日銀白川総裁 V.S自民党 そこにあるアメリカの思惑

 いま、日銀は、自民党から強烈な圧力をかけられています。来年1月の日銀金融政策決定会合において、もし物価上昇率2%の目標を掲げなかった場合、日銀法を改正するという、露骨な脅しです。民主主義上、決してあってはならない、明らかな政治の越権行為です。そして大手メディアも、日銀(中央銀行)の金融緩和によって起こる2%の物価上昇がどのような事態を引き起こすか、まるで報道していません。

 もし経済実態(つまり企業の収益力や労働環境など)がいまのままで、ただ日銀の金融政策だけで物価上昇率2%が達成されたらどうなるかと言うと、その場合、物価は上がるけど、しかし給料は上がらない、という状況になります。つまり、数字のうえで見かけ上はデフレではなくなるものの、しかし景気そのものは悪くなるのです。これを経済用語でスタグフレーションと言います。

 しかも、日銀が超大規模な金融緩和を行うと、それだけ円は大幅に安くなるので、円の価値の下落を受けて、外国から天然ガスなどを買う際の輸入価格が相当に上がります。つまり、日銀が2%の物価上昇が達成されるまで無制限の金融緩和を行うことは、それだけ電力料金の引き上げにつながるのです。

 もしもスタグフレーションにより人々の生活がより一層苦しくなったところに、そこへ円安→燃料輸入価格高騰から生じる電力料金の値上げが起こると、どうなるか? 解りますよね。つまり、この日銀への自民党の圧力は、原発再稼働どころか新原発建設へ向けての布石です。

 ところが、日銀に対し自民党がかける圧力は、物価上昇率だけにとどまらないのです・民主主義の枠をはみ出した越権的な圧力をかける自民党安倍総裁は、日銀に対して、インフレ目標の他に、「雇用にも責任を持ってもらう」とも言っています。

 しかし、この要求も明らかにおかしいのです。本来、中央銀行の役目とは、マネー供給量や金利を管理することを通して、金融システムを安定化させること、これだけです。当たり前です、雇用を作るのは、本来は企業など各事業者の役割です。ところが、世界の中央銀行のなかでも、例外的に雇用にも責任を負っている奇妙奇天烈なところがあります。それは、アメリカです。

 アメリカの中央銀行にあたるFRBは、雇用にも責任を負っています。しかし、このことの実際的な意味は、雇用をつくるという名目のもとに、本来なら出来る筈もないような大規模なマネー供給を行い、そしてそのマネーをヘッジファンドなどの投機筋に届けることです。こうして、「雇用」とか、「失業率」の名目のもとに供給されたマネーが、ヘッジファンドの軍資金となり、これが市場を暴れまわっているのです。

 そして自民党安倍総裁は、それを日銀にもやれと言っているのです。中央銀行がおカネを刷るだけで、それで経済に対し何の副作用もなくただ雇用が創出されるだけなら、こんなカンタンなことはありません。しかし、実際そんなことは無理なのです。

 言うまでもないことですが、2%の物価上昇だけでなく、雇用の改善のためにも金融緩和を行うとなると、それだけ大量のマネー供給を行うことになるわけで、そのぶんだけより一層円安が進みます。つまり、それだけ電力料金が上がるということです。

 一方で、次のような言説にも注意しなければなりません。円安になると輸出企業にとっては楽になるので、輸出が伸びて景気が良くなる、というものです。しかし、これもまた間違いです。

 小泉〜第一次安倍政権時代、アメリカの不動産バブルの影響で、円は対ドルで120〜110円でした。いまからは考えられないような円安です。そして07年、ちょうど第一次安倍政権時代に、日本の輸出総額は80兆円にのぼり、戦後最高を記録します。しかし、それほどまで輸出が絶好調でも、一向に景気は良くなりませんでした。むしろ、格差が広がっただけでした。だから安倍政権下で行われた参院選において、自民党は大敗したのです。

 明らかなのは、自民党は、再稼働・新原発建設が可能になるような状況を、無理やりにでもつくり上げようとしていることです。そして、これにはもちろん裏でアメリカが糸を引いているわけですが、しかし、アメリカには、更にそれとは異なる思惑もあります。
 
 リーマンショック以降、アメリカの中央銀行にあたるFRB連邦準備制度理事会)は、何度となく大規模な金融緩和を行ってきました。これは、世界的には大変に評判が悪いのです。何故なら、過剰に供給されたマネーが、投機筋へと渡り、そうしてFRBの供給するマネーが投機マネーとなって新興国を襲ったり、資源・穀物価格を吊り上げているからです。ブラジルのルセフ大統領などは、このようなマネーを、「通貨の津波」と言い、FRBを徹底批判しました。東日本大震災津波の恐ろしさを思い知った我々としてはどうにも厭なたとえですが、しかしだからこそ、そのような巨大マネーの奔流の恐ろしさを理解できるというものです。

 一方で、先進各国はアメリカほどではないにしても、かなりの金融緩和を行っているので、どこもアメリカを批判できる立場にないのです。そんななか、日銀だけは違いまして、これは以前にもお伝えしたように、日銀の白川総裁というのは、先進国の中央銀行総裁なかでは、最も金融緩和に消極的な人物として広く知られています。

 さて、重要なのはここからです。

 『週刊ダイヤモンド』2011年3月19日号において、次のような注目すべき記事が掲載されました。

 「日本銀行が3月初めに発表した一本の論文が、市場関係者に大きな衝撃を与えている。中東の民主化ドミノを引き起こした商品市況高騰の背景として、米連邦準備制度理事会FRB)が昨年11月から実施した量的金融緩和策(通称QE2)の関連を指摘したからだ」

 「QE2は、2011年6月までに6000億ドル(約49兆円)を市場に供給していくというもの。インフレ台頭で経済経営が厳しくなっている新興国にとって、商品価格高騰の原因は、先進国の金融緩和、とりわけ米国のQE2にあるという批判は根強い。バーナンキFRB議長にとっては絶対に認めるわけにはいかないロジックだが、“仲間”である筈の日銀がハシゴをはずしたことで、多くの市場関係者に衝撃が走ったのだ」。

 つまり、新興諸国だけでなく、“同盟国”である筈の日本の中央銀行(日銀)までもが、資源・食糧価格高騰の原因はアメリカのFRBにあると指摘したことで、FRBは非常に立場が悪くなったということです。

 しかし、日銀がアメリカの政策を批判したのは、何もこのときが最初ではありません。

 2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが破綻して金融危機が発生したわけですが、その翌年の春になると、アメリカでは既に危機は脱したとまことしやかに言うエコノミストが多かったのです。そんななか、2009年の4月23日、日銀白川総裁はニューヨークでの講演において、これは「偽りの夜明け」だと言ったのです。つまり、あれだけのバブルが発生した以上、危機を脱して陽が射してきたように見えても、それは「偽りの夜明け」ではあり、いまだ危機は脱していないということです。

 この白川総裁の発言は、完璧に的中しました。当たり前です。そんな簡単に夜明けが来るわけないのです。しかし懲りないエコノミストたちは、2010年の春にも、そして2011の春にも、アメリカはもはや危機を脱した、アメリカ経済は回復していると言っては、後で恥をかく破目になったのです。

 しかし白川総裁の鋭い発言は、それだけでありません。そのニューヨークでの講演の際には、アメリカ当局が銀行へのストレステストを行って金融システムの安全性を唱えることに終始し、そうして抜本的な対策に背を向けていることも批判したうえで、更に次のような注目すべき発言も行っています。

 「実体経済と金融システムの負の相乗作用が追加的な損失を発生させ、金融機関の資本不足懸念を高める。この負の循環に歯止めをかけようとしても、目標は逃げ水のように動く。現象の把握自体が難しい」

 つまり、対策を講じても、しかし(金融)危機はいまだ収束していないので、その間に事態はドンドン先へ進んでしまう、だから現状を正確に把握するのは極めて難しい、ということです。

 この「金融」というところを「福島第一」と言い換えると、日本の原発事故に対する政府の対応への批判と、そのまま符号します。

 つまり、対策を講じても、しかし(福島第一の)危機はいまだ収束していないので、その間に事態はドンドン先へ進んでしまう、だから(原子炉内部の)現状を正確に把握するのは極めて難しい、ということです。

 いかがでしょう? つまり、福島原発事故の政府の対応に対して、小出裕章さんなどが言っていたこととまったく同じことを、白川総裁は、アメリカ政府の金融危機への対応に対して言っているのです。

 するとどうなるか? FRBにしても、アメリ財務省にしても、こんな煙たい日銀総裁はいないということになってきます。なんだこの白川という男は? さっさと別のやつに変えろ、そう彼らが思ったとしても、何の不思議もありません。

 しかも、白川総裁という方は、FRBバーナンキ議長とは違って、中央銀行が行う金融政策に景気浮揚の効果はない、というのが持論の方です。バーナンキ議長というのは、「景気が悪いならヘリコプターからカネをばらまけばいいんだ」という有名な言葉があるくらい、金融緩和に積極的な人物です。だから実際、まるでヘリコプターからばらまくかの如く、ジャンジャンおカネを刷って市場に供給しています(無論、そのカネはヘッジファンドのところに行って、資源・食糧価格などの吊り上げに使われるわけです)。

 一方の白川総裁は、「中央銀行が行う金融緩和とは、時間を買う政策です」というこれまた有名な言葉があるように、金融緩和に実体経済を改善する効果はなく、ただ時間稼ぎしかできない、というのが持論です。そこから、よその先進国と較べれば非常に禁欲的な緩和策を行ってきたのです。つまり、白川総裁は、あらゆる点でアメリカと真っ向から対立してしまうのです。

 ところで、日本の政治は対米従属があまりにひどく、いつまでアメリカの言いなりになっているんだ!? いい加減にしろと思っている市民は少なくありません。

 そんななか、①アメリカが嫌がるアメリカの現状に対しての真実をアメリカで言う、②アメリカ当局が行う政策も堂々と批判する、③独自の視点に基づきアメリカが行うものとは真逆の政策を日本において実行する、という要人がいたとしたらどうでしょうか? 我々は非常に歓迎するのではないでしょうか? 政治の場において、そのような人物が活躍するということは、残念ながらありませんでした。しかし、白川総裁は、まさにこの①②③のすべてを満たすのです。

 だからでしょうか、白川総裁という方は、日本でよりも海外における方が明らかに有名なのです。一方、日本においては、日銀という存在は知っていても、白川方明という固有名を知っている人は非常に少数です。そして唯一白川総裁の名前が上がる金融業界においては、市場関係者の間で非常に評判が悪いと来ています。何故なら、FRBのような大規模な金融緩和を行わないからです。

 しかし、まさにこのことこそ、白川総裁の価値を物語っているといえます。日本では、対米従属を壊すような人材は、とにかく煙たがれ、排斥さえされるからです。無実の罪をでっち上げられ、起訴され、あろうことか有罪になってしまう方さえいるほどです。そんななか、よくぞ①②③のすべてを兼ね備えた人物が日銀総裁の職に就いているものだ、という気もするのですが、しかし、それこそがまさに日銀の独立性の賜物なのです。

 ところが、ここに来てその日銀の独立性を露骨に脅かす発言を繰り返す人物が、次の総理大臣になることが確実な情勢になっています。もし安倍氏の言うような政策を日銀がとれば、日本は物価が上がるだけで給料は改善せず逆に景気は冷え込むというスタグフレーションに陥るばかりか、電力料金が上がって再稼働・新原発建設への圧力が高まってしまいます。一方で、日銀があくまで持論から金融政策を行った場合、自民党は日銀法を改正すると言うのです。

 ちなみに、日銀法(日本銀行法)の第一章・第三条には「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない」とあります。そうであるならば、露骨な脅しを行う安倍氏は、この時点で日銀法に違反しているのであり、既に総理大臣になる前に法律違反を犯していることになります。

 こんな人物が総理大臣になるのも問題なら、彼が既に法律違反を犯していることを指摘しないメディアも問題です。

 白川総裁がこれまで行ってきた金融政策についての見解は、もちろん人それぞれでしょうが、しかし法律違反の脅しによって中央銀行の独立性が損なわれることは、決してあってはなりません。ましてや、それが原発再稼働・新原発建設への圧力へとつながるものであるなら、尚更です。日銀をバックアップする世論を喚起することは、急務であるように思います。