一遍あるいはニーチェ、推理小説としての音楽(4)前篇

出雲の阿国舞踊家であり、その踊りは非常にセクシュアルなものだったと伝えられている。彼女の踊りは大変な評判を呼び、京都の御所や江戸城にも招かれて公演を行ったほどであるが、ところで、音楽と踊りは不可分であり、音楽のない踊りというのは決してありえない。踊りとは、常に音楽に対して存在するのだ。だから彼女が踊るとき、そこには、必ずその踊りと必然的な関係を成すダンス・ミュージックが確かに存在したといえる。ロマン派バレエの名作『ジゼル』の作者にして詩人であるテオフィル・ゴーチエは、「踊りとは目で見る音楽である」と述べているように、音楽抜きの踊りというのは決してありえないのだ。

ところで、出雲の阿国が出てきたとき、日本は諸外国と交流の真っ只中にあった。それは単にビジネスのうえでのことだけではなく、つまり貨幣や物品の移動だけではなく、人の交わりも極めて盛んだった。そもそも、平安時代の終わりにおいて、既に唐人町と呼ばれるチャイナタウンが日本海沿岸の地域に数多く存在し、更に中世になると、インドネシアから国書を携えた貿易船がたびたび来航するなど、日本の社会は、経済も、テクノロジーも、そしてもちろん文化も、その発展はすべて諸外国の人々との交流を抜きにしてはありえないのだが、室町時代の後半になると、ここにヨーロッパという要素が極めて重要なものとして加わることになる。

とりわけ西日本においてその影響は大きいものがあり、たとえばこの時期