ハウス・ミュージック化する製造工程、そしてその先にあるもの

   
   為替レートと世界シェア

 この夏に為替相場が急激に変動し、超円高となった、そう大手メディアは報道したが、しかし実質実効為替レートを見ると、別にとりたてて円高というわけでもない、そう語るのは早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄氏である。野口氏によれば、リーマンショック以前の円が、円安どころか異常なまでの超円安だったに過ぎず、現在はそのような超円安状態から本来あるべき(だろう)数値に向けての是正が進行しているに過ぎないと説く。

 もっとも、このことだけなら既に前々回に述べた通りである。しかし、更に野口氏によれば、アメリカにおいて不動産バブルが点火する以前、2000年頃と較べても、現在の円のレートはまだかなり安いというのである注1。これは逆に言うと、2000年頃は、今よりもはるかに円高局面にあったということである。にもかかわらず、メディアや市場関係者の騒ぎ具合は正反対である。2000年当時は、現在よりもはるかに円高であったのに、円高はそれほど深刻な懸念材料とはなっていなかった。一方、現在は、2000年の時点よりもずっと円安であるにもかかわらず、メディアも市場関係者も揃って「超円高!」と大変な騒ぎようである。

 何故か? もちろん理由は複数あるだろう。ただ、そのなかで最も大きいのは、日本の各企業が占める世界シェアの度合、及びその収益にあるのではないだろうか? つまり、2000年当時は、たとえ実質実効レートで円高であっても、自動車・テレビ・半導体・液晶パネルなど様々な分野において日本の企業が占める世界シェアは相当なものであったのに対し、現在はそうではなく、韓国・台湾・中国など新興国の企業にシェアを奪われている。加えて利益率の面でも大きく溝を開けられ、新興国企業と較べると、日本の大手各企業はその低収益ぶりが露骨である、という点が非常に大きく作用しているのはないだろうか? 要するに、たとえ円高であろうと、高いシェアと高収益が実現出来ていれば為替などいちいち問題にしないが、しかし現在はいずれの面においても日本の各企業は新興国企業に押されまくっているので、そうなると「円高を何とかしろ!」という声が大きくなる。しかしこれは、いわば物事の責任を円高に転嫁しているだけとも言えるのである。

 だが、たとえば韓国の企業は、アメリカが不動産バブルに沸き、そうして世界的な好景気にあって円安ウォン高が進むなかでシェアをドンドン拡大していったのであり、このことは、そもそも日本の各企業だって、80年代において円高が急速に進行するなかで欧米の企業を次々に駆逐し、そうしてジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれるまでになったわけで、そうである以上、本来、為替はなんら言い訳にならないのである。

 これは別に、為替が企業の収益に影響を与えないと言っているのではない。企業収益は、もちろん為替の影響を受ける。しかし、そのことと世界シェアがどれだけ伸びるかは別問題だということである。

   テクノロジーの発展と水平分業

 さて、では新興国の企業は近年何故これほどまでに成長したのかということが問題になるわけだが、この理由について、一般的には、新興国もいまや非常に高い技術力を身に付けるに到った、ということになっている。しかし、事の本質はそこにはない。そもそも、新興国企業は、製造工程が日本の企業とはまったく違うのだ。

 日本の企業の場合、大手のメーカーがこれこれの部品に関して下請けに発注し、そしてその下請けもまたどこそこの部品に関して孫請けに発注し、更にその孫請けがまた……、というかたちで各社が上から下へとピラミッド型に統合され、そうやって上から下までが一体となってすり合わせをおこない、とことん念入りに造り込んでいく。このような分業のあり方を、垂直統合方式という。日本の自動車・電機産業は、これまで、どこも概ねこのようなやり方で商品を製造してきた。

 それに対して新興国の側は違う。彼らの場合、従来の日本のように大手から下請けに到るまですべてが一体的に造り込んでいくのではなく、「ここのところあんたの会社でよろしく、こっちの部分は向こうのあんたね」、とそれぞれ各個に委託し、そうしてあっちこっちから送られてきた物を組み合わせておしまい、となる。このような横の繋がりによる分業のあり方を、水平分業方式という。

 この2つのタイプの相違は、音楽に喩えると解り易い。

 かつて音楽は、個々の楽器演奏者が綿密に意思の疎通をおこない、そうしてメンバーが一体となって念入りに楽曲を造り込んでいった。しかし、その後テクノロジーの発展によって、作曲家が曲を書き、サウンド面はトラックメーカーがコンピューターと向き合って製作し、そしてDJがリミックスして終わり、という工程が可能となった。

 音楽におけるこのような分業的なあり方は、既に70年代においてYMOがおこなっていたものである。あのグループのありようは、メンバー全員による一体感などとはおよそほど遠いもので、当の本人たちが語っているように、細野晴臣坂本龍一高橋幸宏の関係はいたってクールなものであり、その楽曲制作においては、分業制度が完全に機能していた。

 そしてこのようなあり方は、やがてハウス・ミュージックの現場においては当たり前のものとなり、更にその後、R&Bなど様々な分野で幅広く取り入れられている。

 そして現在、テレビ・液晶パネル・半導体などにおいて、このようなハウス・ミュージック的な水平分業方式の生産体制が完全に主流となっているのである。

 一方で、日本の大手企業はこれまで、一部を除いて殆どは旧来的な垂直統合方式による一体的な造り込みでやってきた。しかし、いまやこのようなあり方が完全に各企業の重しとなっている。

 というのも、重要なのは、水平分業方式というのは、垂直統合方式と較べて、はるかにコストが安くて済むのである。このことの影響が最も大きく現れたのはパソコンである。一気に普及が進んだパソコンは、その必然として、猛烈な価格競争となり、そのため技術はあるが高コスト体質の日本企業は、パソコン業界において完全に敗れ去った。新興国の大手パソコンメーカーといえば何よりも中国のレノボだが、90年代において、よもやこの分野で日本の企業が中国の企業の前に完敗するとは誰も思っていなかったが、しかしそれはあっさりと現実になったのである。

 重要なのは、パソコン分野における日本企業完敗の原因は、技術面にあるのでは決してないということだ。技術は今もって日本企業の方がはるかに上である。そうではなく、テクノロジーが大幅に進歩した結果、とりたてて技術力がなくてもそれなりに高品質のものを誰でも造れるようになったのである。そして、誰もが高品質のものを造れるとなると、あとはフットワークの軽さが物を言う。いちいち大手から下請けまでが一体となって造り込んでいる間に、別のプレイヤーが横の繋がりでパッ、パッ、パッ、と造ってそのままサッーと市場に出してしまえば、その時点でオールドタイプはもう負けなのである。

 だからこそ、この水平分業方式はハウス・ミュージック的なのである。テクノロジーの発展によって、とりたてて高度な演奏技術はなくても、それなりの質の楽曲を造れるようになった。だから現代においては、高い演奏技術がなくても、知識とセンスさえあれば誰でもヒットメーカーになることが可能である。電機産業などで起こっていることも、これと同じなのだ。

 という訳で、事の本質は、メディアが言うように新興国企業の技術力が日本の企業にドンドン追いついてきたことにあるのではなく、テクノロジー総体が飛躍的に進歩したことにより、高度な技術がなくても高品質の実現が可能になったことにあるのだ。そうして、再先端のテクノロジーに関する知識さえあれば誰でも高品質の製品を造れる状態となったため、こうなると、重要なのは、このような状況のなかでどれだけ効率良く立ちまわれるかが勝負を分ける非常に大きなポイントになるのである。

 これに関して、象徴的な出来事がある。2010年の9月1日、ソニーは大規模なリストラを開始したのだが、その対象に、なんとテレビ事業の技術者まで入っていたのだ。ソニーといえば問答無用の世界的な大企業であり、そしてテレビ事業は電機産業における花形部門である。ところが、そのソニーのテレビ事業において要となる筈の技術者までがリストラの対象になった。どういうことか? テレビ事業は価格競争が猛烈なスピードで進んでおり、この時点でソニーのテレビ部門は6期連続で赤字を計上していた。そうである以上、このままではやっていけないことは誰の目にも明らかであり、それによりソニーも、ついに垂直統合方式から水平分業方式への移行に乗り出した。そのため、技術者がそれほど必要ではなくなったのである。

 このソニーの例からも解るように、現代においては、いかに高い技術力を構築するかは大して重要ではなく、いかにフットワーク良く効率的に立ちまわり、そうしていかに売るか、ということが企業にとって最大の生命線なのである。

 実際、技術においては日本の各企業は依然として新興国企業よりも上にいる。その代表格がハイブリッド車である。ハイブリッド車というのは、従来のエンジン車と次世代のEV(電気自動車)の双方の性質を兼ね備え、しかもその両方が互いに連携して正確に作動しなければならず、自動車においては最も高度な技術を必要とする。だからハイブリッド車の販売においては、トヨタプリウスを頂点とした日本勢が完全に他を圧倒している。

 そして、このハイブリッド車ほどではないにしろ、日本の自動車・電機大手は、いまもって技術力においては明らかに新興国の企業に勝っている。

 しかし、だからといってそれが売れるとは限らない。かつて最も大きな市場といえば、アメリカとヨーロッパだった。しかしこれら西欧諸国は、ドイツのように出生率が急激に低下していたり、イギリスやスペインなどのように緊縮財政を余儀なくされたり、アメリカのように不動産バブル崩壊の後遺症が甚大だったりで、もはやかつてのような経済の伸びはまったく期待出来ない。今は、中国を筆頭とする新興国が最大の市場となっている。しかし、新興国の市場では、値段の高いものは売れないのである。一部の富裕層や熱心な愛好家を除けば、安くなければ駄目だのだ。そして現在においては、テクノロジーの進歩と水平分業によって、高品質でなお安い! というのをあっさりと実現してしまっているのである。

 だから実際、トヨタはインドなどの新興市場では大幅に出遅れている。トヨタの技術はなるほど世界一かもしれないが、しかしトヨタは値段が高い。これでは新興国では売れないのだ。そして、トヨタほど極端でないにしても、日本の大手企業は、どこも概ね共通の問題を抱えている。だからこそ、かつて圧倒的なブランド力をもって世界を席巻したソニーが、今は見る影もなく凋落してしまうのである。ともかく、かつて日本製品といえば、「安価で高品質」が代名詞だったが、しかしいまや「高価で超高品質」になっているのである。

 このこともまた、音楽に喩えると解り易い。インストゥルメンタル・ミュージックといえば、かつては一にも二にもクラシック音楽だった。しかしそれをジャズ・フュージョンが駆逐した。豪華なホールでバカ高い料金をとっていたクラシックは、クラブで酒を飲みながら気軽に楽しむジャズに完全に敗北したのである。しかし気がついてみると、いつの間にか、今度はジャズが高級なものになってしまい、ジャズクラブは料金の高い洒落た空間へと変貌し、そうして有名ジャズ・ミュージシャンのチケットは非常に高価なものとなり、そうしたなか、ハウス・ミュージックは次々にシェアを伸ばし、完全にジャズを圧倒するに到る。そしていまや有名なDJはあっちこっちから引っ張りだこで、イベントには大量の人が集まるようになる。

 音楽が好きな人間なら、チック・コリアマーカス・ミラーの演奏の素晴らしさは誰でも知っている。マーカス・ミラーの指が奏でるベースの音色は決してコンピューターで造り出せるものではない。技術面では明らかに勝っている。しかし、だからといって売れるとは限らない。マーカス・ミラーハービー・ハンコックなどがライヴをおこなうと、そのジャズクラブは必ず満員となる。しかし、音楽市場全体における需要面において、ジャズ・ミュージシャンは到底ハウス・ミュージック系のトラックメーカーやDJには敵わない。

 そしていまや日本の大手企業の製品とは、ジャズの名手たちの演奏のようなものになりつつあるのだ。かつて彼らが世に出すものは、とっつきにくい高級品などではなく、安価で利便性の高いものだった。そうして旧来の高級品を駆逐した。ところがいつの間にか、今度は当の自分たち自身が高級品になってしまった。そうして気がついたときには、技術は高い、技術力が素晴らしいと世界中で称賛されはするけれど、その代わり世界シェアも利益率も思い切り落ちてしまった、という訳である。

 但し、唯一の違いは、ミュージシャンの場合、自分の信念を貫いてそれが聴き手から支持・評価されればそれでいいわけだが、しかし企業の場合、株主の期待に応えつつ、且つ大量の従業員に報いなければならない。だから、どうあっても収益を確保する必要性があるのだ。

 しかし、水平分業的なあり方は、いまやあらゆる分野で当たり前のものとなりつつある。

 それどころか、事態は更に進んでいるのだ。それは、ファブレスと呼ばれるものである。

   猛烈なスピードで進展する価格競争

 新興国企業のみならず、アメリカの企業でも、IT関連を中心に日本の企業よりはるかに高い利益率を実現しているところが幾つもある。その代表格はアップルだろう。アップルの利益率は極めて高い。だが、そのアップルは、あれだけの世界的企業であるにもかかわらず、自社工場を一切持っていない。

 アップルは、自社工場を一切持たず、生産はもっぱらよその企業に負っている。工場を持つことは、多額の設備投資、維持費、光熱費、人件費などを必要とするが、アップルはその方面の経費が一切ないのである。海外移転どころではない、根本的に工場そのものを持っていないのだ。アップル自らはまったく生産に参加せず、製品は完全に横の連携で造られる。高い技術を必要とする部分は日本やドイツの企業へ、それほど高度な技術を必要としない部分は新興国の企業へと委託し、実に適材適所で効率が良い。で、そうして、出来上がったものを通してアップルは事業を展開しているのである。だから利益率は極めて高い。

 また、これも同じくアメリカの企業だが、パソコンの売上で世界シェア第一位のヒューレット・パッカードは、世界シェア一位であるにもかかわらず、この夏パソコン事業を切り離す可能性に言及した。何故かというと、利益率が低いからだ。つまり、たとえ世界シェアでトップだろうと、利益が出ないのであれば容赦なく切り捨てるということである。

 ところで、アップルやヒューレット・パッカードのように、とにかく利益を出すことを最優先に事業を展開すれば、高収益を実現出来る(もちろん事業戦略を間違えなければという条件付きだが)。しかし、それは必然的に、国内の雇用を縮小させることを意味する。

 水平分業にしろ、ファブレスにしろ、効率性と低コストの追及という点ではなんら違いはない。この二点こそが現代のグローバル競争において利益を出す一番の近道なわけだが、しかしそれは、先新国においては、必ず雇用を減らすことに繋がるのである。

 さて、そこで日本の自動車・電機大手はどうするのか? しかし、その前にまずは物事の前提を明確にすべきである。

 第一に、政治家やメディアは、円高が日本企業を思い切り圧迫している、それにより収益が落ち、工場の海外移転も加速して大変なことになると大連呼しているが、しかし企業収益を圧迫する最大のものは、円高ではなく、水平分業やファブレスを通して激化する価格競争である。急激な勢いで進む低価格化は、産業において、円高などよりはるかに重要な要素となっている。

 そして第二に、これを受けて日本の各企業は世界シェアを次々に奪われており、あちこちから憂慮の声が尽きないわけだが、しかしこの問題に関して言うと、世界シェアなどという抽象的な割合などどうだっていいということである。重要なのは、利益である。

 といっても、無論、市場における競争とは、公平性が担保されることによってはじめて成り立つものであり、フェアではない売買はもちろん許容されない。このことはなにも顧客に対してだけではなく、従業員に対しても、企業の姿勢は常にフェアでなければならない。一方で、営利団体である以上、当然ながら利益が追求されなければならないのも事実である(そうでなければ倒産してしまう)。

 企業は、ビジネスを通して利益を得て、それを株主に対する配当と従業員の賃金へとまわしつつ、開発や設備投資などに資金を再投下し、経営規模の拡大を追求していくものである。だから実際面においては、世界シェアなどどうだっていいのであり、問題は、どれだけ利益を上げられるか、ということになる。

 そして実は、「どれだけ利益を上げられるか」という観点から現在の日本の自動車・電機大手を見てみると、世界シェアがどれほどか、という観点から見るよりも事態ははるかに深刻であることが明らかになる。

 というのも、先程挙げたソニーの例からも解るように、いくら一定規模の世界シェアを持っていたとしても、6期連続の赤字では話にならないのである。このことを最も端的に表しているのは、半導体大手のルネサス・エレクトロニクスである。

 ルネサスは自動車に使われるマイコンなどの製造で圧倒的なシェアを誇っており、そのため東日本大震災を受けてルネサスの中核といえる茨城那珂工場が被災した際には、業界全体が騒然となった。普段は市場においてライバル同士である自動車各社も、このルネサスの工場被災に関しては、一致団結し、早期復旧のため技術者を大挙現地に派遣した。ルネサスとは、それほどに存在感のある企業である。

 ところが、そのルネサスでさえ、ろくに利益を上げておらず、慢性的な赤字体質である。利益率が低いどころではない、なんとかかんとか黒字にするのが精一杯、だけど基本的には赤字、というのが実状だ。マイコンにおけるルネサスの世界シェアは実に40%を超えており、ぶっちぎりのトップである。しかし、それほどの企業でも実態はこうなのだ。また、ソニーにしても、薄型テレビにおける2010年の世界シェアは、サムスン、LGに次ぐ世界第三位である。しかしその代償が、慢性的な赤字とそれによる大リストラなのだ。これでは、いったい何のために事業をおこなっているのか? ということになる。

 しかし、このようなソニールネサスのありようこそ、現在の日本の大手企業の問題点を端的に表している。いくら世界シェアが凄かろうと、根本的に利益を上げられないのでは、カネ食い虫もいいところなのだ。誰もがまさかと思った三菱重工と日立の経営統合の話も、このままではジリ貧だという思いがあってこそのものであることは、既に多くの論者が指摘するところである。ともかく、ソニーが赤字で苦しむとか、三菱重工と日立の間で経営統合の話が持ち上がるなどというのは、かつては夢にも思わなかったことである。しかし、もはや以前とは事態がまったく違うのだ。日本の自動車・電機大手は、一部の例外を除いて、なかなか利益を生み出せないという苦境のなかで必死にもがき苦しんでいるというのが偽らざる現状である。

 一方で、水平分業やファブレスは今後より一層浸透し、それにより価格競争が更に加速することは確実であり、するとどうなるかというと、それに耐えられなくなった企業は、暫時大規模なリストラに踏み切らざるをえなくなる。これはどうやったってそうなる。しかもソニーのテレビ事業で起こったように、技術者までその対象になっていく。

 という訳で、政治家とメディアは、企業が海外に出ていき、それにより国内産業が空洞化したら雇用が大幅に失われて大変だ、なんとしても空洞化は食い止めなければならないと盛んに言うが、しかし国内にとどまったところで、今後更に激化する価格競争に耐えられるわけがなく、リストラにより雇用は大きく失われるのだ。これは、どうあがいても逃れることは出来ない。

 各社は、現在でさえ手一杯なのである。この状態で、あと10年、20年、もつわけがない。

 50代も半ばを過ぎた中高年に関しては、彼らがリタイヤし、年金生活者になるまでひょっとしたらもつかもしれない。しかし、20代や30代は別である。これはもう絶対にもつわけがない。政府からの補助金などで無理矢理国内に製造業の職を確保したところで、近い将来その職がなくなることは確実である。

 という訳で、海外へ出ていこうと、国内にとどまろうと、どっちにしろ雇用は大きく失われるのである。しかし、このままの状態で行くと、大手企業も国内経済も共倒れになりかねない。それこそ最悪というものである。だが、現在のまま事態が推移すると、その最悪の状況が現実のものとなってしまう。それならば、大手企業には高収益体質になってもらって、それにより増えた税収を子育て支援や再就職支援などの社会保障に充てた方がはるかに建設的だろう。

 もちろん、製造業におけるすべての雇用が失われるというわけではない。少々の技術流出などそれがどうしたという超熟練の町工場や、特許に守られているところ、及びその他大企業におもねることなく各国の企業を相手に独自に事業を展開しているところなどは、今後も大丈夫どころか場合によってはいくらでも伸びていく余地があるだろう。しかし、大企業の下請けとして従来的な垂直統合のなかに組み込まれ、そうして大企業に依存してきたところは、年を追うに従って確実にその職が失われていくだろう。

 薄型テレビのシェアで世界第3位のソニーでさえ、そのテレビ事業において技術者までもリストラしなければならないところまで追い詰められているのである。いまや、大企業の高度な技術力の中枢を担っていたような人材さえ、今後その雇用が維持される保障などどこにもないというのが現実なのだ。

 事実、薄型テレビのシェアでソニーに続く世界第4位はパナソニックだが、パナソニックのテレビ部門もやっぱり赤字なのである。そしてそのパナソニックは、周知の通り三洋電機を買収し、これをパナソニック電工と共に完全子会社化することを春に発表したばかりである。また、液晶パネルにおいても、この夏、ソニー東芝、日立の大手三社が液晶パネルに関して事業統合し、新たに新会社を設立することを発表したばかりだ。しかし、これは裏を返せば、ソニー東芝、日立が、彼らの会社自体は液晶パネルの事業から手を引く、ということを意味する。このままではやっていけないから三社で新会社を設立し、この分野のビジネスをその会社に移すのである。

 更に、鉄鋼でも新日鉄住友金属の合併があり、一方で半導体大手エルピーダが主力である広島工場の生産力の4割を台湾に移転することも発表された。

 で、彼らは会見やインタビューの場で、国内の雇用は守ると一様に語っているが、しかし、当然ながらそれを真に受ける者など誰もいない。どこだって、あまりに強烈なスピードで進む価格競争に悲鳴を上げて、それによりやむなく起した行動である。戦略的なM&A、戦略的な海外移転ではないのだ。価格競争に対応するというのが第一なのである。

 それほどに、価格競争の進展は加速しているのである。とりわけ電機産業における価格競争は熾烈を極める。

 市場に対する鋭い分析眼で定評のある東短リサーチ取締役の加藤出氏は、出張で諸外国を訪れるたびに、電機製品の価格下落をこれでもかというほど目の当たりにし、事態の深刻さを繰り返し警告している注2。加藤氏いわく、現在電機産業は「泥沼の価格競争に陥っている」というのだ。

 つまり、韓国や日本のメーカーは、米軍がかつてベトナムで経験し、今アフガンで経験しているような泥沼の状態にはまり込んでいるというのである。このままでは、米軍が戦費の拡大により財政赤字を膨らませてしまったように、大手の電機メーカーもただ赤字を増やすだけで得るものは何もないということだ。

 このまま価格競争が進めば、現在絶好調が伝えられる韓国の企業だって、ゆくゆくは大規模なリストラを実施するところへと追い込まれるだろう。ましてや日本の企業においては尚更である、どころか、それは既に現実のものになっている。

 水平分業やファブレスによる価格競争は、それほどに進行している。しかも、欧米の景気の失速を受けて、今後この事態は更に加速する。一方で、円高も加速する。そうである以上、この分野で国内の雇用がもつわけがない。

 そもそも、日本の輸出大手は、非常に優れた技術を持ちながら、テレビなど高度な技術なしで製品を造れる分野で勝負をしている。これは、明らかに技術の無駄使いである。彼らは、経営戦略や技術開発は一生懸命やっているのかもしれないが、しかし手持ちの武器を最大限に活用し、それをもっていかに事業を展開していくかという事業戦略の視点がまったく欠けている。

 彼らに今何よりも必要なのは、更なる技術革新よりも、それをどう使うかという視点である。最先端の技術を旧来型の産業に使うというのはおよそ理に合わない。どれだけ革新的な技術が生まれようと、その使い方があまりにも紋切り型であっては意味がない。

 技術は、それをどう使うかが重要なのだ。本来、技術とは、何かを成し遂げるための手段に過ぎないのに、しかしここでは技術そのものが目的化されている。

   将来の雇用は自力でつくる以外にない

 ともかく、これだけ価格競争が進んでいる以上、もはや輸出を通して国内に雇用を生み出すことは無理なのだ。それどころか、このままでは輸出大手も国内経済も共倒れになることは目に見えている。

 かくして、20年後、30年後のことを思えば、もはや雇用の面で大手企業に依存するするのが不可能であることは明らかだ。そうである以上、将来の雇用は、若い世代が自力でつくる以外にないのである。しかし、はたしてこれは難しいことなのだろうか? 

 現在、経済の中枢を担う50代、60代は、将来においては、もはや完全にいい歳の老人であり、日用品以外に彼らが物を消費することは殆どない。一方、そこで消費の中心を担うのは、現在の20代、30代である。という訳で、若い世代は、自分たちが欲しいと思う商品やサービスを売ればいいのである。

 そもそも、近年中高年の人々は若い世代を指して「今の若者はクルマを欲しがらないらしい、信じられん、まったく理解出来ない、若い者がクルマを欲しがらないなんておかしい」と盛んに言うが、しかし、若い世代からすれば、単にいらないから買わないだけである。

 地方においては日常の足としてクルマへの需要は変わらずにあるが、しかし都市部においては事情が違う。「都市部なんて電車などの交通網は完備してる、それでいて日本の道路は狭い、信号も多い、おまけに渋滞だらけだ、こんなところをクルマで走ったってストレスが溜まるだけだ、なのになんで高いカネ払ってわざわざクルマ買わなきゃいけないのよ? 電車でいいじゃん」というのがクルマを買わない若い世代の論理である。彼らがクルマを買わないのは、単にそれだけなのだ。にもかかわらず、古い世代は、「クルマは欲しいと思って当たり前である。それを欲しいと思わないなんて信じられない。どうなってるんだ? やっぱり今の若者はみんな草食系なんだなあ……」。などと訳の解らない理屈をつけて理解しようとする。

 更に彼らは、「今の若者はテレビもろくに観ないらしい、信じられない、そもそも、昔は我が家にカラーテレビが来ただけで興奮したもんだ……」とかなんとか言うわけだが、若い世代からすれば、観たい番組がなければ観ないのはそもそも当たり前だ。とりたてて観たい番組があるわけでもないのに、食事の前も、食事中も、食後も、とにかくひたすらテレビがつきっ放しという方がどうかしている、ということになる。

 ともかく、若い世代が別に欲しいとは思わない物、及び世界的に猛烈な勢いで価格が下がる一方の分野に関して、それこそが日本の基幹産業なのだ、日本はこれでもっているのである、などと勝手に決めつけて、そうして政府が補助金まで出して彼らを無理やり自動車や電機産業の製造・販売の現場に縛り付けている。で、そこで正社員はリストラによる人員削減のあおりを受けて残業に明け暮れ、一方非正規の従業員は低賃金に苦しみつつ、正規も非正規も共に浮かばれない日々を過ごしている。これで将来に対する希望が出てくるわけがない。

 とはいえ、それなら、若い世代は自分たちが欲しいと思う商品やサービスを売ればいいと、そうお前は言うが、そんなことが出来るのか? と思う人もいるだろが、あいにく、出来る。

 これについては極めて重要なので、後日詳細に論述することにする。

 
(1)『週刊ダイヤモンド』で連載中の「超整理日記」より。

(2)『週刊ダイヤモンド』で連載中の「金融市場異論百出」より。なお、この連載は過去のバックナンバーをすべてダイヤモンド社のウェブ・マガジンで閲覧出来る。

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