日銀白川総裁勝利、自民党敗北 白川総裁はいかにして自民党の圧力を将来への予防にすり変えたのか

 昨日1月22日に発表された日銀の金融政策を受けて、今朝の大手新聞各紙は、一様に「2%の物価目標(インフレ・ターゲット)」、「無期限の緩和」などの見出しで埋まりました。あたかも、日銀が自民党の圧力に屈したかのようですが、しかし日銀が発表した金融政策の内容を詳細に検討すると、むしろ実際はその逆で、これは明らかに日銀の勝利であり、且つ将来に向けての予防線を張ったものといえます。

 まずは、この日銀金融政策決定会合をめぐる一連の動きを、時系列順に整理してみます。日銀の会合は、1月21日と22日の2度に渡って行われたのですが、初日の会合終了後、突然日銀から、翌22日の会合の開始時間を1時間繰り上げ、午前8時から開始すると発表がありました。日銀の会合は、白川総裁をはじめ9人の委員による合議制なのですが、この異例の発表は、委員の間で相当に意見が分かれていることを容易に想像させるものです。

 そして22日になり時間が経つにつれ、市場では俄かに緊張が増してきます。通常、日銀の金融政策は、会合開始が9時であり、そうして東証の取引の昼休みが終わる12時半までには発表されるのですが、今回に限っては、会合の時間が1時間繰り上げられたにも拘わらず、昼休みを過ぎてもなんの音沙汰もありませんでした。その昼休み中、僕はしばしば日銀のホームページにアクセスしていたのですが、12時半を過ぎたあたりからまったくアクセスできなくなりました。今回の会合はかつてないほど注目度も高いですから、それが12時半を過ぎても結果が出てこないことを受けて、アクセスが殺到し、パンク状態になったのではないかと推察されます。そうこうするうち、12時52分、日経新聞電子版が、「日銀物価目標2%導入」という速報を出しました。ちなみに、後でアクセスして解ったのですが、日銀が今回の政策について公表する文書をPDFでホームページにアップしたのは、12時47分でした。

 さて、これを受けて、すかさず株式・為替・債権市場が動きました。午後1時頃までは、急ピッチで株高・円安・長期国債の利回り上昇というものだったのですが、1時を過ぎた頃から、急激な勢いで株価は下落し、円高も進み、長期国債の利回りも低下しました。株に関しては、1万900円あたりまで上昇したところから大幅に下落し、午後3時の東証終値は1万709円まで行き、更にその後、夜間取引時間になっても下落は続き、深夜の時点では、1万600円あたりで推移するという水準まで落ち込みます。一方円相場ですが、これも一時90円まで円安が進んだものの、その後一気に円高に振れ、89円台を通り越して、88円台の前半まで円高が進みます。そして長期国債は、0・75%あたりから0・73%あたりまで落ちました。

 僕は、今回発表された日銀の政策について、大手金融機関のアナリストなどがどう感じているのか、CSとネットで片っ端から情報を探りました。そしてはっきり解ったことは、アメリカのFRBのような大規模な金融緩和を望んでいた人々の間では、一様に失望が広がっているということです。つまり、字面だけ見ると、「2%の物価目標(インフレ・ターゲットの導入)」、「無期限(オープンエンド)の金融緩和」ということになるのですが、しかしその内容を詳細に検討してみると、これがまったくそうではなく、むしろ正反対だということです。だから株は売られ、円高も進んだのです。

 失望を生んだ第一の原因は、まずは無期限緩和の内容です。いくら2%の物価目標を導入したといっても、単にそれだけでは口先のことに過ぎないので、当然ながら具体的な政策の内容が問題になってくるわけですが、これについて、日銀のPDFには、次のようにあります。

 「現行方式での買入れが完了した後、2014 年初から、期限を定めず毎月一定額の金融資産を買入れる方式を導入し、当分の間、毎月、長期国債2兆円程度を含む13 兆円程度の金融資産の買入れを行う(資産買入れ額の内訳は別紙2のとおり)。これにより、基金の残高は2014 年中に10兆円程度増加し、それ以降残高は維持されると見込まれる」。

 これ、何が問題かと言いますと、最後の部分にある「基金の残高は2014 年中に10兆円程度増加し、それ以降残高は維持されると見込まれる」というところです。つまり、国債などの資産は買い入れるけど、しかし基金の増額は年間で10兆円にとどめ、それ以降はこれを維持する、ということです。

 より解りやすく説明します。昨年9月、ECB(ヨーロッパ中欧銀行)は、スペインなど債務危機にある国の国債に関して、ESM(ヨーロッパ安定メカニズム)に支援要請するならばその国の国債を無制限に購入すると発表したのですが、その後で、しかし「不胎化」すると言ったのです。この「不胎化」とは何かと言いますと、国債を無制限で買い入れると、本来ならそのぶん市場に供給されるマネーの量は増大し、マネーの過剰供給を生むと共に、ECBのバランスシートも拡大して通貨ユーロの信認が危うくなるわけですが、それを防ぐために、新たに資産を買い入れた分は別の資産を売るなどして、マネー供給を増やさなければ、バランスシートも拡大せず、共にこれを維持します、というものです。つまり、無制限の金融緩和のようでありながら、実は全然そうではないということです。

 今回の日銀の発表も、基本的にはそれを同じものです。国債などの資産はたくさん買い入れるけれど、しかし日銀の基金の増額は年間10兆円までにとどめ、以降もこれを維持すると言っているのです。ちなみに、日銀が買い入れてきた国債などにも当然「満期」が来るものも沢山ありますので、このような操作は、技術的に可能なのです。

 しかし、事態はそれだけにとどまりません。年間の基金の増額が10兆円ということは、現在時限を区切って行っている「包括緩和」と呼ばれる緩和手法よりも、1年間に増額する基金の額は少ないのです。つまり、こういうことです。これまで期限を区切ってやっていたものを無期限にやりますと言うと、いかにも大規模な金融緩和に踏み出した印象を与えるのですが、しかし実際のところ年間に増える基金の額そのものは、これまでより減るのです。それは即ち、今回発表された政策は、これまでより規模の大きいものではなく、その逆にこれまでより規模の小さい緩和政策なのです。

 ところが、それだけではありません。PDFでは、更に次のような言葉が続きます。

 「金融緩和の推進に当たっては、日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく」。

 つまり、この政策の過程で、何か問題が生じるような場合、この無期限の緩和の推進をやめるということです。ちなみに、PDFでは、本文とは別に、(注)で次のようなことが記されています。

 「宮尾委員より、別途、実質的なゼロ金利政策について、消費者物価の前年比上昇率2%が見通せるようになるまで継続するとの議案が提出され、反対多数で否決された」。

 物価目標として2%を掲げておきながら、しかしその2%の物価上昇が見通せるまで実質的なゼロ金利政策を続けるかについて、続けないと明言しているわけです。つまり、2%の物価目標が達成されるために日銀が金融緩和を行うのではない、ということです。それは即ち、日銀の姿勢は、これまでと変わらないということです。しかし、それならこの2%の物価目標とはいったい何なのか? ということになってきます。

 僕はPDFのなかで、この2%の物価目標についての部分を何度も何度も読み返しました。とにかくあらゆる偏見を徹底的に廃したうえで、じっくり検討しないとどうにもならないと思い、徹底して読んだのです。そこでまず気付いたのが、2%の物価上昇を達成するために日銀が金融緩和を行う、などとは一言も書いていないということです。直接的ではなく、間接的にそれを示唆する文言もまったくありません。

 そして具体的にはっきりしたのは、これは、「持続的な物価安定の目標としての2%」であり、そのように「物価を安定」させるために、「物価上昇率の目標を前年同月比で2%とする」ということです。何を言っているのか解らないと思いますが、日銀がしつこく繰り返しているのが、2%で物価を安定させるということなのです。

 どういうことかと言いますと、物価というのは、予期せぬことで物価上昇率が2%を超えることがあるということです。最近、資源価格がドンドン上昇しています。原油天然ガス、鉄鉱石・・・、また穀物など飼料の価格も上昇しています。日本はずっとデフレではありましたけど、しかし2008年、アメリカの不動産バブルによってあらゆる資源・穀物価格が急騰し、日本でも物価上昇率が2%を超えました。とはいえ、もちろんそのときはバブルの崩壊によって資源・穀物価格も下落しましたが、しかしここに来て中国をはじめとして新興国の持続的な成長期待から、ドンドン資源・穀物価格が高騰しており、今年の年平均の原油価格は、過去最高だった2008年を超える公算が高まっています。もちろんだからといって、それで物価が2%上昇するとは限りませんが、しかし将来的には、このようなリスクは当然想定されるべきことです。PDFには、次のような言葉があります。

 「先行き、物価が緩やかに上昇していくことが見込まれる中にあって、2%という目標を明確にすることは、持続可能な物価上昇率を安定させるうえで、適当と考えられる」。

 つまり、将来的に物価は緩やかに上昇していくだろうから、その際2%という目標を掲げておけば、物価の上昇を安定させることができると語っているわけです。あらゆる偏見を廃したうえでこの文章を検討するならば、これは将来物価上昇率が2%を超えたとき、それを2%に抑えるための目標とも受け取れるわけです。実際、日銀の金融政策によって物価を上昇させるとは、一言も書いていないのですから。成長を通して物価を上昇させる主な経済主体は、政府や民間であり、そのような動向の変化のなかで、日銀は物価の安定に努める、これがとにかく主張されていることなのです。

 また、今回大規模な緩和を期待したアナリストたちを落胆させたことに、日銀当座預金の超過準備に付ける金利(付利、0.1%)の引き下げについて、これを否定したこともあります。これは何かと言いますと、民間の金融機関が日銀の預金口座におカネを預ける際の預金金利なんですけど、安倍氏は昨年11月の衆院解散後、日銀に対し、現在0・1%あるこの金利をマイナスにするよう要求したのです。これについて、当時白川総裁は記者会見のなかでこれをバッサリと斬り捨てて否定したのですが、今回あらためてこれを否定したのです。この問題は別名付利撤廃とも言われているのですが、これについてブラウン・ブラザーズ・ハリマンのシニア通貨ストラテジスト・村田雅志さんがロイターのコラムで次のように述べています。

 「日銀総裁が付利撤廃は市場機能や金融機関の収益に悪影響と述べたことで、一時的に円買いが強まったとみている。緩和政策の切り札の1つとして付利撤廃が当然意識されていたが、白川総裁は従来の見解を繰り返したため、付利撤廃に関しては白川総裁の考えは変わっていないと受け止められた」。

 「ドル/円の方向感を考えるうえで、日本サイドでは日銀の金融緩和への過剰な期待がはく落する格好となった」。

 「今回の会合だけで日銀の姿勢を判断するべきではない。白川総裁の次の総裁が視野に入れば、マーケットでは再び緩和期待が強まるだろう」。

 読めば一目瞭然でして、期待は剥落した、もはや白川総裁のもとでは大規模な緩和は望めない、次の総裁に期待だと言っているわけです。一方で、今回の一連の政策について、少ないながらも好感している論者もいます。同じくロイターの掲載ですが、コラムニストの田巻一彦さんは、「白川日銀の粘り勝ち、アベノミクスに軌道修正」というタイトルの記事のなかで次のように言っています。

 「当面は極端な緩和政策の推進が回避されたとみていいだろう。中銀の独立性をギリギリで確保し、結果として日銀の粘り勝ちとも言える」。

 「今回の新システムでは、2013年の資産買取基金の買取ペースは、前回の金融政策決定会合で決められた内容通りであり、14年の増加額も10兆円となっている。『無制限緩和』では急増しかねなかった資産買取基金の残高の増加ペースは、より緩やかになった」。

 日経新聞電子版のなかでも、土屋尚也編集委員は、22日17時43分配信の記事のなかで、「時期明示を回避できたのは、日銀側の小さな『勝利』と言ってよいだろう」と書いています。

 という訳で、FRB寄りのアナリストたちの落胆ぶりを見ても、これは明らかに日銀白川総裁の勝利です。問題は、これがどれぐらいの勝利なのかということです。ここで重要なのは、例の期限を定めず、一方で基金の増額は年10兆円でこれを維持するという新たな資産買い入れ政策の導入が、2014年からだということです。言うまでもなく、この時点で、白川総裁の任期は終わっており、2014年になったときは別の総裁が日銀を運営するわけです。そしてご存知の通り、自民党及びそれに連なる、というかより厳密に言えばFRBに連なるエコノミストたちは、次の総裁で大規模な緩和策を目論んでいるわけですが、白川総裁は、自分の任期が終了してから後のことまで考え、次期総裁人事に先んじて、2014年以降も大規模な緩和政策が出来ないよう布石を打ったのです。

 ここで意味を持ってくるのが、今回日銀と政府が共同で作成した共同声明の文書です。これは元々は、政府が日銀に無理やりFRBのような緩和政策を実行させ、しかもそれが白川総裁による一時凌ぎの口先で終わらず次期総裁になってからも拘束力を持つようにという意図から政府が仕掛けたものです。ところが、白川総裁は、それを逆手に取ったわけです。つまり、この共同声明は次期総裁になっても拘束力を持つからこそ、後々まで大規模が緩和政策を行えないようなもので共同声明を作ってしまったわけです。こうして、白川総裁はこの共同声明の文書を逆手に取り、将来に渡り政府と日銀が下手なことができないよう、足枷をつけたわけです。

 この手口は、絶妙と言わねばなりません。しかも、2%の物価目標の趣旨についても、しっかりと書きとめられています。白川総裁は、政府が「要請」した通り、2%の物価目標を掲げたのです。但し、その趣旨は、政府の意図したものとはまるで違います。とはいえ、それでも政府は文句を言えません。何故なら、彼らが「要請」したのは、2%の物価目標を掲げろということだけで、その内容や趣旨については、日銀の裁量に任されていたからです。

 そう考えるならば、これは日銀の「小さな勝利」どころか、「圧勝」と言っていいのではないでしょうか? もちろん、ベストは2%の物価目標さえ掲げないことですけど、しかしそれをやったら、株価は大暴落する、円は急騰する、それを受けてメディアはかつてない強烈な日銀叩きを開始し、そうして日銀法改正(改悪)への圧力は増すでしょう。もちろん4月から就任する新たな日銀総裁は、そこで2%の物価目標を掲げるに決まっています。しかもその内容は、自民党の意向に全面的に沿ったものになるわけです。

 それだったら、自分(白川方明)が総裁としている間に、将来の日銀の政策が少しでも良心的なものになるように、そうして自民党のもとでの日銀の暴走を少しでも止められるように、出来る限りのことをやるしかないわけです。既に何度も申し上げてきましたように、白川総裁は、ニューヨークやIMF・世銀年次総会のような場所においてさえ、堂々とアメリカのFRBアメリカ政府を批判してきた方です。間違っても自民党に屈するような方ではないのです。

 ちなみに、昨日の白川総裁の会見の模様は、CSの金融経済専門チャンネルである日経CNBCで放映されました。その際、非常に印象に残るものが多かったのですが、以下の発言は、特に重要です。

 「中央銀行として独立性を持って金融政策を運営しているかどうか、最終的にどのような金融政策を運営しているか、それは金融市場の参加者、あるいは皆さんが判断するわけでありますから、私はこの場で、私の構えを申し上げたいと思いますけれども、日本銀行法に定められた使命に照らして、つまり長い眼で見た経済の安定を開いていくという、その一点に照らして金融政策を運営していくということであります。その気持ちは一貫して変わっていませんし、そうした思いでこの数か月も臨んで参りました」。

 重要なのは、言葉ではありません、目なのです。この発言をする時の白川総裁の目つきは、それまでとは全然違いました。これ以上ないほど信念に溢れた口調で、そしてこれ以上ないほど意志の籠った目つきで、自身の哲学を語っておられました。正直、観ていて、感動しました。またびっくりしました。あのような目つきは、おいそれと出来るものではありません。すべてを投げ打って、日本経済の未来を守るんだという決意が、ヒシヒシと伝わってきました。

 そして白川総裁はこうも仰いました。

 「自分の給料が増えていく、雇用が増えていく、あるいは自分の勤めている会社、あるいは自分の経営している会社の収益が改善していく、そういう状態を国民は望んでいるわけでありまして、物価だけが上がっていくのではないかという予想が高まってきた場合に、長期金利だけが上がってくると、これは財政に影響する、そうすると国家財政にとっても悪影響がありますし、それから国債を大量に保有している金融機関にとっても悪影響が出てくるということであります、物価の安定を通して国民経済の健全な発展に資する、つまり持続的な成長をするために合うシステムの安定ということを意識して・・・」。

 ということです。白川総裁が1番危惧しているのは、大規模な金融緩和が1人歩きして、物価だけが上がって給料や企業収益は置き去りになり、そして物価の上昇がやがて国債長期金利を上昇させることなのです。このことも、白川総裁は依然から何度も語っています。そのような事態を起こさないために白川総裁は、次期総裁に先回りし、政府の共同文書を逆手に取って、あの手この手を打ったわけです。

 とはいえ、今後は、今回決定された政策、また今回作成された共同声明が後々までどれほどの拘束力を持つか、市民である我々が監視していく必要があります。そしてもちろん、今回の様々な文言は、かなり解釈の幅が広くとれるものであるので、この文言を次の日銀総裁がどのように解釈するか、それを監視することも、極めて重要になってきます。

 それにしても、このような手法で、自民党の数々の圧力を逆手に取り、それらを悉く将来に向けての予防策にしてしまうとは、見事と言うほかありません。付け加えるなら、今回の白川総裁は、将来への布石を打つことに終始して、いま現在行っている「包括緩和」に関しては、資産買い入れ基金の増額などはまったく出てきませんでした。つまり、自民党及び、大手メディア・経済学者・金融アナリストたちは、今回から大規模な金融緩和を、最低でも10兆円の基金の積み増しを、と期待していたわけですが、実際のところ、今回基金の増額は、1円たりとも行わないのです。なのに大手メディア・経済学者・金融アナリストたちは、みんなそのことに気付いてさえいないのです。つまり白川総裁は、将来の布石を打ちこれで幻惑することで、今回当然行われるだろうと期待された基金の積み増しも回避したのです。それも、期待した当の彼らはそのことに気付いていないため、白川総裁は、本来なら受けたかもしれない批判さえ受けず、無批判で回避しました。並みの腕前ではありません。