新体制の日銀が打ち出した金融緩和政策の影響、国内景気と円相場、そして何より黒田東彦という人物について

 黒田総裁新体制下の日銀は、4月4日、最初の金融政策を発表しました。事前の市場予想では、新体制に移行してまだ日が浅いため、いわゆる「次元の違う緩和」というのは、今回と4月下旬の会合との2回に分けて、つまり2段構えで発表されるだろう、というのが大方の見方だったのですが、黒田総裁は、その予想を覆し、いきなり大規模な緩和政策を発表してきました。

 その内容ですが、まず注目すべきは、これまで日銀が行ってきた金融市場操作を、金利を基準にした従来のものから、マネタリーベースを基準とするものに変える、ということです。これはどういうことかと言いますと、通貨の番人である中央銀行は、金融市場が円滑に展開されるよう常に調節を行っています。従来、日銀の金利は0・1%でした。つまり、これほどの低金利に設定している以上、日銀はそれだけ強力な金融緩和を推進しているのであり、もはやこれ以上金利は下げようのないほどのレベルある、というのがこれまでの日銀の論理だったのですが、そこを新体制下の日銀は、思い切り変えて来たのです。

 金利はもはや下げようがない、だけどその分は量で調節する、という論理です。つまり、それだけマネーを大量に発行するということです。これが、マネタリーベースに移行するということなのですが、その規模が凄いもので、2012年末の時点で138兆円だったものを、2014年末にはなんと270兆円まで膨らませる、というのです。これは物凄いレベルの量的緩和です。

 そして更に、長期金利保有残高も、2012年末時点では89兆円だったものを、2014年末には190兆円まで増やすとしています。

 こうして、ベースマネーは2倍、長期国債は2倍超、という「次元の違う」量的緩和になるわけです。

 加えて、質的な面でも金融緩和を強化すべく、買い入れる国債の平均残存期間を、これまでの3年弱から7年まで拡大し、おまけにETFやREITといった通常中央銀行が購入するべきものではないリスク資産の購入もその規模を拡大するとしています。

 そして、このようなかたちで新たな金融緩和を行う以上、白川前総裁が創設した資産買い入れ基金は廃止し、またいわゆる「日銀券ルール」も一定期間適用を停止することにしました。

 これら一連の政策を、新体制下最初の会合でいきなりまとめて出してくるというのは、かなりのサプライズであり、市場は即座に反応しました。

 ところで、言うまでもなく、問題はこのような政策ははたして妥当なものかどうかということです。

 日銀がこれだけ大量に資金供給したところで、いったい誰がそのおカネを使うのでしょう? この疑問が出てきます。だいたい、いまの日本には、おカネが余っているのです。しかし、個人も企業も、将来が不安だしリスクも取りたくないからおカネを使わず、そうして銀行の預金残高や内部留保がドンドン積み上がっているという状態です。

 日本の大手輸出企業は今後の業績の改善が明らかなわけですが、「中国経済の拡大」+「需要の増加」+「更なる円安」により、これまで以上の大幅な増収増益と、経常黒字が見込まれることはほぼ確実となりました。これを内需活性化に生かすつもりであるならば、この機会に、大企業優遇税制を見直して、分配政策を行うべきでしょう。つまり、大企業がかつてのように再び多額の儲けを得るならば、そこで税制改革を行って、富の分配を実行し、格差を是正するとともに、低所得層の購買力を押し上げて、内需を活性化させるわけです。「次元の違う金融緩和によるデフレ脱却」というならば、このような所得分配政策をおこなうべきです。もちろん、これは日銀の問題ではなく、政府の問題です。

 資産効果で消費を刺激しデフレから脱却、という安倍政権の言い分は、実際のところどうなるかというと、富裕層は益々懐が潤う、一方で中間層・低所得層は、円安による輸入物価の上昇で家計が圧迫され財布の紐が固くなる、という二極化が進むおそれがあります。既にアメリカはそのような状況になっていて、小売業全体は伸びていても、その伸びている分野というのは宝飾品などの高級品であり、庶民が買う身の回り品は苦戦する一方です。何故なら、生活必需品の価格は上がる一方なのに実質所得は下がる一方であるため、生活必需品への支出で精一杯で、その他の服などの身の回り品を消費する余裕がなくなってきているからです。ちなみに、この傾向は、もちろん日本でも既に表れています。いわゆる、スタグフレーションの前兆です。

 ところで、大規模な金融緩和による一段の株高、となると、巷では盛んにバブルへの警戒感があるわけですが、これについては、輸出企業の株高と、不動産関連の株高は、明確に分けて考える必要があります。

 以前にも申し上げたように、株というのは、企業収益改善への期待値、及び既に大幅に改善した収益に対する株価とのギャップ、などによってその上昇が裏付けられるものです。過去最高益が確実、ないしほぼ確実な状況になっているブリヂストンなどの各タイヤ・メーカー、ダイキンユニ・チャーム、など業績の優良な企業でさえ、その株価は、改善が進む業績にまったく追いついていないほど値段が安いというのが現状です。

 また、2012年においては赤字である企業にしても、昨年末から急速に良くなりつつある中国経済の拡大と、昨年9月末に始まった円安によって、今後業績が大きく改善されることは火を見るより明らかで、過去の業績、過去の株価と較べれば、やはり現在の株価はまだまだ圧倒的に割安であるところが非常に多いのが現状です。

 2013年3月の年度末時点で、日経平均株価リーマンショック前の高値のおよそ3分の2というレベルに回復してきていますが、その一方で、マツダはまだ3分の1、川崎汽船などは9分の1、それしか戻っていないのです。他にも、この企業の部品がなければ中国に進出している世界中の製造業が製品を作れない、というほど世界シェアの高い、村田製作所信越化学など、これから業績が大幅に改善されることが確実な企業は枚挙に暇がありません。環境対応技術で世界最高峰の東レなども含め、日本の輸出企業の株価は以前として割安であり、こんなに安くていいのかよ、というぐらい安いのです。

 中国はいまや世界最大の貿易大国であり、世界経済において最も大きなインパクトを持つレベルにまで到達したわけですが、その中国が、過去2年間の不況を脱して、ついに本格的な上昇を開始したのです。だから、この中国経済の先行きに支えられた日本の輸出企業の株価上昇もまた、これからが本番なのです。

 先日、シンガポールにおいて、「何故中国だけがこんなにも良いのでしょう?」、「中国を他の新興国と分ける必要があるのでしょうか?」という議論が本気で行われていることをお伝えしましたが、この模様を報道したCNBCアジアの「ワールドワイド・エクスチェンジ」という番組では昨日、現在香港を訪れているジョージ・ソロスのインタビューが放映されました。以下は、中国経済に関するソロスの見解です。

 「中国が、非常にダイナミックなマーケットであることは間違いありません。そしてまだまだ、中国はこれから発展していきます。ということで、中国ですけれども、成長モデルを変えなければなりません。成長シナリオをしっかり作って、新しい指導部によって、このような新しい成長シナリオを出してくるということを期待しています。そして中国は、現在のこの状況を色々と調整していくということで、色々な改革を進めていくということを我々も期待しているわけです。私は、これが上手くいっていると思っています」。

 日本の大手メディア・経済学者・金融アナリストたちは、中国の改革は上手く行っていない、中国の改革はまるで進んでいない、という報道・解説を繰り返しているわけですが、それについて、ソロスはまるで逆のことを語っているわけです。「何故中国だけがこんなにも良いのでしょう?」というシンガポールでのやり取りにしてもそうです。中国経済について、日本で言われていることと、日本以外で言われていることは、とことん正反対なのです。

 とにかく、アメリカも、ヨーロッパも、シンガポールも、ジョージ・ソロスも、そして世界一の中国贔屓といっていいジム・ロジャーズも、拡大する一方の中国経済を高く評価し、みんな中国で儲けようとしているわけです。そして、繰り返しますが、中国経済の上昇に、日本の自民党政権の政策がいったい何の関係があるというのでしょう? あるわけないのです。という訳で、日本の輸出企業の株価は、まったくバブルではないのです。

 その一方で、不動産セクターは違います。こちらについては、明らかに加熱し過ぎです。日銀の政策が発表された4月4日、東証1部全体のなかで、業種別騰落率の上昇上位は、1位が不動産、2位が銀行で、上昇率はそれぞれ、「+7・58%」と「5・08%」でした。そして一夜明けた昨日、日経平均株価(この225銘柄の主力はもちろん輸出企業です)の上昇率は、「+1・58%」と常識的なものだったのですが、そんななか、不動産セクターの上昇率は異常なものがありました。この日不動産は上昇率の1位で、その上昇幅は実に「+11・77%」、2位がその他金融「+9・38%」、3位に銀行「5・04%」と続きました。

 つまり、不動産株は、たった2日間で、およそ20%も上昇したのであり、また銀行も10%を超えて上昇しました。ちなみに、昨日の4月5日における東証1部全体の売買代金は実に4兆8633億円(!)を記録し、売買高に至っては、過去最高だった2011年3月15日、あの福島第一原発で建屋が吹っ飛び、株価が大暴落をした日を超えて、なんと歴代1位を記録したのです。

 こう言うと、いかにも異常どころか、狂気じみているとさえ感じられるかもしれません。ちなみにこの日、輸出企業の株価動向は、至って冷静なものでした。それは何故なら、まずは中国での鳥インフルエンザへの警戒感から香港市場が下落したことが挙げられるのですが、しかしそれがなくても、投資家の輸出企業に対する視線は依然として中長期的な企業業績を見据えてのもので、この鳥インフルエンザ問題がなくても、過熱感というほどのものはまったくありません。だから輸出企業が主力を成す日経平均株価は、1・58%のプラスにとどまっているのです。

 それに対して、不動産セクターの伸びは異常です。中国本土・香港における不動産価格抑制策を受けて、チャイナマネーが日本の不動産市場に向かっていることは間違いないものの、それでも実際の不動産価格がそこまで上昇しているか、また今後上昇が期待されるかというと、まるでそうではない。にも拘わらず、不動産関連株は猛烈に上昇している。この点で、不動産関連株は、明らかに加熱し過ぎです。

 また、日銀による緩和策といえば、為替相場についても触れなくてはなりません。ドル円に関して、円安が始まったのが昨年9月末、中国が国慶節の大型連休に沸いて、その景況感をまざまざと見せつけたときからであるわけですが、当時のドル円レートはおよそ77円、そして解散総選挙があった11月半ばの時点ではおよそ80円、ここから、2月には実に96円台まで円が下落し、以降は96〜94円台あたりで推移するというレンジ相場にありました。

 このように数か月で進んだ円安について、大手メディア・経済学者・金融アナリストたちは一様に、この円安は日銀の新たな緩和策への期待感によるものだ、という報道・解説をしてきたわけですが、それが嘘デタラメであったことが、今回実際に打ち出された緩和策への市場の反応から、あらためて明らかになりました。

 というのも、何度も申し上げて来たように、あのFRBのQE2という大規模緩和でさえ、そこにおけるドル安効果は、対円で5円ほどだったのです。ところが、衆院解散以降、円は対ドルで最大16円も下落しました。いくら中央銀行の権限が強大だからといって、それ以上に超巨大な為替市場の規模に比べれば、大したものではないのです。だからこそ、QE2でさえ、ドル安効果は5円ほどに過ぎないのです。

 第二に、白川前総裁です。2月上旬、当時日銀総裁だった白川さんは、任期満了を待たず前倒しでの辞任を発表しました。それを受けて為替市場はすぐに反応したのです。「おぉ! あの邪魔者白川がついに辞めるのか! これで日銀もいよいよ変わるぞ」ということで、あっという間に猛烈な勢いで円安が進行したのですが、しかし1日経つと、また元に戻ったのです。これは当たり前であり、白川さんが辞意を表明したといっても、すぐに辞めるわけではなく、3月19日までは依然として白川さんが日銀のかじ取りを行うのです。つまり、この1日の間での円相場の急激な戻りは、「なんだ、白川は辞めるといってもまだ先のことか、当分はまだ日銀は金融緩和しないのか、じゃあいま円を売るのは損だな」ということで円の買い戻しが起こったわけです。
 
 第三が、黒田新総裁が打ち出した緩和策に対する市場の反応です。もし昨秋以来の円安が日銀の大規模緩和を織り込んでのものならば、これで利益確定ということで、円高になるのが普通です。実際、アナリストたちの間では、「日銀大規模緩和→これで材料出尽くし→利益確定のドル売り円買い」という予想を立てていた人は少なくありませんでした。ところが、実際はそうではなかった。

 何度でも言いますが、中国の国慶節の時期に始まった円安は、中国経済の上昇を最大の核とする、世界経済のパラダイムシフトに伴う需給バランスの変化こそが最大の要因であって、だからここまでの円安は、日銀が原因のものではないのです。日銀を主要因とする円安は、この4月4日に、はじめてスタートしたのです。

 最後に、黒田新総裁の能力について、言及しておきます。

 まずこの方の特徴は、非常に話が上手いということです。白川さんも言葉は大変上手な方でしたが、しかし白川さんの場合、「偽りの夜明け」という有名な表現に代表されるように、言語表現は巧みでも、晦渋で難解な哲学者、という印象を強く市場に与えるものではありました。

 その一方で、黒田さんは、喋りがとても上手です。ときに身振りを交え、ときに目線や表情を変えながら、自らの政策や理念について、非常に簡潔・明朗に語ります。また、声も非常に良いです。もっとこの人の話を聞いていたい、そういう気にさせる方です。

 また、今回打ち出された政策についても、非常に強固な論理的一貫性に貫かれています。これは、並みの人間に打ち出せる内容ではありません。

 という訳で、黒田総裁というのは、その卓越した喋りの技術、その強固な論理的一貫性から、中央銀行総裁としての黒田さんの能力は、世界的にも極めて高いと言わざるを得ません。だからこそ、株式市場はあれだけの反応を示すのです。

 何故このようなことを言うかというと、この黒田新体制の日銀の政策について、これをアベノミクスと呼んでいいのか、という疑問からです。一般的な理解としては、新体制の日銀は安倍政権の言いなりであり、安倍政権の手下のような存在だ、というものだと思うのですが、しかし、黒田総裁の能力は、安倍首相や甘利・麻生といった経済閣僚など及びもつかないほど高いものがあり、この点で、明らかに日銀の方が安倍政権よりも上です。

 繰り返します、黒田新体制の日銀は、明らかに安倍政権よりも上です。黒田総裁は、安倍政権などよりもっと大きなものに突き動かされて、政策を実行しています。なので、この日銀の政策をアベノミクスの一部と見ることは、事の本質を見誤ることに繋がると思うのです。

 なお、大規模な金融緩和については、アメリカのFRB、そしてIMFこそ、まさに最大の旗振り役であり、とりわけIMFは、先進諸国に対し金融緩和を強く促してきたということ記して、この稿の締めとします。