「一遍あるいはニーチェ、推理小説としての音楽(2)」

 2012年の年明け、一部の音楽関係者の間では、あることが話題となり、フェイスブック上で次々にシェアされた。それは、「『般若心経新訳』の衝撃」である。一部を抜粋する。

 「超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
  誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。
  もっと力を抜いて楽になるんだ。
  苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

  この世は空しいモンだ、
  痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
  この世は変わり行くモンだ。
  苦を楽に変える事だって出来る。
  汚れることもありゃ背負い込む事だってある
  だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

  見えてるものにこだわるな。
  聞こえるものにしがみつくな。

  味や香りなんて人それぞれだろ?
  何のアテにもなりゃしない。

  揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
  それが『無』ってやつさ。
  生きてりゃ色々あるさ。
  辛いモノ見ないようにするのは難しい。
  でも、そんなもんその場に置いて行けよ。

  先の事は誰にも見えねぇ。
  無理して照らそうとしなくていいのさ。
  見えないことを愉しめばいいだろ。
  それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
  正しく生きるのは確かに難しいかもな。
  でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ」

 いかがだろうか? これを受けて、たとえば音楽評論家・小沼純一のウォールには、次のようなコメントが続々と寄せられた。「これはすごいラップですね」、「日本にこんなすごいラップがあったんですね」、「すごいグルーヴ感」。まさにその通りで、通常我々が仏教の経典に抱くイメージとはおよそ程遠い、優れてヒップホップ的なものであり、この内容に、一時音楽関係者たちは騒然となったのである。

 読めば一目で解るように、言葉の意味においても、リズムにおいても、非常にヒップホップ的なもので、まさにグルーヴに乗せてこそ、より光り輝くような言葉の群れに満ちている。そして、どう聞いたって、踊れるのだ。現代のヒップホップ・アーティストが、クラブでこのような詩をラップし、それを受けてフロアの聴衆たちが踊っていたとしても、何ら不思議ではない。

 一方で、それに先立つ2011年の年末に、ミュージシャンの七尾旅人は、明治時代に欧米ツアーを敢行し、行く先々で人々を熱狂の渦に巻き込んだ川上音二郎のグループの音源を、フェイスブックにおいて自身のリンクにシェアした。そしてこの音源をめぐっても、ラップが話題の的になったのである。七尾は、彼の周囲の人々とラップ談義を交わし、更に次のように言っている。「この曲は妙にカジュアルというか、……弾けるようなPOPさがあって、自由童子を自認した音二郎さんの人柄なのでしょうか、凄く現代的な響きを持っていて驚きました」。

 ちなみに、この音源はユーチューブにアップされてあり、インターネットを立ち上げれば誰でも視聴出来るのだが、そこにも様々なコメントが寄せられている。人によって感想は様々である。ちなみに私は、この音源を聴いて即座にキューバのラップを連想した。キューバの若手・中堅のアーティストがおこなうラップと非常に似たものを感じたのだ。他にも、たとえば、「もしかしてこれ、世界最古のラップなるんじゃないのか」などという感想が寄せられているが、しかし確かにラップではあるのだが、とはいえ、「世界最古」ということには留保を要する。

 ところで、この音源はその後、これまで数々のレーベルの立ち上げに携わってきた音楽プロデューサーの牧村憲一もシェアしているのだが、そこで牧村は次のように言っている。

 「子ども時代に覚えたオッペケペー節とはまったく違いました。これで頭をよぎったのは江利チエミのことです。若くしてジャズを歌うことが出来た彼女は、花街で育っていました。そこで朝から晩まで流れていた音楽とジャズには共通性があったそうです。洋楽的な影響と言われるリズムが、輸入されたものばかりではなかったということでしょう」。

 ジャズ、ラップ、ヒップホップ……、これらに類する音楽が、実は以前から日本にもずっと存在していた、俄かには信じられないかもしれないが、しかし川上音二郎の音楽は、明らかに日本の土壌で育ったものである。そもそも、前回において、一遍の踊念仏親鸞の和讃について網野善彦を援用して述べたように、たとえば一遍の一行は、遊行に際して、行く先々で舞台をつくり、舞台上で踊念仏を舞い踊り、その熱狂する状態のなかで見る人々も熱狂に誘い入れていくという布教のスタイルをとっていた。一遍の踊念仏は踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)と呼ばれるもので、生命力の解放をテーマとし、多くの人々と歓びを分かち合うためのものだった。男女がステップを踏みながら、頭を振り、肩を揺すって踊り、そうして、見る者を熱狂の渦に巻き込み、人々を虜にしていった。

 このことをだけを見るならば、かつてエルビス・プレスリージェームズ・ブラウンなどがそのステージ・パフォーマンスで人々の心を掴み、熱狂的なファンを獲得していったのと同じである。更に注目すべきは、時宗と般若心経の密接な関係である。これはかなり密接なものがあるのだ。という訳で、片方にあのようなヒップホップ的な詩があり、そしてもう片方にファンク的なステージ・パフォーマンスがあった、一見すると信じられないことだが、しかしこれは事実なのである。それにしても、これはどういうことか? 「エクリチュールとしての聖書」において、柄谷行人は次のように言っている。

 「昔私は、法事の際、聞きなれていたお経を漢文で読んでみて、何と下世話なことが書いてあるんだろうとあきれたことがあったが、『聖書』にかんしても同じであった。『聖書』の翻訳が避けられてきたのは、その中身がいささかもholyではなく、『神の言葉』でもないことが明白だからだろう。『聖書』はまさに、エクリチュールであるがゆえに『聖なる』ものだったのである」。

 しかしこれは、逆に言うと、世界宗教の言葉というのは、歌うところに本質があるということでもある。キリスト教に関しては今更説明するまでもないだろう。讃美歌というのは、まさにそれにあたる。歌うことを通してholyになるのだ。だが、一遍にしても、踊念仏というかたちで、念仏をダンスと共に、つまり音楽でおこなっているわけであり、このことは親鸞にしてもそうで、当時浄土真宗門徒たちも、リズムに乗せて念仏を歌っていたのだ。

 それにしても、鎌倉仏教は、何故舞台までつくって路上でこのようなライヴイベントをおこなったのだろうか?

 仏教にかかわらず、世界宗教の本質は、共同体や地縁といった閉じた領域の外において、他者を愛することを説いている。そうして、世界宗教は、共同体や地縁の枠を超えた人間関係において、すべての者は平等であることを担保しているわけだが、ところで、古代や中世において、このような共同体や地縁を超えた人間の関係といえば、何よりも戦争と経済活動である。

 鎌倉時代は、それまでの荘園制依存経済からの一大転換期であり、貨幣流通による市場経済が著しく発展した時期なのだが、それを受けて鎌倉時代も後期になると、金融も相当に発展していたことが網野など中世の研究者たちの報告によって明らかにされている。この時期、為替手形の利用などは広く民衆の間で浸透していた。のみならず、貸付金に利子をつけて富を得るという姿勢もまたごく当たり前のことだった。

 それというのも、金融にまつわるタブーを鎌倉仏教が吸収していたからだ。金融とは、信用制度であり、信用がすべてである。そして、これは日本だけでなくどの地域でもそうだが、中世において、共同体や地縁を越えてカネがまわる際、そこで信用を支えるのは世界宗教である。どこの誰だか解らない他人への信用は、世界宗教(への信仰)が支えるのであり、また貸付金に利子をつけて富を増やすという行為の正当性も、世界宗教(の神)が担保する。こうして、近代的な法整備のない中世においては、世界宗教の理が民間における法体系の代替えを果たす。

 ともかく、世界宗教は、すべての者は平等である、ということを説いているわけだが、これは既に言ったように、共同体を越えた人間関係において、社会的な平等と公平性を担保するものである。そして、門前市という言葉が代表するように、当時日本においてマーケットが開かれたのは何といっても寺院の傍である注1。それはすなわち、当時は仏教こそが、広域的な経済活動に関するインセンティヴを与えていたことを意味する。

 繰り返すが、古代や中世において共同体の外との関係といえば、何よりも戦争と経済活動ということになるわけが、死んだら極楽浄土に行けるとか天国に行けるというのは、前者に関するタブーを払拭し、そうして死を恐れず勇敢に戦うというインセンティヴを与えるものであり、現代の日本から中世の宗教を見ると、この「死んだら極楽浄土に……」という方にばかり目が行くが、しかし、平時においては、もちろん経済活動におけるタブーを払拭し、そこにインセンティヴを与えることこそ何よりも重要になる。だいたい、前者が重要なのは主として当時新たに支配層となった武士であり、広く民衆にとっては、一揆のときを除けば、後者の経済活動におけるインセンティヴの方こそが重要である。

 網野は『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』において、一遍の時宗は「都市ないし都市的な場に生きる人びと、形成されつつある都市民を背景に生み出され、そうした場と人びとを前提とした方法によって伝道、布教された」ことを繰り返し指摘している。一方で、柄谷は『探求Ⅱ』のなかで次のように言っている。

 「都市を、その具体的な定住空間においてみるのはまちがっている。それは共同体としての都市、あるいは都市空間を、“都市”ととりちがえることになる。たとえば、“情報”のコミュニケーション=交換が停滞すれば、どんな都市(シティ)もその外見を残したままで町(タウン)になってしまう。都市は、国家(共同体)の内部にあるようにみえる―事実、国家は都市を包摂する―が、本質的には国家の外部にある。都市は、海=砂漠なのだ」。

 つまり、流動する人々の、情報やモノの、その交叉する結節点としての都市空間が重要なのだ。鎌倉時代において市が立ったのは、そうして市場(マーケット)が開かれたのは、まさにそういう場である。

 しかし、出自を離れた、見ず知らずの人々は、見知らぬ土地の市場において、「私はこれこれこういうものです」、「そうですか、いや私の方は……」、などと簡単にビジネスは成り立たない。市場というものが、それとして制度化され、定着した場合は可能でも、市場そのものがまさに生成の真っ只中にある場合、そのような儀礼的なやりとり以上のものが必要になる。

 何故か? そもそも、共同体を基礎とした荘園制などの統治形態が確立されている状態にあっては、貨幣に基づく信用経済、市場の存立そのものが本質的にタブーなのだ。それは共同体の支配体系を危うくする。だからこそ権力の側は、市井のなかでフットワークよく動きまわる、金融に従事する者たちを「悪党」と呼んだのだ。大貴族や大寺社は、自分たちの手の届かないところで自由に流動する資金の流れを断とうと、またその資金のルートを我が物としようとやっきになった。それに対して親鸞は悪党でも救済される悪人正機を説き、そうして市井の間で民主的におこなわれる市場経済に思想的な裏付けを与えた。更に一遍もそれに続いた。

 貨幣というものは、本質的にタブーを孕んでいる。それは信用に基礎をおいた交換の体系だからだが、ところで、信用経済において利子というものはつきものなわけだが、何故カネの貸し借りの際に、元本だけを返すだけでは済まず、利子を取ることが可能なのか? その根拠はどこにあるのか? ないのである。無根拠なのだ。利子を取ることの根拠など、どこにもない。そうである以上、その行為に正統性を担保出来るのは、神仏以外にはいないのである。貸付金に対して利子を取るという行為は、本質的にダブーなのだ。そして、だからその行為は、常に“聖なる”ものとしておこなわれた。

 網野は金融について「古くは神仏との関わりなしには、成立しえなかったと私は思います。これは人間社会にかなり共通していることで、他の民族の場合も、神殿が金融機関であったという事例が古く見出される」と指摘している。そして更に、次のようにも言っている。

 「交易、商業それ自体、境界的な性格を持つ行為と考えられます。おのずとそれを担う商人は境界的な人となろうかと思います。古い時代、交易、商業は聖なる世界、神仏の世界との関わりなしには行い得なかったのではないかと考えられるのです」。

 「交易は神仏との関わりにおいてはじめて行い得るわけですから、この交易を業とする人、市や道で活動する商工民、遍歴する商人、職人はやはり境界的な人びととして、神仏に関わりをもたざるをえなくなってくることになります」。

 タブーを聖なるものに転化させるものとして、世界宗教は社会において極めて重要だったのだ。しかしそれは、世界宗教が、共同体を越えた人間関係において、社会的な平等と公平性を担保するものであり、そのような場において他者を愛することを説いている以上、必然なのである。何故なら、そのような関係は、何よりも経済活動においてあるからだ。

 ところで、浅田彰は『ヘルメスの音楽』において、次のように言っている。

 「最初の音楽家は鍛治師だった。金属を打つ鋭い音は閉じた空間に亀裂を入れ、それを通って無限の彼方へと飛び去る。そのほとんど暴力的ともいうべきコスミック・ジャンプ。こうして、メタリックな音がコスモスの音楽を生んだ」。

 「メタリックな切断と貫通の力が音楽を〈外〉へと解き放つ。音楽はそこを横切っていく旅人だ。そして、旅人たちとの出会いやすれちがいがまた新たな音楽を散乱させることになるだろう」。

 いきなり唐突に何を言い出すのかと思われるかもしれないが、しかしまずは、次に挙げる浅田の言葉に耳を傾けて欲しい。

 「〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉と書いてピリオドを打ってみよう。ここまでのところでは、共同体は周囲の自然とのエコロジカルな調和のうちにあって自らを閉ざし休らうことができる。事態が一変するのは〈金〉が介入するときだ。鉱石、火、ふいご、焼入れ。〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉の四大要素(エレマン)の激裂な接触と闘争の中から、そのいずれにも属さないものとして〈金〉が生まれ出る。孤児である〈金〉。多くの親をもち、そのすべてを裏切る鬼子。〈金〉は共同体と自然の間に宿命的な切断の線を走らせる。柔らかな自然の身体にザックリと傷口を刻みつける鋭利な金属音」。

 「そればかりではない。金属は武器となり貨幣となる。それは、共同体を他の共同体との戦争や交易に、つまりは〈交通〉にひき入れる。その〈交通〉は共同体の内部にはねかえり、それまで椆密な一体性のあったところに無数の亀裂を走らせずにはおかない。こうして、閉じた共同体は〈外〉の世界へと開かれる。それは、カオスへの道が、またコスモスへの道が開かれることでもある」

 そして浅田は、共同体の側はこのような事態を避けるために「共同体は鍛冶師と特別な関係を結ばざるをえない。差別しながら畏敬し、遠ざけながら重用せねばならない」と指摘し、だがそれでいて鍛冶師たちは「岩の隙間を通じ縦横にコミュニケートしあっている。鉱脈が走り水銀が走るように、目にもとまらぬ速さで隙間を駆け抜けるものは何か。音楽である」と言っているのだが、実は、これとまったく同じことを、網野も『日本中世において何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』で語っているのである。

 「鍛冶や鋳物師の鍛造や鋳造の技術、建築工の技術もやはり、自然の中の、普通の人は引き出し難い力を、緊張度の高い行為を通して導き出し、素材にひとつの形を与えていく仕事で、当時の人びとにとって、これもやはり、聖俗の世界を橋渡しする境界的な行為と考えられた」。

 鍛冶師は共同体にとって畏怖すべき対象である。それは共同体の支配の体系を危うくする。更に網野はこの本の第三章を「中世の音の世界 鐘・太鼓・音声」と題し、ここで長々と音楽について論じているのである。そして言うまでもなく、鐘の音というのは、金属音である。

 ところで、浅田は、『ヘルメスの音楽』で述べたこととまったく同じことを『EV.cafe 超進化論』における村上龍坂本龍一との鼎談においても語っているのだが、この金属音に関する浅田の発言を受けて、坂本は次のように言っている。

 「金属音というのはまがまがしいんですよ。不吉な音なのよ。(中略)不吉であると同時に、それはもちろん聖なるもので、共同体を超える時の音というか、超えるための音というか、そういう一つの仕掛けなんだよね」。

 不吉=タブー、聖なるもの、それは、古代・中世における金融と同じである。その行為を正当なものとして担保出来るのは、ただ世界宗教だけなのだ。

 現代においても、東京証券取引所にしろ、ニューヨーク証券取引所にしろ、売買の開始に際しては必ず証券取引所内で鐘を鳴らすのだが、何故か? 単なる合図なのか? しかしそもそも、サンテーリアにしても、カーニヴァル(謝肉祭)にしても、ましてや讃美歌も、もともとはすべて宗教行事であり、それはクラシック音楽もにしても、バッハがそうであるように、そもそも神に捧げるものだったのである。しかし更に遡行すれば、それらはもともとはストリートにあったのだ。マーケットがそれとして制度化され、信用経済による売買が自明のものになるに伴い、かつてストリート―それは市が立った場所だが―というオープンスペースにおいておこなわれていたことも、世界宗教そのものが社会において認知され、権勢と結び付きながら共同体の支配の体系に組み込まれ、折り畳まれていったように、音楽も、オープンスペースにおいてあったマーケットが制度化され、折り畳まれていくに従い、マーケットから切り離され、室内へと折り畳まれていったのだ。

 しかし、何故音楽なのか? 鍵は金属音である。古代・中世において打楽器は極めて重要なもので、中世の日本においてもトーキング・ドラムに相当するものが当時存在していたことははっきりしている。

 そしてここで肝心なことは、前回述べた、民俗的なものと世界宗教がぶつかる過程においておこなわれる混淆であり、そこから出てくる新しいものなのだ。前回、キューバ・ブラジルとの対比で述べたが、たとえば現代において、キューバ発の最も有名なものに、ソンという音楽をニューヨークのラティーノたちが独自に発展させたサルサというのがあるが、このサルサのパーカッション・アンサンブルにおいて、カウベルという金属製の楽器が極めて重要な役割を担うのである。一方ブラジルの代表的な音楽であるサンバも、そのパーカッション・アンサンブルにおいてはアゴゴという同じく金属製の楽器はやはり重要になる。というのも、これら一連の金属的な打撃音は、人々の興奮を非常に煽るのだ。私はかつてパーカッショニストとして色々とライヴ活動をおこなっていたのでよく解るのだが、金属音によるグルーヴの高まりは人々を何よりも興奮へと誘う。その高まりにおいては、既知の間柄であるとかないとか、そういう関係などどうでもよくなり、既存の人間関係を溶解させ、聴衆を興奮の坩堝へと、白熱のダンスへと誘うのだ。それは、圧倒的な高揚感だ。

 このような金属音の特性に関して、浅田は「矛盾を孕んだ分節構造を、いわば高エネルギーで溶かしちゃうというか、ものすごいインテンシティをかけることによってあらゆる部分が超高速で振動し始めて、結局、白熱して溶けた水銀の流れみたいになっちゃう」と指摘しているのだが、それこそはまさにシンコペーションのなせるわざである。

 ところで、柄谷は「交通空間に関するノート」において、かつて世界宗教の成した役割を極めて明快にまとめている。

 「世界宗教は、現実には、交易の場所としての都市あるいは商人たちのあいだで発展してきた。すなわち共同体の人間にとっては軽蔑すべき且つ畏怖すべき対象であるような境界から。逆にいえば、交易が発展するには、そうしたmarked placeにつきまとうタブーを払拭するような価値転倒がなされなければならなかった」。

 これは、既に網野が繰り返し語ってきたことなわけだが、ここで注目すべきは、これを可能にするには、従来の共同体的な価値の転倒が起きねばならないということである。マーケットそのものが生成の真っ只中にあるときにおいては、そうしてタブーを払拭することなくして、人々は交易へと入ってはゆけない。

 金属音による高揚は、そのグルーヴの高まりは、人々の関係を溶解させる。それは、共同体的な紐帯を溶解させるのだ。そうして、市の立つ場に来たものは、共同体的な紐帯から自由になり、それぞれが一人ひとりの単独者として、しかし広域的なネットワークに身を投じたコスモポリタンとして、互いに相対し合い、新たな関係性の中へと入ってゆく。親鸞の後を受けて、一遍こそは新興の経済人から圧倒的な支持を得ていたわけだが、何故彼は行く先々でそこまで強力に支持されたのか? 価値転倒がなされるには、彼がおこなったような、音楽の力を用いた、一種の呪術が必要になってくる注2。もちろんそれは、優れて宗教的なものである。踊念仏の魔術的な魅力なくしては、決してありえなかっただろう。

 従来の価値の転倒があってこそ、交易は成り立つ。ここで転倒される価値とは、共同体的な慣習における善なるものである。それが転倒されることにより、はじめて人々は共同体的な紐帯から身をもぎ放してゆけるのだ。だから、マーケットとは、本質的に「善悪の彼岸」にある。しかしそれは、音楽も本質的に「善悪の彼岸」にあるということと同義である。

 ちなみに、21世紀の現代の金融市場においては、ヘッジファンドなどは空売りCDSクレジット・デフォルト・スワップ)の転売といった手法で儲けようと画策し、一方で中央銀行は大規模な量的緩和をおこないシステムの安定化をはかる。無論、ヘッジファンドは金融取引にまつわる危うさを忘れ、デッドラインを越えてでも市場に無理やり歪みをつくり儲けようとしているが、しかし市場における金融システムとは何なのか? システムである以上、それは規則が共有された共同体的な体系である。脱テリトリー化した流れを再テリトリー化し、文字通り「領土」として、共同体のなかに内部化したのだ。そうして、システムそのものが、本源的に危うさを忘れたところにおいて成り立っている。信用を担保するものは本来システムに対して外部的な者であり、他者であるのに。原子力村という言葉はすっかりお馴染みになったが、金融の世界においても、金融利権村は確実に存在する。中央銀行ヘッジファンドもその利権のなかにある。しかし外部性を失い、あくことないマネーゲームを続けていれば、システム=共同体はいずれ自己崩壊し、破綻する。

 中央銀行とは、いうならばアポロンである。そして中央銀行が司る金融システムに対し、ヘッジファンドは盛んに危険な仕掛けをおこない、安全性を脅かし、まるでシステムの外部から侵犯しているように見えるが、しかし市場を混沌(カオス)へと陥れるこのようなヘッジファンドは、さしずめディオニュソスである。ディオニュソスは決してシステムの外部にあるのではない。むしろシステムの重要な構成要素であり、そうしてアポロンたる中央銀行などと共に、光と闇の弁証法的な体系を形作るのだ。それは、外部性を欠いた自己充足的な体系である。しかし、真に重要なのは、浅田の指摘するように、ヘルメスなのである。

 現代の金融は、異常なほどの中央銀行依存状態にある。市場においてひとたび異変が起こると、市場関係者からメディアまでがこぞって、中央銀行に何とかしてくださいとご注進に走る。これは、アポロンのもとへ駈け込むのと殆ど同じである。そうして、中央銀行は大規模な量的緩和を実施するのだが、金融システム安定のために成される一連の政策は、つまるところ、すべてが利権づくめなのである。明らかにディオニュソスアポロンは結託している。ディオニュソスが暴れるたびにアポロンたる中央銀行の権限(権力)は益々強まり、そしてその政策がディオニュソスの儲けになるという連鎖を繰り返しているのだ。

 現代の金融システムとは、いわば、資産価値によって構成される、目に見えない超巨大な荘園制である。アメリカの連邦準備制度をかつての世俗化したローマ教会として見立ててみよ。己を頂点として覇権を握るこの体系は、外部性を失い、自己充足的な空間で延々とマネーゲームに耽っているわけだが、そんなものがいつまでももつわけがない。だいたい、彼ら支配層にプロテスト(抗議する)者たちは、いくらでもいるのだ。

 だが、無論、現代において信用を担保する外部的存在は神ではない。しかしこのことは、そもそも中世においてもそうだったのだ。神は事後的に必要となるのであり、まず先に交換がある。市が立って交換がおこなわれるのではなく、まず最初に交換があり、それが市場という“存在”を要請するのだ。

 ドゥルーズは『ニーチェと哲学』において、ニーチェの唱えた永遠回帰を、これは生成の存在なのだとおそるべき明快さで定義した。このことは、現代においても反復されなければならない。

 一遍は、舞踊する者だった。ニーチェが『ツァラトストラかく語りき』において説いたように。

 一遍は、救済への道を説く者である以上に、誘惑する者だった。そうして、誘惑者として、民衆を導いた。どこへか? 「善悪の彼岸」へと。金属音を起源とする、白熱のグルーヴの世界へ。そしてそこは、マーケットだったのだ。それまで出会わなかった者同士が出会うと、何かが生まれる。それこそは、創造の契機である。新しいものが生れ出ずる泉である。このことは、今日においてもまったく変わっていない。

 重要なのは、利権にまみれた支配層からの脱テリトリー化を全面化することである。原子力村の利権構造を通して、次のことが明らかになった。原子力利権の中核にいる官僚・経団連メガバンクなどは、日本の国土さえ自らの「領土」という認識であり、雇用を創出するとか、グローバル競争に打ち勝つため、などいう名目のもとに、市民のための大切な土地を収奪し、それを自らの「領土」として、開発=利用=搾取してきた。これは、原子力利権を通し、はっきりと露わになった。更に支配者たちは、そうして土地を収奪するだけでなく、人々の精神や内面さえ「領土」とし、搾取してきた。教育やプロパガンダを通して。

 雇用をちらつかせることで人々の心をひきつけ、心を縛り、そうして心さえ開発し、利用し、搾取してきた。

 同じことはアメリカにおいてもおこなわれてきた。アメリカン・ドリームという概念は、何より人々に夢を与えるものとされてきたが、しかしそれは、ウォール街をはじめとする金融マフィアなどが、市民の資産を“自由に”食い荒らすためのイデオロギーに過ぎなかったことが、リーマン・ショックの後、明らかになった。支配層は、人々にアメリカン・ドリームをちらつかせ、そうして、たとえ今は貧しくてもいずれ俺は金持ちになる、そのとき税率が高いんじゃいったいなんのために一生懸命頑張ってきたのか……、という思考回路を徹底的に植え付けることで、公的医療制度さえ整わないという状態を延々と続けてきたわけだが、その結果どうなったかというと、アメリカ国内に無保険の人間が4500万人もいるというおそろしい状況になり、満足に医療を受けられず死んでいく子どもが後を絶たない事態が現出した。

 支配層は、アメリカン・ドリームというイデオロギーを巧みに操り、人々の上昇志向を煽ることで、貧しい者、死にゆく子どものことなどかえりみない、たった1%の人間に富が集中するというおそるべき階級社会を形成し、それを正当化してきたのだ。

 しかし、ついに人々はそのような縦への、上方への志向を捨て、水平に繋がろうとし始めた。上を目指すのではなく、横へ、横へと、横断し、越境しながら、未知の人々と繋がろうとしているのだ。それこそはヘルメス的な運動である。重要なのは、市井の間でこのような動きがなされるのは、これが初めてではないということだ。過去に何度も起こっているのである。

 だが、そのような動きの成果は権力により隠蔽されてきた。その内容までも、それが当時どれだけ支配層を突き崩したかも、悉く隠蔽されてきた。だが、今こそ、歴史の彼方へと葬り去られた動きを、それが内包していた可能性を、解放すべき時である。

 包み込まれていた可能性を、〈外〉へ、〈外〉へと繰り広げよ。金の卵は、その辺にいくらでも落ちている。我々の想像力こそは、何よりのダイヤモンドである。未知の人々と繋がり、対話を重ねればそれだけ強く、輝き出でる。

 ちなみに、共有地というのは、社会的な空間、公共スペースであり(共同体的ではなく)、それは網野が語っているように、市が立った場所、「公界」「無縁」の場所で発展する。共同体的な紐帯から自由になって活動する人々のための公共の場、それが共有地(commons)である。

 ところで、坂本龍一は自身が主宰する音楽レーベルを「commmons」と名付けた由来を、共有地としてのcommonsの真ん中に音楽(music)があるようにという願いを込めて、musicの頭文字の「m」を真ん中に挿入し、commmonsと名付けたと述べているが、共有地の真ん中に音楽があるというのは、まさに一遍と同じである。そしてまた、親鸞と同じである。この符号はいったい何を意味するのか?

 つまり普遍的ということだ。物事を変革し、新しいムーブメントを作り出していこうとする際、歴史において、しばしば始原回帰が行われる。始原への回帰を通して新しい動きが活性化してゆく。マルクスが『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』で語ったように、ナポレオンが近代市民社会を解き放つ際にローマの衣装を着込んだことなどはその典型である。進化とは、ある種の反復なわけだが、これはニーチェ永遠回帰の思想の根底にあるものだ。
 
 一方で、津田大介の最近の著作『動員の革命』の最後に付された、中沢新一いとうせいこうとの鼎談において、デモにおける音楽の重要性が頻繁に説かれているが、デモにおいては、昨年ニューヨークで起こったウォール街占拠運動においても、シリアの反体制派の運動においても、その他いたるところで音楽がまさにその真ん中にある光景を見ることが出来る。

 デモは祭り、革命は祭りという、いわゆる「革命祝祭論」というのは、革命を扱ったジュネの『バルコン』など、かつてヨーロッパで盛んに議論された話題であり、とりたてて“新しい”ものではない。それは、普遍的なのだ。

 一遍にしても、親鸞にしても、共に社会の変革を担うリーダーであり、救済を説く以上に、誘惑する者だった。南都北嶺など権力の側からの弾圧にも真っ向から立ち向かい、新しいヴィジョンを市井に投げかけ、民衆を後押しした。

 そして今また、同じことが行われようとしているのだ。経団連メガバンクウォール街一党独裁、名前はこのようなものであっても、その実態は利権にまみれた荘園制の現代版であり、既得権という自らの「領土」を頑なに守りつつ、原発輸出やTPPなどで更なる「領土」の拡張をはかる。だが、これら旧態依然とした利権中毒者たちに対するアンチの声は、いまや広まる一方である。

 そしてその真ん中には常に、音楽が、グルーヴがあるだろう。その輝きは、煌く金属音の放射である。多くの人々と繋がれば繋がるほど、強く、輝き出でる。

 想像力は今こそ、踊り出さなければならない。

 (注1)ちなみに、中世において数多く市が立ったところは他にもう1つあるのだが、網野をはじめ数々の研究者たちによれば、それは河原である。河原というのは(共同体にとって)無所有の場所であり、また共同体−間の境界的な場所でもあった。更に、当時の物流の中心は海や河川を通じた船であり、その点からも河原に市が立つのは合理的だったのだ。

 (注2)日本における利子の起源は「初穂」と呼ばれるものであり、それはまず神に捧げ、しかる後に神から借り受けるものであったが故に、神に返すときは富が増えたお礼として利子をつけてお返しする、というのが日本における利子の始まりなのだが、『日本論の視座 列島の社会と国家』において網野は、市場とはもともと「市庭」であったと指摘したうえで、次のように言っている。「自然のある場所を『庭』とするためにも、初穂を捧げることが行われ、あるいはそれが約束されていなければならなかったのである」。金融というのはもともとタブーで、だから神仏の力なくしては行えなかったのと同様に、それまで市ではなかったところに市を立てることもまた、そもそもタブーなのであり、だからこそ、神仏に対してこのような儀式が行われたのだ。しかしそれだけでなく、更に網野は、市が立つ際には、そこで市祭と呼ばれる祭式(フェスティバル)が行われたことを指摘している。そして、中世における市の模様を最もよく伝える史料として研究者の間で盛んに使われるのが『一遍聖絵』という絵巻なのだが、この絵巻からは、まさに一遍が市の立つ場所そのものにおいて舞台を作り、そこで踊念仏の「興行」を行っていたことがはっきりと解るのである。要するに、市場(マーケット)を成立させるための市祭として、踊念仏が行われていたのだ。言うまでもなく、念仏を唱える際には鉦などの金属音によってリズムを作りだすわけだが、のみならず鍛治など金属の鋳造もタブーに接触するものであり、金属楽器は押し並べて世界宗教の儀式において使われてきたことは周知の通りだが、踊念仏においては、その金属音の「演奏」とは、踊るためのグルーヴなのだ。そして当然ながら、宗教によるこのような祭式とは呪術である。本文において、交易が発展するには、marked placeにつきまとうタブーを払拭するような価値転倒がなされなければならず、だから世界宗教は交易の場所としての都市あるいは商人たちのあいだで発展してきた、という柄谷の言葉を引用したが、それは具体的には、このような方法によってである。

【後記】
 この後は更に「女性」と「ファッション」の関係を論じてゆく。とりわけ女性の問題は重要である。というのも、女性(あるいは女性との接触)こそは、社会においてタブー視されてきた一方で、婚姻のように聖なるものとしても扱われてきた。つまり、女性の問題は、金融と同じ面があるのだ。そしてファッションもまた、単に身につけるものという以上の意味を持ってきた。前近代において、たとえば、聖なるものとして王族や大僧正などの特権階級以外はタブーとされた“禁色”があったのはもちろん、一方で、スーツとネクタイなど、それ自体制度化されたものもある。もちろんそれらは、支配の在り方と密接なものがあり、わけても女性とファッションが結びつくと尚更複雑になる。そしてこれらを論じる際にも、世界宗教と音楽が重要になってくるのだ。そして更に、金融や信用経済も密接に絡んでくる。

 *なお、「一遍あるいはニーチェ 推理小説としての音楽」と題したこのシリーズに、発表の場を提供してくださる媒体があれば、歓んで応じます。ウェブ・マガジン、メールマガジン電子書籍を問わず、広く読まれることは何より望むところです。