わり、高揚感に包まれ、精神を開放する力を持つ。音楽こそが、男と女の出会いを、初めて瞳が重なり合った、そのまなざしの交叉自体がメロディアスであるような、ロマンティックで神秘的なものにしうる。いたってクールな明晰さに貫かれながら、それでいて情熱は、その裡に、金色に輝く無数のヴァイブレーションをはらみ、光の粒が、プリズムのように放射しながら、体を内側から突き上げ、溢れ出す悦びに震えること。
 
 ニーチェは言っている。「音楽の力で、情熱は自己を享楽する」注1と。

 ところで、我々の生きる状況は、常に変化している。音楽の持つ最も偉大な特性は、生命力を開放することにあるが、社会は変化し続け、それに合わせて、個人としてのひとびとの生には、それまでにない、新たな困難が生まれてゆく。そのため、既存の音楽にはない、全く新しい力を持った音楽が、新たな生の燃焼の手段として、必要になってくる筈である。我々は、個人として、未来に向けて生きているのであり、美しいものを欲望することは、たとえそう意識していなくても、生き延びようとする意志を備給することである。実のところ、欲望と情熱とは殆ど同義語であり、欲望のない情熱はなく、情熱のない欲望もない。そして、このように、美しいものを欲望する高貴なる精神は、全く新しい力を備えた、真に普遍的なものを求めるだろう。

 だが、その新しいものとは、現代に合致したものではなく、極端に先駆的なものではないだろうか。たとえばランボーの詩やゴッホの絵画などが、単にそれらが製作された19世紀当時と必然的な対応をなしているだけではなく、21世紀に入った今日においても、いまだに全く新しいものであるように。

 抜きん出て先へ進んでいるものは、それだけで我々を魅了するのだから。

 キューバのトップバンド、ロス・バン・バンが1974年に発表した作品『ロス・バン・バン1974』は、傑出したレベルの高さもさることながら、何よりもその新しさが聴く者を驚かせてやまない。1974年に発表されながら、21世紀をも突き抜けて、いつとは知れぬ遥か彼方へと到達したような、ありうべからざる新しさに満ちている。この音楽は、キューバ、あるいはラテン・ミュージックに関するイメージを根本的に覆す。キューバの音楽を知らない人はもとより、キューバの音楽に精通しているファンの耳をも、鮮やかに裏切る新鮮なものだ。

 とはいっても、最良のキューバの音楽はどれも十分に先端的であり、我々の生の核心を突いている。そこには、切なさと隣り合わせの快楽があって、上質のキューバの音楽を聴くと、涙が出そうなほどの切なさが、螺旋を描いて空高く舞い上がってゆき、その過程で強烈な切なさは震えるような歓びへと変わってそのまま天空高く突き抜けていくような快感があり、音楽を聴いた後にはただ気持ち良さだけが残って、あらゆる全てから開放され、自分がとてもクリアになったような感覚を受ける。対して『ロス・バン・バン1974』は、このような魅力を備えながら、それでいて、もっとミステリアスだ。

 それは、水銀のようにゆらめいて、聴く者を幻惑しながら、石英のきらめきを振り撒きつつ、流れ去ってゆく。

 他に類を見ないという点において、この作品は孤独である。しかし、孤独であることと、普遍的であることは、なんら矛盾するものではない。時代やジャンル、地域性といった限定を突き破る、真に普遍性を持ったものは、ひとであれ、作品であれ、時として非常に孤独であるが、そのようなものこそが、他の何にも増してコスモポリタンであるだろう。

                               *
 
 ロス・バン・バンは1969年に結成され、幾多のメンバー・チェンジを経ながらも、その度に有能な若手を加えてゆき、今もってキューバ屈指のバンドとして、その人気は絶大なものがある。1974年以後、ロス・バン・バンは音楽上のスタイルにおいて次々に変貌を遂げてゆき、それでいて常に極めてレベルの高い音楽を生み出しているが、とはいえ、新しさ、という点においては、依然としてこの1974年の作品が後のどの音楽よりも光り輝き、大袈裟ではなく世界史的な金字塔として屹立している。  

 ところで、この作品は、キューバ特有のリズム等に、ロックやファンク、ジャズといった様々な要素が融合されることによって出来上がっている。もっとも、このような融合、ミクスチャー自体は、いまや様々な国で行われているありふれた作業であり、それだけならとりたてて特筆するにはあたらないことで、キューバにおいても様々な音楽を融合することは何ら珍しいことではないが、そういう中にあって、『ロス・バン・バン1974』における融合のレベルは他に類を見ない地点に達している。

 まず、キューバ特有のリズムはそのままダイレクトに用いられるのではなく、主にドラムスのチャンギートの手によって、高度に抽象化されたかたちで使われている。本来なら複数のパーカッションのアンサンブルによって織り成されるキューバポリリズム、それをドラムスという楽器ひとつで精密にブレイクダンス化したような、素晴らしいビートがある。そこにロックやファンク、ジャズなどの様々な要素が投入される。

 ロックやファンク、ジャズ、ラテンといった各要素は、完璧なバランスで相互に浸透し合い、そのバランスの良さ、各要素の絶妙な相互浸透性は、かえってこの音楽が畸形的に映るほどであるが、それほどに“正確”なのだ。

 その結果として、この音楽には極端に濃縮された味わい、高密度の濃縮性があり、それでいて、濃密なところはまったくなく、むしろ非常に洗練されていて、有機体としての音のひと粒ひと粒が実になまめかしく、これ以上ないほど肉感的な響きをもって、聴く者の耳の中へ溶け込んでくる。

 編成は、以下の通りである。ドラムス、ベース、パーカッション、オルガン、それにフルートと数本のヴァイオリン、そしてヴォーカルとコーラス。

 このような編成は、ドラムスとオルガンを除けば、チャランガというスタイルを核としたキューバにおいてごくありふれたものだが、とはいえ、この編成のバンドは、非常に美しいメロディラインのもと、実に有機的に作用し合って、透明な渦を巻きながら、聴く者を軽々と異世界へと誘う。だが、この異世界とは、はたしてキューバだろうか? 確かにキューバン・テイストを備えながらも、しかしそれを完全に突き抜けた、未来の、どこか架空の都市。世界中の誰もが、まだ見ぬ、しかし、いつかは見たいと思う、それでいて想像することさえ出来ないままでいる、いまだ存在しない、クール極まりない、愉悦の世界。

 まさに未来からやってきたようなサウンドなのだが、この未来性ということについて、たとえば日本のサルサ/ラテン業界では例外的に全曲オリジナル・リミックスで勝負するクロスオーヴァーサウンドが特徴のDJ KAZURUは「2030年ぐらいのサウンドに聴こえます」注2と言い、このCDのライナーノーツを担当した矢野優は「2074年から1974年にタイムスリップしたかのような」と語るなど、その証言は幾つもあるが、その中でも最も説得力があるのは、次に挙げる映画関係者の言葉だろう。

 村上龍は、かつて『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』の中で、ある映画関係者が語った「22世紀とかの未来のディスコ・シーンでこの音楽を使ったらいい」というコメントを紹介しているが、このコメントは注目に値する。というのも、22世紀という映画の設定にリアリティを与えるためには、そのディスコ・シーンにおいては、現在の時点からは想像することさえ難しいほどの音楽、22世紀という設定に相応しい質的に強い音楽が必要となる。でなければ22世紀を舞台にするという映画の設定にリアリティを与えることは出来ないだろう。『ロス・バン・バン1974』にはそれだけの新しさを感じさせるものが確かにある。この22世紀という言葉が決して誇張でも冗談でも比喩でもないほどに『ロス・バン・バン1974』の新しさは際立ち、他を圧倒して突き抜けている。ニーチェはどこかで「新しさとは相対的なものではなく、新しいものは絶対的に新しいのだ」と言ったが、『ロス・バン・バン1974』の新しさは、後の世代が決して到達できない領域においてあるものだ。

 この新しさは聴く者を当惑させる。このCDを一回、また一回と聴く度に、それ自体がまったく新しい出会いとなって、それまでにない顔を覗かせてくれるが、その度ごとに当惑は増してゆく。キューバとか、ラテンとか、そういう括りはナンセンスである。喩えるなら、次のようなことだ。

 恋に恋する少年、あるいは少女は、恋についての具体的なあれこれではなく、恋についてのイメージを追っているに過ぎないものの、やがて彼らは幾つもの恋の経験を経るにつれて、イメージではなく、女に対する、あるいは男に対する細かい具体的な事柄が積み重ねられてゆき、その過程で、かつてあったイメージは後退してゆく。彼らのなかには、いつしか恋の達人として周囲に認知されるようになる者もいるだろう。この『ロス・バン・バン1974』という音楽は、恋の手練苦練を身につけた上等な大人が、あるとき、突如として、彼の全経験のはるか上を行く女、それもミステリアスで謎めいた、魅惑的なイメージそのものという女と出会ってしまうようなものだ。つまり、クラシック音楽はもとより、最良のラテン、ファンク、ソウル、ジャズ、ロック、R&B、ヒップホップ、レゲエ、ハウス、サンバ、ボサ・ノヴァ、クラブ・ミュージックなどの音楽を遍歴し、音の快楽をたっぷりと味わってきた者が、この『ロス・バン・バン1974』を聴くと、そのストレートな音楽性の高さと、これまでの自分の音楽経験のどこを捜しても類似するものがない独特の雰囲気に、呆然とするだろう。それ程に聴く者を揺さぶり、当惑させる音楽である。

 このCDの1曲目の冒頭、それはベースの演奏による極端に弛緩した雰囲気で始まる。そこから程なくしてオルガン・ソロが入るが、このオルガン・ソロは、僅か数十秒でありながら、まるで音楽の歴史全てを超高速で圧縮し、それを恐るべき密度によってコラージュしたような驚嘆すべきソロであり、その後、再び弛緩した雰囲気のなか、今度はフルートが、正確にして複雑なトリルを描きながらまったく重力を感じさせずフワフワと空中を浮遊してゆく。その後でようやくコーラスが入ってくる、だが、それはひそやかで、短く静謐な声のアンサンブルがまるでシルクのようにたゆたいながら、控えめに挿入されるに留まる。次いで、ヴォーカルと、それからヴァイオリンが入ってくるが、依然として弛緩した雰囲気のなか、霧がかかったように謎めいた様子は増すばかりだ。やがて、曲は大きく転調し、ドラムスが立体的でドリフト感いっぱいの複雑なビートを奏でると、途端にバンド全体の演奏は潮が引くように整然と纏まって、白熱して、燃え上がり、しかしそれでいてクールに、不思議な透明感を伴いつつも聴き手を煽るような様相を帯びながら圧倒的な加速力で流れるように疾走してゆく……。

 このような1曲目に始まって、ラストにあたる12曲目(この最後の曲が最も驚異的なのだが)を聴き終えると、人は呆然とするだろう。あるいは、つい今しがたまで自分が耳にしていたものが信じられず、呆れ返ると言ったほうが正しいかもしれない。ジャン・ジュネは言っている。「性愛の技は、恋人たちの夜の言語がその様相をきれぎれに洩らす、名状することの出来ない一つの世界を発見させる。恋人たちのこのような言語は筆舌に写しうるものではない。人は夜、それを耳もとで、かすれた声で囁く。しかし明け方には忘れてしまうのだ」注3

 『ロス・バン・バン1974』の音の快楽は、CDを聴いた後で、その細部や具体性はすっぽりと記憶から抜け落ち、倦怠感のもと、奇妙な記憶喪失にかかったようで、しかし情事の後のように力は脱力し、心身は満たされてしまう。だが、時は過ぎて翌日になると、あの快楽は何だったのか、あの快楽をもう一度と、人はまた昨日の音の快楽を求めてCDを聴くのである。そこで人は、またしてもジュネの言葉を使うならば「陰鬱さと手を切った体、顔、叫び、言葉の、触れることの―名づけることの―不可能な喜び、要するに、官能的で強烈なあまり、あらゆるエロチシズムを追放しようとするような喜び」注4を見出すだろう。そして、その喜びに、アントナン・アルトーが言った「皮膚の下の肉体は、加熱した工場だ」注5という言葉がクロスする。だが、CDを再生している最中の聴き手を熱い渦の中へと巻き込みながらも、当のロス・バン・バンの演奏はいたってクールである。難しいボールを軽々とジャストミートして、塁上ですました顔をしているイチローのように、このロス・バン・バンサウンドは徹底的にクールである。そうして、CDを聴き終えた後、脱力感のなかで、人は何度目かの記憶喪失に陥るのだ。

                               *

 ところで、この1974年のロス・バン・バンの音楽は、ロックやファンク、ジャズなど様々な音楽が融合された、非常に現代的な手法によって作られたもので、世界各国の流れに漏れず、キューバでも様々な音楽をミックスして曲を作ることはきわめて当たり前のこととなっているが、これは既に語った通りである。ロス・バン・バンはその先駆的存在にして最高峰にある。しかし、このようなキューバの音楽の現状に対して、日本その他で比較的知られているキューバの音楽といえば、ロス・バン・バンが行っているような様々な音楽の融合による現代的な音楽ではなく、トラディショナルな音楽の方ではないだろうか。

 キューバの外、それもラテン諸国以外の国において比較的知られているキューバの音楽としては、ヴィム・ヴェンダースが監督した映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が真っ先に挙げられるだろう。その映画で演奏されているのが、キューバのトラディショナルな音楽であり、ソンやルンバと呼ばれるものがその代表である。ソンはトレスギターというアコースティックなギターが、ルンバは複雑極まりないパーカッションのアンサンブルが、それぞれ特徴である。

 一方で、キューバにおいてもトラディショナルな音楽そのままではない、コンテンポラリーな音楽も数多く存在し、ロス・バン・バンはその筆頭格であるが、トラディショナルなソンやルンバとは違う、様々な音楽の融合が『ロス・バン・バン1974』という作品の傑出した新しさの大きな鍵であることは疑いない。単なる「融合」 ではない。「異種交配」 「異種溶解」 という真の意味での「融合」であり、『ロス・バン・バン1974』 には「融合」ということの本質がある。

 もちろん様々な音楽の融合という作業は、キューバにおいて90年代に一大ムーブメントとなる「ティンバ」と呼ばれる後の世代の音楽にもあるし、そもそもキューバの音楽にのみ限ったことではない、広く世界的に行われていることである。しかし、『ロス・バン・バン1974』の異様なまでの高密度な味わい、音楽的な濃縮性の高さは、異質な要素が混ぜ合わされた、そのブレンドの、絶妙の度合いにある。このロス・バン・バンの音楽は、異なる音楽的要素の融合というテーマについて、その真の意味を投げかけずにはおかない。そもそもあらゆる最上の芸術は、時として作品の受け手に対して基本的な問いを促し、通常では当たり前のこととして顧みられることのない、だが何よりも本質的な問いについて、その根底を考えさせるものだ。

 よって、『ロス・バン・バン1974』の音楽に具体的に深く立ち入る前に、先ずは融合というテーマについて考えてみたい。このテーマについて考えることは、『ロス・バン・バン1974』という作品を更なる深いところで“感じる”ために不可欠であるだけでなく、広く音楽表現全体を考える良い材料ともなるだろう。

                               *

 現代の音楽シーンにおいては、いつの頃からか、融合、ミックス、ミクスチャーといったことがよく言われるようになった。様々な音楽をミックスすることは、もはや極めてありふれたこととなっている。また一方で、フュージョンと呼ばれるジャンルも存在するが、前述のような事態が日常である以上、ジャンルとしてフュージョンという呼び名が存在するのは実は大変に奇妙だといえる。加えて、たとえ作り手が意識していなくても、実際には様々な要素の複合である音楽は殊のほか多い。トラディショナルな音楽はちょっと脇へおいておくとして(これについてはあとで述べる)、それ以外のあらゆる音楽は、多かれ少なかれ“ミックス”され、“フュージョン”されている。実際は単一の要素で構成された音楽がどれほど少ないことか(もちろん、他の要素への視線が明らかに閉じている音楽も少なからずあるけれども)。

 しかし、盛んにミックス、フュージョンがなされていながら、それでいて、日々新たに生産されてゆく数々の音楽には、様々な音楽の単なるつぎはぎに過ぎないものがとても多いという事態が現状だ。もちろん各要素が有機的に溶け合い、見事な味わいを聴き手に与えるものも当然ながら存在するが、とはいえ、各要素の単なるつぎはぎに終始してしまっている音楽が多いというのは、もはや疑いない事実である。このことは、無自覚に融合やミックスを行っている作り手の音楽のみならず、意識的、自覚的にそれを行っているつもりでいるミュージシャンの作品にしても、多様な音楽的要素の単なるつぎはぎに終始しているものは少なくない。なるほど、それらは確かに今までにない新しい音楽的レシピのもとに作られた音楽であるかもしれない。しかし、レシピが新しいものであっても料理が上手でなければ素材として使った様々な音楽が絶妙なバランスで相互に作用しあい、その結果として、全く新しい味をもって我々を魅了することはないのである。異なるもののつぎはぎと、異なるものが混ざり合い、混ざり合うことによって全く新しいものが生まれることは別の事柄なのだ。
 
 差異、または多様性ということについて、それまでにない新しい地平を切り拓いたのはベルクソンだが、彼はその主著『時間と自由(原題:意識に直接与えられるものについての試論)』において、浸透、及び相互浸透という言葉を実に頻繁に使用している。浸透/相互浸透、という言葉は、それ以外にも幾度となく使われる、融合、有機化という言葉と同じ意味で用いられている。なかには、浸透/相互浸透、融合、有機化、のうち、二つ、あるいは三つを続けて用いて論を補強している箇所も幾度となく出てくる。ここにおいて、疑いなく、「浸透/相互浸透」=「融合」=「有機化」という等式が成り立つ。だが、この等式はベルクソンの哲学に限られたものではなく、異なるものの融合、多様な要素の結合という点においてすべからく共通する本質的なことである。様々な音楽が交配/配合され、それら多様な要素が絶妙なバランスで混ざり合い、相互に浸透し合うことによって、有機的に溶け合い、その結果、魅惑に満ちた全く新しい音楽が生まれる。それは全く新しいものなのだ。それは過去の何物にも似ていない。のみならず、後の世代の作品にも似ることはない。

 つぎはぎに終始している音楽が、いわば積み木のようなもので、それぞれは、積み重ねられる以前のブロックへとバラバラに分解可能であるのに対して、真に融合がなされた音楽は、一流の画家のもと、パレットの上で様々な絵の具を混ぜ合わせることによって生まれる全く新しい色であり、カンヴァスに表現される色彩であるように、全く新しいのだ。ゴッホピカソの絵画といった近代の産物だけでなく、17世紀のフェルメールの絵画もいまだにそれに似たものが生み出されることはない。フェルメールの絵画は世界の絵画史における偉大な金字塔であり続けている。何故なら、フェルメールの絵画は、21世紀の現在になっても、いまだに全く新しいものであるからだ。
 
 しかし、料理やカクテルならばともかく、音楽において、多様な要素が相互に浸透し合うということがありえるだろうか? ソンとロックが溶け合い、ルンバとファンクが溶け合い、それら多様なものが相互に浸透し合い、有機化されるなどということが、本当に起こりえるだろうか?

                                 *

 『ロス・バン・バン1974』には独特の、濃縮されたスピード感とでも言うべき味わいがある。スピード感といっても、曲のテンポの速さ/遅さとは関係ない、テンポとは別種のスピード感、それは一種の揺らぎを孕みつつ、恐るべき密度をもって疾走している感覚であり、しかもこのスピード感は、同じく『ロス・バン・バン1974』が持つ、独特のクールさと密接な関係がある。『ロス・バン・バン1974』は異様なまでにクールだ。極端に覚めきって、澄み切っている。
 
 一般的に言って、ある何らかの音楽(ジャズでもファンクでも何でもよい、何らかの音楽)をベースにして、そこに他の異なる音楽をミックスする場合、大抵はミックスされる他の音楽は、その要素を薄められている。別の言葉で言えば、他の異なる音楽は、作り手によって、その要素を飼いならされている。対して、『ロス・バン・バン1974』は違う。彼らは薄めもしなければ、飼いならしもしない。

 もちろん、幾つもの要素が複合的に使われる以上、イギリス及びアメリカのロックやファンクやジャズなどに較べて、曲全体における各要素のパーセンテージは落ちるが、とはいえ、ロックやファンク、ジャズといった他なる要素は、その強度を全く損なうことなく、その肉体性を全く失われることなく用いられている。多様な要素は、それぞれが自己を主張し合い、それぞれが他の要素を潜在化するようなかたちで、重なり合い、絡み合いながら、バンドリーダーであるファン・フォルメルの優れたディレクションのもと、絶妙なバランスで配合され、相互に浸透し合い、見事に有機的に作用している。そのために、ロックやファンク、ルンバなどの要素を強烈に感じさせながら、しかし一方では、全ての要素がもはやかろうじて痕跡をとどめている程度にまで潜在化されているような奇妙な振幅を味わう。だが、これは様々な音楽を薄めているのではなく、各要素は極めて精密に溶解され、有機的に溶け合い、相互の浸透性が深まったからこそである。各要素は、混ぜ合わせられ、圧縮的に高密度の次元で融合され、その結果として見事な濃度を獲得しているのである。

 また、潜在化と同時に、それと正反対の動きも生じている。余りにも正確に混ぜ合わせられることにより、融合の過程においてインテンシティが高まり切って、各要素は他の要素を巻き込みつつ、新たに自らを繰り広げ、それぞれが他の要素から養分を吸い取って、おのおのの要素は倍化され、いやそれどころか累乗化されるまでに至ってもいる。しばしば、曲の流れのなかで、通常のルンバ以上にルンバを感じさせたり、通常のファンク以上にファンクを感じさせるときがある。ロック、ファンク、ジャズ、キューバンといった各要素のうちのどれかひとつが、全体のハーモニーを損なうことなく、突出して浮かび上がってくることがあるが、それはこのような累乗化作用によるものである。だが、これは生成変化した、新しいロック、新しいファンク、新しいジャズであり、新しいキューバン・ミュージックである。

 もちろん、相互の浸透性が深まることによって、各要素はもはやかろうじて痕跡をとどめている程度にまで潜在化されるということからも、新しいものは生まれている。というより、これが何よりの第一原因である。相互の浸透性が深まれば深まるほど、それだけ元々あった要素は消えてゆき、有機的に溶け合うことによって、名付けようのない、魅惑に満ちた全く新しい音楽が生まれるのだ。融合による、新しいものの誕生ということは、まず第一に、この浸透/相互浸透の結果である。それこそが、『ロス・バン・バン・1974』の最大の核である。

 だが、『ロス・バン・バン1974』の魅力はこれだけではない。このように全く新しいものが生み出されることにより、そこから派生的に、後に現れる最良のハウスやヒップホップの色合いをも、この『ロス・バン・バン1974』と言う音楽は、予言的に示唆している。しかしそのいずれともつかない、いずれでもない、極めて固有の味を持った、密度と集中の果てに見出される“架空のハウス” や、“架空のヒップホップ”であり、電光的な加速力を持ち、クールに貫かれている。これらは通奏低音のように各楽曲の基底にありながら、サウンド全体をじんわりと浸し、あるいは、ロック、ファンク、ジャズ、キューバンといった要素が突出して浮かび上がってくる際の僅かな隙間を、不可知の存在として泳いでいる。殆ど表に現われることはないが、とはいえ確かに存在しているこの第三の魅力、“架空のハウス”、“架空のヒップホップ”が、『ロス・バン・バン1974』という音楽を軽くし、またスピード感を付与している。

 このように、高密度の次元で融合がなされ、他なる要素を決して薄めたり、飼いならしたりしないからこそ、またそのブレンドのなされ方が絶妙であるからこそ、様々な音楽は、各要素の累乗化と潜在化のぎりぎりのラインで混ざり合い、このことが『ロス・バン・バン1974』に高密度の濃縮性をもたらしている。だが、濃縮でありながら、濃密な感じはない。むしろ、さわやかなほど軽やかだ。この爽快な軽やかさがスピード感を生み出し、高密度な濃縮性と、軽やかなスピード感という、相反する感覚の共存を可能にしている。『ロス・バン・バン1974』の持つ異様なまでのクールさの秘密もここにある。
 
 優れた味わいのカクテルはレシピによってのみ可能なのではなく、バーテンダーの高度な技術があって初めて生み出される。彼がシェーカーを振って、中の液体をシャッフルする行為にこそ最大の要点がある。そこでは、混ぜ合わせられる液体は、混ぜ合わせられることによってその複合物は強烈に累乗化され、その累乗化されつつあるものを今度は潜在化の次元にまで落とし、ベストの状態で浸透し合うように、両者のせめぎあいが完璧なバランスを保つところにおいてシャッフルされるのだ。非常にワイルドでギザギザした、未分化な、野生的な魅力と、極度に洗練された魅力とがあいまって、絶妙なハーモニーを奏でる。このようなシャッフルは、決して厳密でも緻密でもないが、しかし暴力的なまでに精密な作業によってなされる、一種の賭けである。この賭けが見事に成功した場合、圧倒的な加速力をもって、音楽を突き抜ける。

                                *

 また『ロス・バン・バン1974』は次のことにも成功している。それは、たとえばファンクなら、ファンクが潜在的に内包していながらそれまでの既存のファンク・ミュージシャンが決して具現化することなく潜在的なものとしてとどまっていたファンクの持つ別の可能性を開放するという困難をも、見事に達成している。ある音楽的要素が潜在的に内包していながら、その魅力が開放されず眠ったままでいるなどということがありうるのか? このように問う者がいるならば、たとえばかつてのジミ・ヘンドリックススティービー・ワンダーの作品を振り返ればこのことがたちどころに明らかになるだろう。

 ジミ・ヘンドリックスはロック・ギタリストの最高峰だが、その演奏は深いところでブルースに根差している。だが、ジミ・ヘンドリックスのブルースは、およそ既成のブルースの枠組みにおさまるものではない。それは決定的に新しい。彼はブルースの持つ可能性を最大限に開放し、それを、ロックの創始者と言われるチャック・ベリーに始まりローリング・ストーンズなどに至る、60年代後半までに体現されたロックの持つ可能性へと接続し、ブルースと、それからブルースがその源流のひとつであるロックとを再統合しつつ、ときには更に他の音楽的要素も交えながら、それらが潜在的に持っていた可能性を鮮やかに解き放っている。彼のアルバム『エレクトリック・レディランド』に収められた「ヴードゥー・チャイル」という曲は、エレキギターという楽器の特性を最大限に駆使しながら、ロックとブルースの最高到達点を高らかに宣言している。

 一方、卓越した作曲家であるスティービー・ワンダーだが、彼の作曲の能力は70年代において驚異的な輝きを放ち、その名曲群はいまやワールド・スタンダードといってよいほどの定番となり、様々な国の様々なミュージシャンによって演奏されているが、このスティービー・ワンダーの名曲群も、ソウル、R&B、サンバ、ボサ・ノヴァ、ラテンなどが潜在的に内包していた可能性を巧みに捉え、それらを混ぜ合わせ、現実化することによって、圧倒的な跳躍力をもって飛翔する力を得たのだ。

 一例を挙げると、スティービー・ワンダーの最高傑作と名高い『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』のなかの「アナザー・スター」。この曲は明らかにスティービー・ワンダーが独自に解釈したブラジリアン・サウンドであり(ブラジル北東部のココと呼ばれるリズムとも、あるいは中東部バイーア地方のリズムとも受け取れるものだが)、彼の解釈は既存のブラジル人ミュージシャンのものとは明らかに異なるものだ。その新解釈したブラジル音楽をアメリカのポピュラー・ミュージックに繋げて、結果としてスティービー・ワンダー以前にもなければ、その後の世代にもない、全く新しい魅力を備えている。

 同じように、たとえば『トーキング・ブック』収録の「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」は主にボサ・ノヴァを使っているし、また『インナーヴィジョンズ』 収録の「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング(邦題:くよくよするなよ)」はチャ・チャ・チャというキューバのリズムで始まり、途中からは更に他の要素も加わる。

 スティービー・ワンダーは、これら様々な音楽を絶妙な配合でミックスして、他にはない素晴らしい味わいの音を作り出すことに成功している。無論、彼の音楽的なバックグラウンドである、ソウル、R&Bといった要素もそれまでにない斬新なもので、グルーヴ感、スピード感、またバラードにおける叙情の官能性、いずれを取っても素晴らしい跳躍力を持って、既存のレベルから遥か彼方へと飛翔している。

 このようなジミ・ヘンドリックスの音楽も、スティービー・ワンダーの音楽も、それは新しい音楽である。彼らの作品が発表された当時として新しいのではなく、21世紀に入った現在においても、いまだに新しいのだ。

 同じことはキューバでも起こり、伝統的なソンの演奏に終始するバンドが決して具現化することのなかったソンの持つ別の可能性を開放し、それを他の様々な音楽と混ぜ合わせ、現実化している例を、アダルベルト・アルバレスやマノリート・イ・ス・トラブーコといったコンテンポラリーのキューバのバンドに認めることが出来る。もちろんそこにはロス・バン・バンも含まれる。様々な音楽はそれぞれ無数の可能性を内包している。このことは歴史を振り返るだけでも容易に見て取れる。
 
 一例を挙げると、ジャズ発祥の地であるニューオーリンズ。ここはアメリカにありながら、かつてフランスやスペインの支配下にあった。当然そこではフランス、スペイン、及び奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人、更にアフリカからの直行ではなく、カリブから連れてこられた黒人達が入り混じっていた。

 こうして、当時のニューオーリンズは様々な出自を持つ音楽が行き交い、交錯し、異質なもの同士の横断結合の状態にあるところだった。この結合のなされ方は、多方向的であり、混沌として、様々な発展の可能性を持っていたが、やがてそれら絶え間ない往来の只中にあった音の群れは、次第に一定の方向へと収束し、発展はその方向で折り畳まれ、様式化されていった。こうしてジャズと呼ばれる音楽がその産声をあげた。だが、この新しい音楽の誕生は、一方では、それ以外の無数にありえたであろう別の発展の可能性の消去でもあった。とはいえ、別の可能性は潜在的なものとして生き続け、いわば冬眠のように現実の地底へと入っていった。

 ところで、このような「異質な音の群れの絶え間ない往来」→「一定方向への折り畳み」→「様式化」という動きはニューオーリンズに限った出来事ではない。ファン・フォルメルは言っている。「伝統的な音楽と言われるもの自体が、すでにいろんな音楽の融合したものなんです。まず根本的に、スペイン音楽とアフリカ音楽が混ざっているわけですし、ダンソンにはフランス音楽の影響があります。それはキューバの音楽に限らず、ブラジル音楽にしても、アメリカ南部の黒人音楽にしても同じです。すべては混ざり合って出来た音楽なんです」注6

 浅田彰はこれと同じ言葉を別の表現で言っている。「そのような〈交通〉の只中からふり返ってみるとき、エスニックなものそれ自体が、もともと途方もない〈交通〉の産物としてあったのだということ、さまざまな民族の交叉の中で育まれてきたのだということが明らかになるだろう」注7

 全ては異質なもの、多様なものが混ざり合って誕生したのだ。あらゆる確立された文化の起源にあるものは、様々な異なる要素の、混ざり合いである。自分の文化の〈外〉との接触によって得た技術や情報を混ぜ合わせることによって形成されたのである。全ては異質な文化の混淆が一定方向に折り畳められることによって生まれた、というのは再度確認しておくべき事柄である。

 さて、ジャズであれ、ソンであれ、ルンバであれ、その誕生は、現実にそうなったものとは違う、他にもありえたであろう別のかたちへの発展を閉じるもので、別の可能性の消去であり、別の可能性は潜在的なものとして留まった、ということは既に述べたが、潜在的なものとして静かに生き続けた別の可能性は、1960年代に冬眠から目覚め、俄かに活気づくことになる。それも世界各地で、同時多発的に。ここで、『ロス・バン・バン1974』を、より大きなパースペクティヴの中で捉えるべく、1960年代から70年代前半にかけての世界的な流れを確認しておこう。何故なら、この時期の変化こそは、ヨーロッパの近代化以降の世界芸術における、一大転換期だからである。

                                *
 
 1960年代の後半というのは、近代的な、いわゆるモダニズムの運動が、終焉というか、飽和点に達した時代だった。モダニズムの運動とは、たとえば「象徴派」とか「野獣派」とか「シュールレアリスム」とか「ヌーベル・バーグ」などといった前衛が現れては、それ以前の芸術様式を否定し、芸術を新たに革新してゆく動きである。約束事や規則といったものから表現を開放し、それぞれの表現に内在する余分なものを徐々に削ぎ落として、各表現を純化してゆく。表現様式の絶えざる革新であり、このようなモダニズムの運動は、ある芸術ジャンルの伝統を、その内側から掘り崩してゆくもので、これが様々なジャンルにおいて、概ね60年代の後半には飽和点に達したというのはもはや教科書的な事実である。

 興味深いのは、クラシック音楽、演劇、文学のように19世紀において既に前衛による革新の動きがスタートしているジャンルのみならず、20世紀に入ってから前衛の動きが本格化したジャンルでさえも、同じく60年代には飽和点に達して、前衛の動きが終わってしまうことにある。たとえば、バレエがそうだ。バレエは19世紀においては芸術とはみなされていなかった。一般にクラシック・バレエと呼ばれるものはロマン派バレエのことだが、このバレエは19世紀の後半には、西欧においては衰退し、ただロシアのみが継承していた。ロシア・バレエは20世紀に入ってから、ニジンスキーストラヴィンスキーといった革新的な担い手を擁してパリに進出したが、バレエが芸術とみなされるようになったのは、はっきりと20世紀に入ってからのことである。ジャズが芸術とみなされるようになるのは更に遅い。ジャズは1940年代になってチャーリー・パーカーがビ・バップと呼ばれる新しいジャズを創始し、これによりモダン・ジャズの動きがスタートして、ジャズは芸術として認知されるようになる。このバレエやジャズも、共に60年代には前衛による過去の否定を通しての革新運動が飽和点に至る。とりわけジャズはモダニズムの芸術運動を短期間に思い切り圧縮した、モダニズムの縮図のような面を持っている。

 大雑把に図式化すると、モダン・ジャズは、「ビ・バップ」→「クール・ジャズ」→「ハード・バップ」→「モード奏法」→「フリー・ジャズ」という経過を辿った。この一連の流れは、譜面やコード進行といったものに縛られることなく、演奏をもっと自由なものにしようと既成の約束事から演奏を開放し、ジャズという音楽をその内側から掘り崩して、過去の作品を否定し、表現の様式を新たに革新してゆくという典型的な前衛の運動であり、フリー・ジャズの指導的存在にあたるジョン・コルトレーンの突然の死(67年)をもって終わる。フリー・ジャズは、その末期には、もはやメロディも構成も和音も何もない、音の垂れ流し的なものになってしまう。

 一方、フリーという言葉に対応するように現代音楽も偶然性という概念の導入により、それをもって現代音楽の革新運動は終焉し、他にも、たとえば絵画の場合は人物や物などの具象性がどんどんなくなり、同様にバレエや演劇も物語性というものがなくなり、そのどれもが、極端な形式化の果てに、もはや演劇が演劇として、絵画が絵画として存在できないようなレベルにまで推し進められて飽和点に達するのだ。

 たとえば、前衛的な劇作家の代表的な存在であるサミュエル・ベケットの演劇は、演劇に内在する余分なものとみなされる要素を次々に削ぎ落とし、演劇を純化させていった結果、新しい作品が書かれるたびにどんどん作品は小規模なものとなってゆき、ついには登場人物の唇だけが舞台にあり、台詞も異様に少なく、幕が開いたと思ったらすぐに終わる、というところまで行くし、同じく現代音楽も、ジョン・ケージがコンサートにおいてただピアノの前に座るだけで、全く音を出すことのないまま1曲を終えるという「演奏」を行うなどしてその極限まで行き始め、また絵画にしても、人物も物もあらゆる造型は描かれず、カンヴァスには、ただ色だけが塗られるという「絵画」が出てくる。こうなると、もはや演劇でもなければ、演奏でもなければ、絵画でもない。

 こうして様々な芸術が一様に飽和点に達してしまう。さながらモダニズムの運動の開始と共に徐々に新しい空気を吹き込まれることによって膨張していった風船が、やがては飽和点に達して破裂してしまうように。

 だが、風船は弾けてなくなっても、その中にあった空気がなくなることはない。ジャズという風船が弾けてなくなったとき、どういうわけか、ブラジル音楽という風船も弾けていた。60年代、ブラジルは軍事独裁政権のもとで表現は規制され、そのことだけが原因ではないとしても、後のブラジル音楽を牽引する主だった若手は続々と海を渡った。アイアート・モレイラアメリカに渡り、にわかに起こったフュージョン・ムーブメントの担い手達と次々に手を組み、同じくアメリカに渡ったセルジオ・メンデスは名曲「マシュ・ケ・ナダ」の大ヒットなどを飛ばして活躍し、他にも、たとえばジルベルト・ジルはイギリスへ移住し、ローリング・ストーンズらと出会っていた。もちろん、ブラジル国内にとどまった人々も新しい実験的な試みを活性化させていた。

 更に、モダニズムの運動の飽和など関係ないところで、ファンクやロックの風船も弾けていた。たとえば、ジミ・ヘンドリックスマイルス・デイビスの自宅で、マイルスにピアノを弾いてもらったり、レコードを聴いたりしながら、マイルスの方法論を学び、一方でマイルスはジミ・ヘンドリックスから、エレキギターのもつ可能性を学んでいた。「ジャズの帝王」と呼ばれたマイルス・デイビスと、ロック・ギタリストの最高峰ジミ・ヘンドリックスは、互いに学びあい、高めあう、朋友でもあったのだ。そのフィードバックが、70年前後における彼らの音楽に反映していた。

 総括的に述べると、近代という時代は、物事の流れを一定方向へと折り畳み、自己批判による自己純化を推し進めて、ひたすら突っ走った。それは巨大なダイナミズムであったが、一部を除いて、異質なものとのめくるめく混淆という事態は起きなかった。60年代後半に至るまでの動きは、過去の作品を否定し、そのことによって物事を新たに革新するという時間的な差異の認識に基づくもので、空間的な差異、空間的・地域的な他者の文化との絶え間ない往来という事態は、先程挙げたロシア・バレエなどの一部の例外を除いては殆どなかった。異質なもの同士の出会いが僅かしかなかったのではなく、異質なもの同士の出会いは頻繁に起こっていたが、そのような出会いがあったとしても、自己の領域内での表現の革新に終始してしまったのだ。

 だが、精神分析的な視点を待つまでもなく、一定方向への流れが極限まで推し進められると、それまで閉じていた、自分とは異なるものへ向かう、自己の外部へと向かう、異質な文化を求める意志が、欲望が、脅迫的に生まれる。他なるもの、異質な文化の、自己の表現への導入、混ざり合い。坂本龍一は自身のオペラ『LIFE』において、ゴダールの『映画史』さながら、「20世紀音楽史」 と呼べる壮大な試みをしているが、その際に浅田彰との対談の中で、次のように語っている。「つまり、60年代までは、音楽はいつも進歩しなきゃならないという単線的な進歩史観があった。それがなくなっちゃって、同じ土俵の上に、1000年前のケルト音楽もあれば20世紀の前衛音楽もある、エスニックな音楽もあればヨーロッパ音楽もある、そういう一種のプラトー状態になったというのはとても大きな意味があると思うんです」注8

 一方で浅田彰も次のように語っている。「音楽のみならず、いろんなジャンルで歴史が加速されたあげく煮詰まったという感じが70年前後にあって、しかし、よく考えてみたら、その単線的な歴史の外側に、ありとあらゆるものが空間的に分布していた、じゃあ、そういう空間的な広がりに向かっていこう、と」注9。そういう流れの中で、西欧の外側から『ロス・バン・バン1974』は突如として現われたのだ。ロス・バン・バンキューバという、あるいはラテンという「エスニック」な「辺境」に押し込み、その中でみるのではなく、世界史的なパースペクティヴの中で評価することも、そろそろ試みられてしかるべきなのだ。

                                *

 かくして、それぞれのジャンルが、その内側から進歩することは終わった。なにしろ自由を求めて表現を新たに革新すべく、様々な表現者があらゆる試みを行った結果、どの芸術ジャンルにおいても、もはや作品自体が成立しないような極限まで行き着いたのだから。これによって時間的な流れは閉じた。もはや各ジャンルが、それ自体として自立的に新たなものを生み出す術は絶たれ、他なるものと融合する道へと向かわざるをえない。だが、進歩は止まったものの、単線的な進歩から空間的な異種交配への転換によって、新しいものの創造ということの真の意義は、むしろこのときから始まったともいえる。

 もちろん、このような異種交配は近代以前から連綿と行われ、織り成されてきたが、1960年代から70年代にかけて出現した事態は、それ以前までのものとは根本的に性質が異なるものだ。というのも、飛行機などの交通輸送手段、CDをはじめとした複製技術、及び情報通信技術の飛躍的な発達によって、軽々と他なる文化との接触が可能になった結果、表現者にとっては、いまや全地球的規模で、人類史上のあらゆる文化、あらゆる表現が、彼にとって射程範囲となったのだ。坂本龍一が言うように、現在においては1000年前のケルト音楽と20世紀の現代音楽が同じ土俵にあり、それらを融合することが可能で、更にそこへサンバやジャズ等を投げ込み、互いに結び付けてひとつの作品を作ることが出来る。原理的には、表現者は、いまや何と何をどのように接続し、どのようにミックスさせても構わないのだ。

 このことを理解するにはファッション業界が最も解り易い。民族衣装を元にそれを抽象化した衣服にジーンズを合わせて、更にそこへヨーロッパの古典的なパッチワークを編み込むということが、ごく当たり前のようになされている。もちろん、民族衣装ひとつをとっても地球の各地に数限りなく存在し、それら民族衣装のどれかひとつを取り上げて、そこへ別の何らかのものを幾つも組み合わせるとなると、その組み合わせの数的な可能性は、もはや無限といってよく、およそ数えられ得るものではない。全地球的規模で、人類史上すべての表現が、ひとりの表現者の射程に入ったというのは、こういうことだ。そして、ここにおいて、種々様々に結び付けられる各要素の、組み合わせの度合いは、もはや無限である。

 テクノロジーが未発達だった前近代のように、狭い範囲、少ない情報に限定されるような制約はなく、またいかなる規制もなく、いまやひとりの音楽家の眼前には、世界の歴史上に生まれた膨大な量の音楽的素材があり、加えて、戦争などの条件を除けば、どのような人種、どのようなスタイルのミュージシャンとのコラボレートも成し得る状況で、その選択肢の広さは見渡す限りの砂漠に投げ出されたかのように広大なものがある。モダニズムの終焉によって、単線的な進歩こそ閉じたものの、各要素の結合の度合いは、融合の比率は、無限となったのだ。このような時代にあっては、表現者にとって自分の作品を質的に強いものにするためには、まず何よりも、この無限を肯定することが肝要である。  

 1964年に発表され、のちに論文集『コミュニケーション〈ヘルメス1〉』の序論として収録されるミシェル・セールのエッセイ「コミュニケーションの網の目― ペネロペ」は、このような状況を予言的に示唆している。セールは単線的な流れを「線形性」 、複数のものが交錯する異種交配的なものを「図表性」というモデルに抽象化して考察し、後者の優位を語っている。「線形性から図表性へ向かうと、あり得る媒介の数は豊かになり、それらの媒介はしなやかなものになる。もはやひとつの線、ただひとつの道などはなく、一定の数の道や、確率的な分布があるのだ」。

 既に述べたように、「線形性」とは一本の線、つまり単線的なもの、「図表性」とは、複数の(互いに異質な)線が多彩に入り混じり、交錯し、混淆状態にあることを指す。事実、ここに引用した文章の前の段落において、セール自身が線的モデルについて「単線的」、図表的モデルについては「多様性や複数性で特徴づけられる」と書いている。そして、当然ながら、この「線形性」「ひとつの道」とは、モダニズムの「単線的な進歩史観」、「単線的な歴史」に対応し、「図表性」は、様々な要素が入り混じり、交錯した、空間的な異種交配に対応するといえる。また、セールはこのエッセイにおいて図表性の他に「網の目」という言葉も頻繁に使っており(それは「図表的網の目」というふうに結び合わされもするのだが)、このことからも、多方向からの様々な要素が入り混じり、異質な要素が交錯して横断結合する状態は、文字通り複数の線が入り混じって交錯する「網の目」のごとき図表的モデルに抽象化し得るのだ。

 こうして、セールは2つのモデルを対比しながら、「線的モデルに対する図表的モデルの優越」を唱える。「幾つかの入力と多数の接続を持つ推論が、諸理由の線的な連鎖よりも豊かで柔軟である」、「だから形式的なモデルのレベルでは、線から空間へと移行する」、「つまり、このモデルは次元を変更しているわけだ」。このように、セールは同じモデルについて何度となく変奏しながら、図表的モデル、つまり様々なものが空間的な広がりのもとに交錯し、結びついて横断結合することの重要性を説いている。

 もっとも、セールは科学的であり、このモデルを来るべき時代の特徴として語っているのではなく、いつの時代にも対応しうる一般的なところで語っているのだが、とはいえ、このモデルが、単線的な進歩史観の終焉による空間的な異種交配へという、1960年代から70年代にかけて起こった不可逆的な変化の流れにぴたりと対応することは明らかである。ひとつのジャンルの内側に閉じこもり、その内部で物事が発展するよりも、様々な要素が交錯して混じり合う、異種交配的な創造の方が、はるかに豊かであるというのだから。セールが図表的モデルの優位を説く何よりの理由は、それが「線形性を最終的に打ち砕くからこそ」であり、図表的モデルという言葉によって抽象した、異質なもの同士が混じり合う異種交配の世界においては「あり得る媒介の数は豊かになり、それらの媒介はしなやかなものになる」のだ。そのためには、何よりも無限を肯定することが肝要である。そして、ジャズだとか、ロックだとか、ラテンだとかいう枠組みを投げ捨て、そこからの孤児になって、空間を横断し、異種交配する世界へと、おのれの身を投げ込むこと。もちろん、この孤児とは、寂しさの漂う孤児ではなく、限りない自由を行使することの歓びを噛み締めた、快楽的な孤児である。

 ところで、無限とは無際限に広がる世界ではなく、逆に世界とは空間的に閉じているからこそ無限なのだ、という逆説を提示したのは柄谷行人の驚嘆すべき名著『探求Ⅱ』であるが、この逆説は時間に関しても適用されるだろう。既に我々は、1960年代から70年代にかけての変化において、各要素が融合される、その組み合わせの比率は無限であるということを見てきた。しかし、何故このような事態が起こったかというと、単線的な歴史観に基づく各ジャンルの進歩が飽和点に達したからなのだが、モダニズムにおいては「―派」、「―主義」という言葉に代表される前衛は、常に開拓し得る新しい領域があるという認識によって、おのれの表現の内側にとどまり、各芸術ジャンルの外へ出て全面的な異種交配へと向かうことはなかった。しかし、現代においては、各ジャンルの内側に閉じこもったままでは、もはや新しい領域を開拓することは出来ない。開拓し得る新しい領域は残されていない。ベケットの演劇その他を例に挙げて論じたように、もはや作品自体が成立しない極限まで行き着き、表現様式の革新は飽和点に達してしまったのだ。

 ここで時計の針を戻して、21世紀の現在において、各ジャンルの内側からのみ表現を革新させようとしても無駄である。そんなことをしても結局同じところに行き着くに決まっているし(たとえば80年代のジャズの状況は、一部の例外を除いて、大半がビ・バップ/ハード・バップに戻り、そこに居直ったが、これは新たな可能性を求めて他なるものとの異種交配へと向かわなかったからだ)、そもそも過去の繰り返しをすることには何の意義もなく、そのような目論見は言葉の正確な意味で反動的である。

 もはや各ジャンルが自立的に新たなものを生み出すことは出来ず、新しいものを生み出すためには他なるものとの融合を目指す以外にはない。これが時間的な進歩は閉じた、ということである。しかし、単線的な進歩が閉じながらも、そこで眼を凝らすと、ありとあらゆるものが空間的に分布しており、それら様々な要素を融合することは、原理的にはどのようにでもなしえる訳で、逆説的ながら、閉じたが故に、表現の世界は無限になったのだ。モダニズムの末期における次のような認識、もうこのままでは立ち行かない、発展の道は閉じてしまう、こういう思いが表現者のまなざしを外に向けさせ、無限なる全面的な異種交配への展望を可能にしたのである(もちろん、そこにはテクノロジーの大幅な発展も寄与していることは既に述べた通りである)。

 かくして、いまや、新しいものとは、異質なもの、多様なものが混ぜ合わされることによって生まれる。というか、新しいものは、異質なもの、多様なものが混ぜ合わされることによってしか生まれない。ヴィジョンの独創性と、そのヴィジョンのもとになされる様々な要素の結合の度合いが、融合の比率が、それを決定する。それまでとは全く別のやり方で表現を行う時代が到来したという真の意味はここにある。

 ジル・ドゥルーズは、まさにこの転換期である68年に出版された主著『差異と反復』の序文で次のように言っている。「ひとは哲学の書物をかくも長いあいだ書いてきたが、しかし、哲学の書物を昔からのやり方で書くことは、ほとんど不可能になろうとしている時代が間近に迫っている」。これは哲学だけの話ではない。あらゆる表現に妥当する普遍的な事態だった。そして、このような認識を持っていたドゥルーズは、70年代に入って、フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』、更にそれに続く『千のプラトー』において、従来の哲学書とはまるで違う、他のどの書物にも似ていない、驚くべき斬新な、とても哲学書とは思えない驚異的な哲学書を発表した。だが、このような進化とは、そう簡単になされるものではない。この論稿では、真に新しいものを生み出す異種交配ということについて、これまでは半ばメルヘンチックなまでにそれを謳ってきたが、とはいえ、突然変異的な進化など、そう滅多にあるものではない。むしろ、私は進化に向けて努力している、そう自認している者が、本人の自認にも、更には彼と近い周囲の評価にも反して、新たな地平に進むどころか逆に後退している例を幾らでも見ることが出来る。

 ここには幾つかの困難がある。まず、横断的な異種交配へ向かったとしても、そこで多様な要素の単なるつぎはぎに終始してしまっては、何ら新しいものを生み出してはいない。これでは、せっかく横断的な異種交配へと向かっても何にもならない。更に、多数性、多様性を強調して表現を行いながらも、そこでの多様性がある囲い込まれた範囲の中に過ぎない「管理された多様性」であったり、加えて、何らかのひとつの要素を退行的に強化するべく、「捏造された多様性」も存在し、それに囚われて、結局のところひとつの枠組みの中にとどまってしまうこともある。しかし、目指すべきは、無限なる全面的な異種交配による進化である。いまや本当に新しいものを生み出すための可能性の中心は、そこにしかないのだから。

 では、進化に必要なこととは何なのか? その最低限の条件とかいかなるものであるのか? ここで、いま一度、68年のドゥルーズの言葉に耳を傾けてみよう。同じく『差異と反復』の序文の中で彼は言う。「ひとは、おのれの知の尖端でしか書けない、すなわち、わたしたちの知とわたしたちの無知を分かちながら、しかもその知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書けないのだ。そのような仕方ではじめて、ひとは決然と書こうとするのである。無知を埋め合わせてしまえば、それは書くことを明日に延ばすことになる。いやむしろ、それは書くことを不可能にすることだ」。無論、これは「書く」ことにのみ該当するのではなく、あらゆる表現において普遍的に該当するだろう。本質的な表現とは、おのれの知っていることと知らないことの境い目で、いやそれどころか、その知と無知とが混じり合う、そのぎりぎりのところでしか、なしえない。そのせめぎあいの中で、新しい表現は生まれる。だが、それは具体的にどういうことだろうか?

                                *

 マイルス・デイビスは1969年から70年代前半にかけて、驚異的な変貌を遂げ、数年間のうちに素晴らしい音楽を創造し続けた。ミュージカル・ディレクターとしての彼の才能はこの時期、フル回転で全開していた。ところで、マイルス・デイビスは1960年にジャズ史上に燦然と輝く名盤『カインド・オブ・ブルー』を残しているが、この作品に関して、マイルスはギニアのアフリカ・バレエ団に深くインスパイアされたという。このバレエ団の公演を受けて、彼は自身の自叙伝の中で次のように言っている。「オレはアフリカ人じゃないから、自分には出来ないことはわかっていたが、でも気に入った。彼らをコピーしようとは思わなかったが、コンセプトを学ぶことは出来た」。とはいえ、マイルスの場合、自分には出来ないからコピーしないというのではなく、モダン・ジャズ全盛期にあっても、同時代同国人のジャズマンの誰の演奏もコピーしようとはしていない。研究し、そのコンセプトを学ぶという点で彼の姿勢は常に一貫している。

 コンセプトを学ぶということは、具体的なひとつひとつの表現を分析し、抽象化して、その表現に固有の、何らかのエッセンスを抽出することである。そして、ここが肝心だが、抽出されたエッセンスは、研究の対象となった表現と同一ではありえない。というより、どれだけ厳密な思考と分析力をもってしても、抽出されたエッセンスというのは、必ずその対象となった表現とはズレがあり、誤りがある。だが、新しいものの創造とは、他の作品の“生産的な誤読”である。十分な知識と、厳密な思考と、鋭い感覚の持ち主が、誠実に向き合った結果として行う他の作品の読み違えこそは、物事を刷新する駆動力である。

 一例を挙げよう。モネやゴッホ印象派後期印象派の画家達は日本の浮世絵に衝撃を受け、浮世絵から非常に大きなインスピレーションを受けた。モネは浮世絵のコレクターであり、彼の浮世絵のコレクションは現在残っているだけでも軽く200枚を超える。ゴッホはモネよりも更に多く、実に400枚以上の浮世絵を所有し、それどころか浮世絵の模写まで行っている。

 しかし、それでいて、彼らによる浮世絵の理解は、もちろん誤解である。だが、それでいいのだ。生産的な誤読こそが、新しいものを創造する。ここで彼らが浮世絵の理解について完全に正解してしまったら、どうして新しいものが生み出される契機となるだろう。ドゥルーズの言うように、無知を埋め合わせてしまったら、未来へ向けてのアクションは起きない。そもそも完全な正解などありえる訳がない。もちろん、このことは深く知らなくても構わない、ということではない。むしろ、強烈に知ろうとするのだ。対象と誠実に向き合い、強烈に知ろうとする努力の果てに、その結果として、理解がズレる。こういった知と無知をめぐるぎりぎりのせめぎあいの中でなされる生産的な誤読こそが、新しいものを生み出しうる。だからこそ、ある表現が潜在的に内包していながら現実化されることのなかった別の可能性を開放するということがありえるのだ。ましてやそれが、表現者自身にとって、自分とはまったく異なる文化である場合は尚更だ。

 ところで、印象派の画家達こそは絵画におけるモダニズムの前衛の運動を本格的にスタートさせた者たちであり、進化の条件を探るのに、何故近代の表現者を例に挙げるのか、そう疑問に思う見方があるかもしれないが、根本的に変化した部分もあれば、何ら変わることのない普遍的な部分もあり、両者を混同しては大いなる誤謬を招く元となる。他なるもの、他者の文化と、どうやって向き合うかという点において、近代だろうが、前近代だろうが、原理的には何ら変わるものではない。だからこそ、17世紀に描かれたフェルメールの絵画はいまだに全く新しいものとしてあり続けているのだ。どうあっても、表現行為とはひとが行うものであり、どれだけ時代の状況が変わろうと、他者性とどう向きあうかということに、何の変化があるだろうか。モダニズムの運動が終わったとはいえ、あらゆる全ての事柄が変化したわけではない。そこを取り違えてはならない。

 それにしても、今日の課題は、近代によって一定の方向へと回路付けられた流れを、全面的な異種交配のもとに多方向化することにあるが、ここで大きなパラドックスが生じる。つまり、前衛によるモダニズムの運動は終焉したとはいえ、そこで近代の成果まで清算してしまっては、いったい何が残るのか、ということだ。近代が終わったといっても、前衛が各表現を極めて高度なレベルにまで押し上げたことは事実であり、近代に生み出された数々の成果を放り出してしまっては、我々の手元に残るのは、非常に限られたものになる。近代の成果を清算してしまっては、あとには白痴的な後退しか残されていないだろう。単線的な進歩から空間的な異種交配へという転換のなかにあっても、近代性を放棄してしまったら、我々にとって、使える武器は極めて乏しいものになってしまう。近代的な意識を持ち、近代の成果を最大限に生かしつつ、それでいて近代の前衛とは別の可能性へと向かうこと。あくまでも前衛は終わったという認識は持ちながら、しかし近代的であることが、逆説的ながら、新たな地平への飛躍を可能にするのだ。

 新しい地平へと地盤を変更するためには、近代の成果を十分に踏まえ、それを生かしつつ、途方に暮れるほど全面的に他なるものと混じり合うことが必要になってくるのである。重要なのは、近代の方法論を内在化しつつ、その〈外〉に出ることである。

 さて、ゴッホは浮世絵の模写を行っているとはいえ、もちろん浮世絵の真似をすることが目的なのではなく、彼が浮世絵の模写を行うのは、自分独自のヴィジョンのもと、新しいものに向けて既存の表現を活用するためである。そのために前段階として、模写による研究が必要になるというだけのことである。これはギニアのアフリカ・バレエ団に深くインスパイアされ、そのコンセプトを研究したマイルス・デイビスにしても、その他あらゆる優良な表現者すべてが同じだろう。他なるものに対する彼らの徹底的な研究は、あくまでも、新しいものに向けて既存の表現を活用するためで、ヴィジョンは彼ら独自のものである。このことは、他なる文化を薄めたり、飼いならすこととは違う。優れた表現者に共通しているのは、他なるものを前にしての、驚きであり、新しいものに向けて自身の表現との融合を果たす前に、自我を根底から揺さぶられ、打ちのめされるという過程を必ず含んでいる。

 マイルス・デイビスは、ギニアのアフリカ・バレエ団のフィンガー・ピアノと歌と打楽器の演奏、及びそれらとダンサーの動きとの総合的なアンサンブルに魅了されたが、彼の驚嘆する様子は自身の自叙伝にはっきりと記されている。「ステップやら飛ぶような跳躍やら、連中がやっていることにびっくりさせられ通しだった。それに彼らのフィンガー・ピアノと歌を聴いたときの衝撃といったらなかった。素晴らしかった。あのリズム!」「ダンサーのリズムは並外れていた。見ながら、オレはついついリズムを数えていたが、彼らは軽業師だった」「ドラマーのひとりは、ダンサーの宙返りなんかを見ていて、ジャンプすると、ダ、ダ、ダ、ダ、パウ(Da Da Da Da Pow!)と、素晴らしいリズムで叩くんだ。着地のときもそうだ。しかもそのドラマーは、全員の動きをしっかりと、ひとりも逃さずに把握していた」「他のドラマーもみんなビシッと合わせていた。で、彼らは、4/5や6/8や4/4といったリズムを叩き、しかもそれは常に変化し、弾け飛んでいた。まさに、彼らの裡にあるアフリカの、あの極意としか言いようがなかった」。このように圧倒されながら、マイルス・デイビスの頭にあったのは、自分には出来ないという思いである。

 一方、印象派後期印象派の画家達も、狂気的に日本の浮世絵の虜になりながら、苦闘の連続を強いられた。批評家のアドリアン・デュブシェは当時の模様を次のように書き伝えている。「ジャポニスム! 現代の魅惑。我々の芸術、モード、趣味、更には理性においてさえも、全てを侵略し、全てを支配し、全てを混乱に陥れた、無秩序な熱狂……」注10。これら以外にも、たとえばドイツの作曲家ワーグナーのオペラに衝撃を受けたボードレールマラルメといったパリの詩人達も、当初はただ圧倒され、殆ど途方に暮れながら、しかしそれによって大きなインスピレーションを受けつつ、ワーグナーとは違う道を模索して、マラルメなどはその後独自の舞台芸術論を展開し、また、マラルメと同時代の作曲家ドビュッシーも、同じくワーグナーとは違う道へ行き、全く新しいオペラを構想するに至る。この一連の動きはやがてパリに進出したロシア・バレエと結びつき、そこから20世紀芸術の新たな火の玉が幾つも飛び出すのだ。

 他なるものの衝撃を受け、打ちのめされ、誰もが、狂気的に熱中し、あるいは途方に暮れている。しかし、途方に暮れない者がいったい何をなしえよう。途方に暮れるとは、それだけ他なるものの肉体性を中和させたり、飼いならすような真似をしないということである。「その知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端」を放棄してはならない。他なるものの肉体性をあらかじめ骨抜きにしてしまっては、本質的なことは何も生み出しえないのである。もちろん、困難な道程ではある。とはいえ、他なるものの驚異の前に圧倒されながら、それでいて想像力をフル回転させて、大いなる歓びのもとに困難な行いをプレイしてしまうことが重要なのだ。その際には、近代の成果が大きな武器となる筈だ。

 こうして、他なるものの肉体性を失うことなく、他なるものの本質的な要素を突き、別の可能性を捉えて、そのエッセンスをおのれの表現に移植して、これまでとは全く異なる新しいものを生み出すこと。それは一方で、自分の文化に対しても抽象化を行うだろう。マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』 はモード奏法の代表作とみなされている。もちろんジャズだ。当時のマイルス・デイビスはジャズにおける前衛の旗頭であり、『カインド・オブ・ブルー』は典型的な前衛の産物である。マイルス・デイビスはモードの時点においても既にギニアのアフリカ・バレエ団という、他なるもの、異なる文化と出会い、惜しみない賛辞を送りつつも、その一方では打ちのめされながら、決してアフリカ・バレエ団の他者性を飼いならすことなく、別の可能性を捉えて新たな音楽を築き上げたが、とはいえ、その音楽はまだジャズの範疇でやれるものだった。彼の音楽が、ジャズそのものの文脈から、その外に出る必要はなかった。しかし、69年において事態は異なる。

 それまでジャズ・ミュージシャンとしてやってきたマイルスは、この時期、ついにジャズそのものさえ、自分の音楽の構成要素のひとつにして、基盤としての役割となし、ジャズさえも抽象化して、根本的な別の可能性に向けて開放し、全体としてジャズという領域の外へ出ざるをえなかった。このような地盤の変更は、「ジャズの帝王」とまで呼ばれた彼が、ジャズの革新に限界を感じ、ジャズという枠組みを放棄して、ジミ・ヘンドリックス、ブラジルから渡米してきたアイアート・モレイラ、イギリスの作曲家ポール・バックマスター等といった様々な人物達と次々に混じり合い、多種多様な交通へとその身を投げ込んだからである。その一方で、多種多様な人々と混じり合うことによって、ジャズの内側にとどまったたままの、モダンな前衛の意識のもとでは決して見出せなかったであろう、ジャズの持つ全く別の可能性をも、マイルス・デイビスの眼は捉えていたといえる。

 実のところ、自分の文化の別の可能性というものも、他なるものとの接触を通して、翻って見出されるものである。他なるものの肉体性を飼いならすことのない、他なるものとの根源的な接触が、それまでにない視点を獲得させるのだ。このようにして見出し、手に入れた多様なものを、各要素が相互に浸透し合うべく、独自のヴィジョンのもとに融合すること。ここにおいて、マイルス・デイビスは新しい地平へと突き抜けたのである。以後、70年代前半に至る彼の音楽は名付けえぬものだ。それはもはや、ジャズでありながら、ジャズとは呼べない。後の世代まで含めて、他の誰の音楽にも似ていない。この時期の眩いばかりの名作群は、ただマイルス・デイビスの音楽と、彼の固有名で呼ぶ以外にない。同じことはロス・バン・バンにもいえる。

 キューバ特有のビートは、主にドラムスのチャンギートの手によって、高度に抽象化されている。また、リーダーであり、ベーシストでもあるファン・フォルメルは、アコースティックなウッド・ベースばかりが使われていたキューバの状況において、既に60年代の半ばにはエレキ・ベースを導入した先駆的存在であり(このエレクトリックの導入の時期は、エレクトリック・サウンドの斬新な導入で名高いマイルス・デイビスよりも早い)、加えて、彼のアレンジと作曲の理論は、かつて彼がトラディショナルなキューバ音楽のバンドのみならずジャズ・バンドにも在籍していたという経験、更には尊敬すると言ってはばからないビートルズなどのロックから得たものを、この上なく生かしている。彼らに代表されるこの時期のロス・バン・バンの音楽も、後の世代まで含めて他のどの音楽にも似ていない、極めて単独的な魅力に溢れている。それはソンでありながらソンではなく、サルサでもなければ、90年代にキューバにおいて一大ムーブメントとなるティンバでもない。ただロス・バン・バンの音楽と、それも1974年のロス・バン・バンの音楽としか呼べないものだ。

 かくして、マイルス・デイビスがジャズの方法論を極限まで突き詰めた果てにジャズという領域の外へ出たように、ロス・バン・バンも既存のキューバの音楽の方法論を内在化しつつ、その外へ出たのだ。彼らが出た場所は、様々な要素の組み合わせの可能性という点において、無限の世界だった。

 ところで、ここにおいて、進化の条件とは何かという問いの答えが、ようやくそのはっきりとした姿を見せつつある。つまり、モダニズムの成果を最大限に生かしつつ、理論を徹底的に構築しながらも、それが内部で自己完結的に纏まるのではなく、徹底化した理論がもはやそのままではどうあっても通用しない程の他者と交わること、つまり〈外〉へ出ること、それも一度〈外〉へ出てそのままそこに安住するのではなく、繰り返し新たな〈外〉へ出続けること、そして異質なもの、他なるものと交わり続け、思考し続けること。これ以外に進化の条件はないだろう。ドゥルーズの言う「知の尖端」、「おのれの知と無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端」とは、このような他者との絶え間ない往還以外にその起源を持たないだろう。

 実際、ドゥルーズ自身の哲学も、モダニズムの成果を最大限に生かしながら、独自のヴィジョンのもとに既存のものの新しい可能性を捉え、それらを混ぜ合わせることによって成り立っているのである。彼が72年にフェリックス・ガタリとの共著で出版した『アンチ・オイディプス』という哲学書には、「器官なき身体」というものが最も重要な概念として提示されるのだが、この「器官なき身体」という言葉は哲学用語ではなく、演劇理論家でもあり文学者でもあったアントナン・アルトーの著書『神の裁きと訣別するため』に出てくる言葉で、それをドゥルーズガタリは独自に解釈し、進化させたのである。同じく『アンチ・オイディプス』には他にも「諸機械」「社会体」というこれまた重要な概念が出てくるが、こちらは明らかにカール・マルクスの『資本論』から抽出されたものである。ドゥルーズガタリはそれらの作品の新たな可能性を追求し、斬新なヴィジョンのもとに、アルトーマルクスをはじめとして様々な著述家を思い切り混ぜ合わせたのである。

 いまや、哲学の領域においてさえ、そこで行われていることは、ロス・バン・バンスティービー・ワンダー等が行ってきたことと、原理的には何ら違いはない。ドゥルーズガタリは哲学の領域における最高のバーテンダーであり、種々様々なものを混ぜ合わせることに関して、驚異的なシャッフルの可能性を開示している。

 一方、音楽の領域において、このような最高度のシャッフルの可能性を開示しているのが、1974年のロス・バン・バンなのだ。それにしても、本当に進化した、新しい作品とは、既に述べたように究極的には固有名で呼ぶ以外にないのだが、1969年のマイルス・デイビスとか、1974年のロス・バン・バンなどと言うと、まるで年代ものの特別なヴィンテージのワインのようだが、これは進化とは出来事であり、常に一回性のことであって、決して同じことが繰り返されることはなく、絶対的に模倣不可能であるということだ。

 ところで、1974年のロス・バン・バンには、ドラムスのチャンギート、オルガンのプーピ、フルートのホセ・ルイス・コルテスなど、それぞれの楽器における世界最高の技術とアイデアを持つプレイヤーが集まっていた。プロデューサーのファン・パブロ・トーレスサウンド・コンセプト、そしてリーダーであるファン・フォルメルの作編曲、ディレクションの能力はいずれも素晴らしいが、それだけでは『ロス・バン・バン1974』を奇跡のような高みへと導くことはなかった。ここに、グループとしてのロス・バン・バンの偉大さがある。バンドとして、グループ・ワークは完璧に機能した。それにより、極上のワインのような味わいの音楽が生まれるに到ったのだ。

                                *

 我々は、美しい音楽をこそ欲望する。何のためにか? 音の快楽に身を浸し、幸福な脱力感のなかで、記憶喪失に陥るために。

 音楽家は、その優れた技巧により、自らの奏でる音に甘美な化粧をほどこし、そうして、聴く者の心は裸にされる。

 その快楽の心地良さに身をまかせるために、我々は音楽を聴くのだ。

【後記】
 序説というか、第一章はこれで終わりである。後半部分は『ロス・バン・バン1974』とは直接関係のないことを書いたが、『ロス・バン・バン1974』を世界史的なパースペクティヴのもとで評価するために、最低限必要なこととして書いたものだ。かつて浅田彰がよく使ったヴィトゲンシュタインの言葉にならえば、これは登った後に投げ捨てるべき梯子のようなもので、次のステップへ行くための最低限の前提というべきものである。ともかく、この音楽をいつまでも「エスニック」な「辺境」に押し込めるのではなく、この音楽の持つ可能性をどんどん押し開いていくために、世界史的なパースペクティヴで見ることは不可欠だと思う。

 とはいえ、ゆくゆくは、この『ロス・バン・バン1974』さえも、新たな音楽創造のための良き材料として、若い世代がこれを積極的に活用してゆくだろう。近い未来において、音楽家が楽曲制作の際の肥やしとしてより一層有用なものとするためにも、優れた音楽に対しては、それ自体イマジネーションに溢れた批評を必要とする。

 *ところで、この序説を土台とした書籍を企画しています。豊かな音楽創造に寄与しうる、新たな批評文学形成のための書籍です。しかし、私には出版に関するノウハウも何もありません。なので、協力していただける方がおりましたらぜひご連絡ください。

 (注1)フリードリヒ・ニーチェ善悪の彼岸

 (注2)DJ KAZURUがおこなっているイベント、TIM★CUBAのHP

 (注3)ジャン・ジュネ泥棒日記

 (注4)ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』

 (注5)アントナン・アルトー『ファンゴッホ

 (注6)村上龍『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』

 (注7)浅田彰『ヘルメスの音楽』

 (注8)『Document LIFE』

 (注9)同上

 (注10)『モードのジャポニスム展』


 *その他感想等があれば、ツイッターをやっている方はぜひこちらまで。アカウントは「@suzukakanai」です。