中国李克強首相の改革・夏の陣②

 李克強首相による改革は、とどまるところを知りません。しかも、その改革の実行過程は、非常に緻密に計算された戦略的なものであり、複雑です。

 8月16日、中国政府は、2011年に起きた高速鉄道事故以来ストップをかけていた、高速鉄道の入札を再開しました。更に、19日には、鉄道事業について、広く民間にも全面開放すると発表したのです。

 2011年、高速鉄道の事故が起こった際、当局は、事故に関する証拠を隠滅すべく、車両を地中深く埋めました。ところが、この証拠隠滅に関して、その後、メディアが批判し、また微博(中国版ツイッター)でも市民が大挙して批判の声を上げたことを受けて、その攻勢の前に、一旦は地中深く埋めた事故車両を当局が掘り返す、という事態になります。つまり、当局は事故原因をうやむやのままにしようとしたものの、メディアと市民がそれを許さなかったのです。そしてその後、安全性が信頼できないということで、高速鉄道の入札は、ずっと中断されたままになっていました。

 ところで、これは以前にも申し上げたことですが、中国において、鉄道事業は軍の影響力が大変強く、軍の利権の温床となっていました。

 しかし、今年3月、新たに誕生した李克強政権は、軍の影響のもとにあった鉄道省を解体し、これを交通運輸省に統合したうえで、政府の直轄とします。つまり、首相に就任した李克強は、真っ先に鉄道事業という軍にとって重要な利権を解体したのです。

 中国の国土は、アメリカよりも更に広大であるわけですが、しかし中国政府は、この広大な土地をアメリカのようにクルマ社会にするのではなく、各地の主要都市を鉄道で結ぶ計画を建てていました。それは言うまでもなく、主要都市をすべて鉄道で繋いだ日本の高度成長をモデルとするものです。しかし、そうである以上、この鉄道事業は、壮大なプロジェクトであり、そして壮大なプロジェクトである以上、巨大な利権となりやすいものです。

 だからこそ、この分野に関して軍はずっと影響力を行使し続けたという部分はあったわけですが、しかし李克強は、敢然と改革に乗り出し、首相就任と同時に、鉄道省の解体に踏み切ったのです。

 そして今回、事故以来ストップしていた高速鉄道の入札を再開する共に、鉄道事業を広く民間にも全面開放すると発表しました。これは、安全性についてその信頼を回復するという意味でも、極めて重要なものと言えるでしょう。というのも、非常に大きな事故を起こし、安全性に対して強い疑念が投げかけられた場合、その信頼回復は容易ではありません。そのことは、何よりも日本における福島の原発事故により明らかです。そして、福島の事故と、中国の高速鉄道事故は、まさに同じ性質のものであったからこそ、その後、高速鉄道の入札はずっとストップされたままだったのです。

 とはいえ、高速鉄道そのものは、経済にとっても、そしてもちろん市民生活の向上にとっても、必要不可欠ものであることは明らかで、そうである以上、人々の信頼性を回復するための組織改革は絶対にやらねばなりません。そのうえで、鉄道省の解体と、民間への全面開放というのは、これ以上ない改革です。つまり中国は、事故を、改革へのステップとしたのです。

 ちなみに、これまで分析してきた、シャドーバンキング(影の銀行)の改革と、更には鉄鋼・アルミ・セメントなど素材産業の過剰生産問題の改革というのは、将来における不良債権の芽を事前に摘み取るものであると同時に、李克強の経済政策の最大の柱である、中西部の開発と都市化、という一大事業のために、都市インフラにおける非効率性を除去する、という意味合いを持つものでもあるということは、以前お伝えした通りです。

 そして言うまでもなく、この鉄道改革もまた、都市化政策のためのものです。交通インフラは、まさに都市と都市を結ぶものである以上、当然です。

 つまり李克強は、自らが「人類史上類を見ないほど規模の大きなものになる」と宣言しているこの都市化政策を、絶対に成功させるために、非常に戦略的に改革を行っていると言えます。

 一方で、都市に必要なものは、他にもあります。それは、電力インフラであり、自動車であり、水処理であり、情報通信であり、また各種リサイクル網の整備です。限りある資源を有効に使い、環境に配慮した都市を整備する、そのために、再生可能エネルギーエコカー、その他、様々な環境産業を育成すべく、意欲的な目標も続々と発表しています。

 まず、7月15日、中国政府は、太陽光発電の導入量を、2015年末までに、現在(2013年)の5倍にする、という目標を掲げました。中国の今年の太陽光発電の導入量は、700万キロワットと見込まれているのですが、これを2年後には3500万キロワットまで高める、という非常に意欲的な目標です。

 そして8月に入ると、まず12日には、エコカー、省エネ、水処理などの環境産業を育てるべく、これを年間15%以上伸ばし、2015年末までに、その市場規模を70兆円まで高める、という目標を掲げます。これについては、8月14日付けの日経新聞電子版に、非常に要領よくまとめた記事がありますので、以下に引用します。

 「中国政府は環境産業の育成に向けた振興策をまとめた。省エネ設備やエコカーの普及を進め、外資企業の先端技術も取り込んで競争力向上を目指す」。

 「電機や自動車など関連産業の生産規模を毎年15%以上伸ばし、環境産業の生産規模を2015年までに4兆5000億元(約70兆円)に拡大するとしている」。

 「具体的には、自動車や産業機器の燃費を改善する「高効率モーター」の開発・生産拠点を各地に設け、発光ダイオード(LED)を使った省エネ照明の普及も進める。産官学で新型の電気自動車(EV)や圧縮空気を動力源とする「空気カー」の開発にも乗り出す」。

 「税制優遇などを設けて企業には工場廃水処理技術導入を促す。工業廃棄物の中からレアメタル希少金属)などの資源を回収する「都市鉱山」のモデル地区を全国に50カ所設けるという」。

 「大気汚染対策では、微小粒子状物質「PM2.5」の監視測定技術を産官学連携で開発。政府公用車の大部分をエコカーにしたり、空気清浄機に購入補助金を設けたりして関連製品の普及を促す」。

 更に、14日になると、今度は情報通信産業について、これを年間20%以上のペースで拡大させ、2015年末においてその市場規模を50兆円まで高める、という目標も発表しました。

 いずれにおいても、非常に意欲的な目標です。ちなみに、単に目標だけを掲げて、それで終わりだとは思えません。何故なら、李克強はこれまで、やると言ったことは、言葉以上にやってきたからです。もちろん、これらの事業を実際に行うのは民間の事業者である以上、目標が達成されるという保証はないものの、しかし目標達成に向けて政府の行えるサポートは、色々と手を打ってくること筈です。

 ところで、これら一連の発表は、どれも2015年末までを目標として設定していますが、この理由ははっきりしていて、いくら今年3月に政権が変わったとはいえ、2011年からスタートした第12次5カ年計画は、いまもって継続しているのです。これらの新産業を次代の主力産業として育てる、というのは、この第12次5カ年計画にもあったのです。一方で、李克強政権は、この第12次5カ年計画をそのまま実行しているというのではなく、あくまでも、シャドーバンキングや素材産業の過剰生産など、中国経済の構造問題を是正しつつ、都市化計画を成功に導き、そうして新しい経済モデルを構築するための土台として行う方針である、ということは明らかでしょう。実際、政府の公式の声明文からも、そのように読み取れます。

 ところで、このような李克強政権の政策について、最も敏感に反応しているのが、株式市場です。新政権発足以降、大手国有企業が名を連ねる上海総合指数は軟調に推移してきた一方で、中国版ナスダックと呼ばれる深セン市場の創業板指数の上昇は素晴らしく、そのパフォーマンスはニューヨーク・ダウや日経平均をはるかに上回ります。そして、8月26日には、ついに史上最高値を更新しました。昨年末以降、創業板指数の上昇率は、実に73%にのぼるという、凄まじい上昇ぶりです。

 つまり、投資家は、投資対象として、既存の大手国有企業ではなく、これから成長してくるであろう新興企業に照準を定めている状況です。もちろん上海市場に上場している大手国有企業も、改革次第では十分に伸びる余地があるものですが、それでも、この創業板の活況などからも、中国の経済環境がこれから大きく変わろうとしている、その息吹を感じ取ることが出来ます。