日銀白川総裁とは、そもそもどのような人物なのか?

 ここ数年来、日銀は、日本経済復活への足枷であるとして、大手メディア、経済学者、金融アナリストなどから、かなりのバッシングを受けてきました。そしてこのような日銀へのバッシングは、昨年の解散・総選挙以来更に加速し、とりわけ自民党は、2%の物価上昇が達成されるまで無制限の金融緩和をおこなうよう日銀に要求し、もし実行しないのであれば、日銀法を変えるという脅しをかけています。

 この日銀をめぐって、市民の間で問題の重要性がなかなか伝わらないのは、日銀(中央銀行)が行う金融政策というのは非常に専門的で難しいということもあると思いますが、しかしそれ以外にも、そもそも批判の対象になっている白川方明(まさあき)総裁という方が、いったいどのような考えの持ち主であるのかが、まったく伝わっていないということも大きいと思います。

 以前言及したように、白川総裁は、明らかに日本国内でよりも、国外での方が、その知名度ははるかに上です。実際、昨年末に米フォーブス誌が行った「世界で最も影響力のある人物」ランキングでも、白川総裁は全体の40位にランクされ、これは日本人のなかでは最上位なのです。野田佳彦首相(当時)、トヨタ豊田章男社長、ソフトバンク孫正義社長なども、100位のなかに顔を覗かせているのですが、しかし白川総裁のランキングは、これらの人々よりも上なのです。もちろんフォーブス誌だけを物差しにはできないものの、世界における白川総裁の存在というものを推し量る1つのよい例といえるでしょう。一方で、肝心要の日本においては、日銀(中央銀行)総裁という要職になりながら、その人柄や考えがあまりにも知られていないことは、疑いのない事実です。

 そこで、今回は、その白川総裁がどのような方であるのかをお伝えしようと思います。

 昨年秋、およそ40年ぶりに、IMF・世銀年次総会が東京で開催されました。そしてそれに際して、様々なパネル・ディスカッションが行われたのですが、そのなかに「変化する世界におけるアジアの役割」というものがありました。このディスカッションの檀上に、アジアからは、インドICIC銀行のチャンダ・コッチャルCEO、中国精華大学の李稲葵教授、そして日銀の白川総裁が参加して、アジア経済の過去・現在・未来について、更に広くグローバル経済について、活発な議論・提言がなされました。そこでの白川総裁の発言のなかから、特に注目に値するものをピックアップしていきます。

 まずは、ここ数年の間に起きたグローバル経済の混乱についてです。

 「私はこの問題を、日本のバブル崩壊後に当てはめて考えています。アメリカの住宅価格がピークに達して6年、金融危機が発生して5年、それでもまだ回復にもたついています。日本のバブル崩壊後のGDPの軌跡と、いまのアメリカ、ヨーロッパを較べると、いまのアメリカ、ヨーロッパの方が当時の日本を若干下回っているんです。たとえ積極的な金融緩和を進めても、経済成長率はバブル崩壊後の日本を下回る傾向にあることを認めざるをえません。景気の低迷が長引けば、不満が募ります。不満が募ると、それに関連した被害も引き起こします。それはやがて潜在的な成長率を損なうような不適切な政策へとつながりかねません。いま求められているのは、構造改革、財政改革、適切な金融政策です。そして、厳しい現実を受け入れることです」。

 まず最初の部分、金融危機発生後の欧米の成長率は、かつてのバブル崩壊以降の日本を下回っているという指摘ですが、これは、リーマンショックから数年が経過し、欧米の株価は持ち直したのに、日本だけが出遅れていまだに低迷したままだ、というここ1・2年の間になされたエコノミストの言説とは、まったく対極にあります。つまり欧米の株価上昇というのは、GDPの押し上げという実体経済に根差したものではなく、単に中央銀行がマネーを過剰供給したことによる部分が相当にあるのです。

 そして、それ以上に注目なのは、「たとえ積極的な金融緩和を進めても、経済成長率はバブル崩壊後の日本を下回る傾向にあることを認めざるをえません」という部分です。白川総裁は、この部分を認めたうえで、「厳しい現実を受け入れる」ことを説いているのですが、それとは反対に、この厳しい現実を絶対に認めない最たる人物こそ、アメリカの金融当局のトップにいるFRBバーナンキ議長でしょう。彼は、絶対にそんなことは認めません。そうして、白川総裁が言うところの「潜在的な成長率を損なうような不適切な政策」を行ってきたわけです。そのようなFRBの「不適切な政策」によるマネーの過剰供給を受けて、投機筋が資源・食糧価格を実需以上に引き上げてきたことは、これまで何度も指摘してきた通りです。

 ともかく、ここでの白川総裁は、①アメリカが嫌がるアメリカの現実をIMF・世銀年次総会で堂々と指摘したうえで、②アメリカの金融当局が実行する政策も堂々と批判しているわけです。対米従属にまみれた日本の有力政治家が悉くできないでいることを、白川総裁は平然と行っているのです。

 ちなみに、白川総裁の言う「構造改革」とは、もちろん小泉元首相の言うような「構造改革」とは違います。この会議の冒頭で、白川総裁は、真っ先に日本について高齢化の問題を取り上げました。そして、高齢化による労働人口の減少に対処するために、女性の社会進出の促進と、シニア層が働ける環境の整備の必要性を強く協調しました。白川総裁が言う「構造改革」とは、このような労働環境をめぐる「構造」を変えることです。特に女性については、「もし日本がこの分野で最先端を行くスウェーデンのような・・・」などと具体的な例を取り上げて語っていました。

 さて、次は日本のバブルについてです。白川総裁は、欧米の不動産バブルとその崩壊についてだけでなく、80年代の日本のバブルについても発言しました。

 「高成長というのは、ややもすると、慢心につながりかねない。後に問題の原因になってしまう。でも、そのことに気付かない。それがバブルということです。80年代後半、日本経済は絶好調で、高成長と低インフレを両立していました。国民は自信を持った。自身を持つのは良いのですが、過信はいけない。他の要因も相俟って、バブルになった」。

 慢心がバブルを生んだ、まったくもってその通りです。しかし、当事者たちは、いったいどれだけの反省をしたというのでしょうか? 反省をしなければ、同じ過ちを繰り返しかねないのです。そしていま、選挙で大勝した自民党は、その結果に「慢心」しています。慢心しているからこそ、日銀法を変えるなどという脅しが出てくるのです。しかし、「過信はいけない」のです。この会議が行われたのは衆院選の前のことですが、しかしこの言葉は、選挙に先んじて、自民党を批判するものです。

 最後はアジアの今後についてです。様々な出席者がいるなか、司会進行役の方は、会議の締めとして白川総裁にコメントを求め、それを受けて、次のような発言がなされました。

 「とりわけ私は、ヒューマン・ネットワークの大切さを強調したいです。(中略)アジアには、アジアのメカニズムがあります。アジアは自己満足しなければ、私は今後を楽観的に見ています。アジアの恩恵を最もよく享受するためには、強いヒューマン・ネットワークが必要だと思います」。

 日本のバブルについてその慢心を戒め、またアメリカとヨーロッパが行う大規模な金融緩和を否定し、厳しい現実を受け入れなければならない、と指摘してきたうえで、じゃあ今後に向けて何が必要なのかという時に、白川総裁が強調したのは、ヒューマン・ネットワークでした。つまり、人と人とのつながりこそが重要だと言ったわけです。しかも、毎度おなじみという感じでアメリカのFRBを強く批判した後で、「アジアにはアジアのメカニズムがある」とも堂々と言いました。

 これら一連の白川総裁の発言はいずれも、日本に数多くいる、アメリカべったりの経済学者や金融アナリストたちにとっては、到底受け入れがたいものです。しかし、ヨーロッパやアメリカに対して、「厳しい現実を受け入れること」が必要だと言えるところが素晴らしい。実際、現実が厳しいのは事実なのですから。しかしその厳しい現実を、大規模な金融緩和による株価押し上げなどで押し隠そうとしているのが現状です。

 ちなみに、言うまでもなく「厳しい現実を受け入れること」がどこよりも必要なのは、他ならぬ日本です。なにしろ、あれだけの地震津波の被害と、あれだけの原発事故が起こった以上、当然です。そして、「強いヒューマン・ネットワーク」がどこよりも必要なのも、これまた日本です。

 最後になりますが、実は日銀は、アメリカのような大規模な量的緩和はするな、という反アメリカ、反FRBエコノミストからも、実は批判されています。それは何故かというと、日本は90年代から既にデフレだったので、これを金融緩和で何とかするべく、白川さんが日銀の総裁になるずっと前から、日銀は金融緩和をおこなってきたからです。つまり、日銀は10年以上前からずっと金融緩和をおこなってきたため、白川総裁の代になってからは政策も禁欲的になったものの、しかし10年以上前から延々と膨らんできた日銀のバランスシートは、既にかなりの規模になるからです。ところが、これは白川総裁の責任ではありませんし、この10年以上前から蓄積された日銀のバランスシートの拡大をここ数年だけで何とかしろというのは、そもそも無理というものです。

 中央銀行の行う金融政策に、ベストというものはおそらくありません。そして、重要なのは、やはり今後なのです。中央銀行の独立性というものが、政治の圧力によって覆されていいのか、それを判断するうえでも、現総裁である白川さんのことを知ることは、極めて有用に思います。