日本の経済報道はいったい何がどうおかしいのか? 『希望の国のエクソダス』で提示された問題を現在に当てはめて考察する

 10月1日、安倍首相は消費税を現行の5%から8%へと引き上げることを正式に発表しました。これについては、各方面から、様々な疑問符が投げかけられています。

 一方、それに先立って、9月27日、9月のCPI(消費者物価指数)が発表され、これが前年同期比で0・8%のプラスだったことを受け、甘利大臣は、デフレから脱却しつつあるという声明を行いました。

 しかし、日本は依然としてデフレ状態です。CPI(消費者物価指数)、及びコアCPIは確かに共に現在においてプラスですが、しかし食料・エネルギー価格を覗いたコアコアCPIは依然としてマイナスです。

 つまり、全体としてマイナスなんだけど、為替が円安に振れていることによって、食料・エネルギー価格だけが上がっている状態です。ただ、この食料・エネルギー部門というのは、経済活動において何よりも必要不可欠な出費となるものです。市民生活や企業活動への影響は非常に大きいです。

 という訳で、物価に関して、まず、人々の生活実感はどうなのか、ということになるわけですが、日銀は10月2日、第55回「生活意識に関するアンケート調査」というものの結果を公表しました。以下は、これに関するロイターの記事です。

 「景況感については、現在の景気が1年前より「良くなった」と答えた人の割合から、「悪くなった」と答えた人の割合を差し引いた景況感指数(DI)がマイナス8.3となり、前回調査からマイナス幅が拡大」。

 要するに、人々の生活実感のDIは、マイナス8・3と非常に悪いのです。一方、企業の側から見た状況ですが、この前日に発表された日銀短観において、中小企業製造業のDIもマイナス9と、こちらも大きく沈んだままです。それに対し、大企業製造業のDIはプラス12と非常に良く、つまり大企業だけ状況が良くなっているというのが現状です。

 ところで、この消費税増税は、そもそも「税と社会保障の一体改革」のために、野田政権時代、3党合意されたものです。では、社会保障というのは何なのか? 社会保障とは、理念的には、富めるものから貧しい者への所得分配です。この理念こそ、社会保障の基本です。そうである以上、社会保障の財源を確保するために増税をするというなら、その対象は、何よりも富裕層にならなければなりません。富裕層増税、具体的には、所得税最高税率を引き上げることです。

 最近、先進各国においては、所得税最高税率を引き上げようという動きが活発化しています。フランスでは、所得税最高税率引き上げを公約としたオランド大統領が就任し、一旦は座礁に乗り上げたものの、しかし何とかして実行に移そうとしてきました。また、ドイツでも、連立政権樹立の協議において、最大野党の社会民主党は、所得税最高税率引き上げを連立政権加入への条件の一つにしています。

 あのアメリカでさえ、オバマ政権は、社会保障費を確保するために、富裕層増税を唱えているのです。

 つまり、社会保障費の捻出、あるいは財政再建のために、所得税最高税率を引き上げるという政策課題に取り組むことは、先進国においてコンセンサスとなっているのです。そうである以上、日本も本来はこのような議論を行うべきなのです。ところが、日本の場合、メディアはずっと以前から、増税と言えばひたすら消費税の増税ばかりを唱えてきたのです。

 ちなみに、ヨーロッパとは違い、アメリカの場合、事態は混迷しています。言うまでもなく、共和党の強硬な反発にあって実現が難しい状況です。このアメリカの状況を国際社会はどう論じているかというと、オバマは正論を唱えているのに、共和党がこれを邪魔している、ということになるのですが、しかしそうであるならば、日本において、富裕層増税などハナから頭になく、社会保障のために消費税の増税を主張する大手メディアは、悉く共和党的と言わざるを得ません。日本の大手メディアは、何年も前からずっと、税に関しては消費税増税を推進してきたわけで、このようにメディアが共和党的な論調一色で塗りつぶされるというのは、どう考えても狂っています。

 ところで、政府は消費税を増税する、一方で日銀は異次元の金融緩和を行っているわけですが、消費増税にしろ、大胆な金融緩和にしろ、ともにIMFが日本に対して以前からその実行を強く要求してきたことです。また、IMFは、安倍政権が行った、機動的な財政政策という名のバラマキについても、成長を促すものとして高く評価しています。このような観点から見た場合、現在の日本は、政府・日銀ともに、IMFの言いつけを忠実に実行しているだけ、と捉えることは十分可能です。

 一方で、消費税の増税、大胆な金融緩和に対し、強く反対していた、鳩山・小沢氏、などの民主党政治家、更には白川方明日銀総裁が、揃いも揃ってメディアから強烈なバッシングを受け、挙句潰された、ということは既に誰もが知る事実です。

 現在、メディアの報道を見る限りでは、日本は確実にデフレから脱却しつつあり、景気も回復基調に入っているそうなのですが、しかしこれは本当でしょうか? そもそも、日銀の発表するDIにしても、メディアは、大企業のDIだけをやたらと取り上げて、中小企業のDIは隅っこです。しかし、景気というなら、生活実感に関するアンケートの方こそ、何よりも景気の指標といえるのではないでしょうか? そして、この数字は、いまだ非常に悪いのです。

 ところで、村上龍さんの『希望の国エクソダス』は、緻密な金融・経済の話題に触れながら、学校に行かなくなった中学生たちと、マーケットが複雑に交錯する近未来小説ですが、そのなかで、次のようなことが言われます。

 「大ざっぱに言って、投資家は不自然に安い株を買って、投機家は不自然に高い通貨を売るんだけど、財政と実体経済がどの程度悪いのか、政府が嘘を言い続けている間に、誰もわからなくなっているところがあるわけよ」。

 「金融時ジャーナリストは早くから病状を指摘してきたんだけど、そういう記事が載るのも専門誌だけで、一般紙はずっと無視してきたし、メディアはいつの頃からか、本当のところ日本の金融や経済がどうなっているのか、自然に、わからないふりをするようになったんだよね。いつの間にか、正確な情報ってやつそのものが曖昧になっちゃったのね。特に海外の情報は紹介されることがなくて……」。

 「メディアが敢えて報道しようとしないのか、国民が知るのをいやがっているのか、わたしにはわからないんだけど、なんか、メディアは確かに真実が見えないようにしている気がするし、多くの国民にとって真実は見たくないものになっているような気がするのよ」。

 これはとてもサイエンス・フィクションとは言えないのであって、まさに現在の日本を的確に言い表しているといっていいでしょう。

 『希望の国エクソダス』にあるのは、徹底的なメディアへの不信です。全編を通して、メディア批判が貫かれています。

 一方、村上龍さんは、『希望の国エクソダス』の連載と並行して書かれたエッセイ、『奇跡的なカタルシス フィジカル・インテンシティⅡ』においても、しばしば日本のメディアの経済報道に対する批判を述べています。

 「マスコミ全体が旧来の文脈に染まっていて、すでに起きている新しい現象を捉えることができない、ということだ。たとえば、景気の回復と経済の回復は別ものなのに、殆どの場合、混同して語られる」。

 「彼らが景気の回復と日本経済の回復を混同するのはきっと無知が原因というわけではないだろう。敢えて混同しているのではないかと思う。そこにはある種のタブーが潜んでいるようだ」。

 「景気」と「経済」は別であり、したがって「景気の回復」と「経済の回復」もまた別である、これは当たり前のことなのですが、しかし日本のメディアは、これをわざと混同して使っている、しかもそこには、「ある種のタブーが潜んでいる」と村上さんは指摘しているのです。これは、非常に重要な論点です。

 この問題については、具体例を見て検証してみることにしましょう。

 アメリカのFRBは、日本の金融政策決定会合にあたるFOMC(連邦公開市場委員会)というのを定期的に開催し、そこで金融政策のかじ取りを行うのですが、この9月に行われたFOMCは、近年まれに見るほど世界的な注目を集めました。リーマンショック以降、FRBは3度に渡り大規模な量的緩和(通称、QE)を行って経済の下支えをしてきたわけですが、今年6月バーナンキ議長は、年内にもQEの縮小を開始し、来年にはすべての資産買い入れを終える、と発言したのです。バーナンキ議長は来年1月に任期が切れて議長職を退任する以上、次期議長のことを考えれば、自らの退任直前にQEを縮小することは多分ない筈なので、だからQE縮小開始の時期はおそらく9月であろう、というのが市場におけるコンセンサスとなっていました。そのため、この9月のFOMCは、全世界的な注目を集めたのです。

 しかし、結果として、9月のQE縮小は見送られました。いまだ雇用が十分に回復していないこと、住宅市場も心配であること、また議会における財政協議の行方も不透明であること、などがその理由です。つまり、バーナンキ議長は、経済的な観点から、QEの縮小を見送ったのです。このことは、バーナンキ議長の会見、及びFRBが公式ホームページで発表した声明文から、誰の目にも明らかです。ところが、このことに関する日本のメディアの報道は、非常におかしいものでした。それは、FRBの声明文をどのような日本語に訳したか、ということに表れています。

 日経新聞電子版は、毎回FRBの声明文の全文訳を掲載しています。

 たとえば、「economic recovery」といえば、それは「経済の回復」に他なりません。ところが、日経電子版は、これを「景気回復」と訳したのです。

 また、「Economic growth will…」とあれば、これは「経済成長の見通し」について語ったものですが、しかし日経電子版は、これを「景気の見通し」と訳しました。

 先程引用した村上龍さんの問題提起からすると、このような訳は、非常におかしいと言わざるを得ません。

 ちなみに、日本の消費税増税については、9月に発表された4−6月期のGDP改定値が、消費税増税にゴーサインを出すかどうかの重要な指標の一つとされていました。そして、発表された改定値は、プラス3・8%というものであり、ここで高い数字が出たことで、消費税増税に一歩前進となったのですが、しかし、これはあくまでも「Economic growth」つまり「経済成長」のことであり、「景気」の良し悪しについてのことではありません。ところが、メディアは、このGDP改定値をもって、「景気回復」していると評したのです。

 「景気」というならば、10月2日に日銀が発表した生活調査アンケートのDIこそがまさにその指標となる筈です。ところが、政府は、9月に発表されるGDPの改定値を最大の指標とし、そして最終的には10月1日朝に日銀が発表する短観を受けて、10月1日の夕方に総理が決断を下す、というスケジュールが既に決定していました。10月2日に日銀が発表予定であった生活実感に関する調査は、所費税増税に際して、最初から無視されるというスケジュールだったのです。

 こうして、生活者が感じる「景気」は消費税増税の判断材料とはされず、最大の材料は、「Economic growth」つまり「経済成長」であったのです。そして、各メディアは、この数字が非常に良かったことをもって、日本の景気は順調に回復している、今こそ消費税の増税をすべき、と報じたのです。

 これは、明らかにおかしいです。

 同じことを、今度はアメリカに当てはめてみましょう。バーナンキ議長は、景気が回復しているとか、あるいは景気はいまだ弱い、などとは、一言もいっていません。このような姿勢は、以前からずっとそうです。ところが、日本のメディアは、「アメリカの景気回復への期待から……」などという言葉を非常によく使います。しかし、アメリカの景気は回復していません。いまだに景気は弱いから、アメリカは小売売上の数字もあまり良くないのです。一方で、バブルで崩壊した住宅市場は、FRB量的緩和によって、十分とは言えないものの、ある程度まで回復してきています。そしてそれが、株価の上昇にも反映しているのですが、そうである以上、回復してきたのはあくまでも「経済」であって、「景気」ではありません。

 このような「景気」と「経済」を意図的に混同することは、中国についても完全に当てはまります。

 李克強は、3月の首相就任以来、以前から問題視されていた過剰な不動産投資、及びそれと関連した建築資材・素材産業の過剰生産問題をなんとかすべく、その大元であるシャドーバンキング(影の銀行)を通した融資平台へのマネー流通にざっくりと切り込みました。ちなみに、シャドーバンキングそのものは何も中国に特有のことではなく、資金繰りに悩む中小企業などにおいて世界的に行われていることで、それは中国でも同様であり、シャドーバンキングを通した資金は、不動産の融資平台へ行くだけでなく、それ以外の中小企業の重要な資金調達手段でもありました。

 なので、このシャドーバンキングに切り込むことは、不動産以外の様々な業種での資金繰りに支障をきたすことになり、自動的に経済成長率を押し下げます。しかし、李克強は、目先の経済成長を犠牲にしてでも、「経済の改革」を優先したのです。

 これが4−6月期に起こったことであり、その余波は7月に入っても暫くは残っていたのですが、しかし李克強は、7月の半ば以降、中小企業に対する付加価値税・営業税の免除、鉄道インフラ事業への資金の増額、下水道その他の都市インフラ整備、太陽光発電の目標値の上昇修正、そして鉄道事業を民間にも全面開放するなど、数々の施策を打ってきました。そして、これらの施策を通して、8月になると、中国の様々な経済指標は、急激に改善してきたのです。

 言うまでもなく、これらの施策は、一時的な景気刺激を狙ったものではありません。中小企業支援、鉄道インフラや都市インフラの整備拡充、太陽光発電の育成などは、長期的に見て絶対に必要な政策です。李克強は、順番としてまず最初に金融部門の膿を出すことに着手し、その後、社会が発展するために必要な政策を打ったに過ぎません。

 李克強は、9月に大連で開かれた世界経済フォーラム主催の夏季ダボス会議で演説した際、次のような発言をしました。

 「经济下行时,用短期刺激政策把经济筯速推高,(中略)认为这无助于解决深层次问题」。

 これは「経済が下向きにあるとき、短期的に刺激策を用いることは経済成長の速度を押し上げることになるものの、しかし幾重にも積み重なった問題を解決する助けにはならないと認めざるを得ない」いうことで、つまり、(景気)刺激策は一時凌ぎに過ぎず、なんら問題を解決しない、だから自分はそのような刺激策は行わないと言っているわけです。

 ところが、日本のメディアにかかると、このような中国経済の様相が、まったく変わるのです。一言でいうと、すべて「景気」の話になってしまうのです。

 中国は4−6月期、李克強のシャドーバンキング潰しの政策により、景気が減速した、しかしその後、李克強は方針を変え、景気を下支えすべく、矢継ぎ早に景気刺激策を打ち、それにより中国の景気減速は底を打った……、日本のメディアは、中国について、このような報道を行ったのです。

 これまで何度も申し上げ来たように、過去半年間、中国の景気は減速などしていません。それは、抑制された物価上昇、12%台後半から13%台前半の伸びで安定的に推移する小売売上高、などから明らかです。減速したのは「経済成長率」であって、「景気」は適度に安定して底堅かったのです。

 ちなみに、この4−6月期、製造業のPMI(購買担当者指数)は確かに落ち込みました。しかし、それはあくまでもPMIであって、景気ではありません。PMIは、PMIとしか言いようがないものです。実際、李克強も、PMIを指してこれを景気とは言っておりません。

 ところで、中国は世界最大の貿易大国であり、また鉄鋼その他様々な面で、世界最大の需要国です。なので、日本の海運、鉄鋼、機械、などの株価は、中国の動向に大きく左右されます。そしてまた、中国にとって最大の輸出先はEUである以上、EUの状況も重要なのですが、2011年の夏以降、深刻な債務危機で経済が低迷したユーロ圏は、この夏、7四半期ぶりにリセッションから脱却しました。

 このような中国とユーロ圏経済の改善を受けて、8月と9月、日本の海運、鉄鋼、機械の株価はうなぎ上りで急上昇しました。しかし、これらの株価の上昇も、日本のメディアにおいては、東京オリンピック決定に伴うゼネコン株の活況によって完全にかき消された状況です。

 なお、リセッションというのは、GDPの成長率がマイナスに沈むことを指します。そうである以上、このリセッションというのは「Economic growth」に関わることであるのに、しかし日本のメディアは、「リセッション」を「景気後退」と訳すのです。

 つまり、日本のメディアは、何でもかんでも「景気」の問題にしてしまうのです。これでは、「経済」が具体的にどうなっているのか、解るわけがありません。

 さて、とにもかくにも、現在の日本は、デフレからの脱却が最大の命題ということになっています。今年1月、日銀は金融政策決定会合の翌日に発表した物価に関する文書のなかで、日本のデフレは、様々な業種で価格競争が進んで、それにより物価が下落していったことが大きい、という見解を示しました。まったくその通りだと思います。ちなみに、このような価格競争、別の言葉でいえば安売り競争をすれば、企業は当然利益が減るわけですが、しかしそのぶんは、人件費を圧縮することで対応してきました。つまり、賃金を減らすことで対応したのです。

 物価だけが上がっても、給料が上がらなければ生活は苦しくなるだけ、というのは近頃盛んに言われています。つまり、いかに賃上げを実現するか、そこがデフレ脱却の最大の要であるわけです。

 ところで、言うまでもないことですが、賃上げというのは、企業と労働者の間での労使交渉によってなされるのが、民主主義というものです。賃上げを要求するうえで、労働者がストという手段に訴えるのは、極めて当たり前であり、世界中いたるところでストが起きています。それも、かなり大規模なストが起きる事さえ珍しくありません。

 最近では、韓国の現代自動車において、大規模なストが起こりました。8月に始まったストは、9月になっても収まることなく続き、そして先日、現代自動車の労働者は、経営人に対して、見事賃上げの要求をのませることに成功しました。

 繰り返しますが、ストというのは、世界中いたるところで起きています。資本主義社会において、ストというのは、起こって当たり前なのです。最も極端なのがアメリカです。アメリカでは、大リーグやNBAの選手たちがストを起こして、それによりシーズンの開幕が遅れる、ということさえあるほどです。何億円もの給料をもらっているスター選手たちがストを決行するというのはさすがに理解に苦しむわけですが、とはいえ、それぐらい、賃上げ要求のストというのは起きて当たり前のことです。

 ところが、日本では、労働者にとって当然の権利の行使であるストが、まったく起きないのです。

 たとえば、かつて世界のイノベーションをリードしたソニーですが、ここ数年は、本業の電機機器のビジネスがまったく振るわず、深刻な業績不振に陥りました。その為、ソニーは大規模なリストラや資産の売却などに奔走し、それでいて、役員の報酬はむしろ増えるという、おかしな事態になりました。当然ながら、社員の間では、不満が溜まります。2012年1月、『週刊ダイヤモンド』は、「さよなら伝説のソニー なぜアップルになれなかったのか」というタイトルで特集を組み、ソニーの経営がいかにデタラメであり、社員の間でどれほど強い不満が溜まっているかを示したのですが、普通なら、経営者がこれだけデタラメをやった場合、相当に大規模なストが起きるものです。おとなしく経営者の言いなりになる必要など、どこにもないのです。なので、世界的な常識で考えるなら、ソニーの社員は大規模なストで戦う、というのが当たり前というものです。

 ところが、ソニーにおいて、まったくストは起きず、社員は経営者の言いなりで、何度となく断行されたリストラにもただ素直に従うだけだったのです。

 また、今年話題になったところでは、4月、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井社長は、従業員の給料について、「世界同一賃金」を導入する、それにより日本において年収が100万円になることもある、という発言をしました。欧米など日本以外の国で経営者がこんなことを言おうものなら、とてつもなく大規模なストが起こります。繰り返しますが、経営者の言うがままに、諾々と従う必要などないのです。

 ところが、ユニクロの従業員もまた、ストを起こすことをしなかったのです。

 これは、世界的には、極めて理解しがたいものです。ソニーユニクロは、あくまでも一例に過ぎません。日本では、ストが起こって当たり前という経営判断をされても、社員・従業員は、経営者と戦うことをせず、ただ言われるがまま従っているのです。

 このことは、デモの問題とも結びつきます。7月の参院選以降、福島第一原発では、問題が深刻化し、事態は悪化する一方です。東電は、適切な対応などまったく行っていないのです。一方で、東電には莫大な額の税金が投入されています。そもそも、日本の電気料金は、総括原価方式によって、他の先進諸国より3倍ほど高い、というのは既に幾人もの論者が指摘してきたところです。原発も、この総括原価方式があってこそ成り立つものです。

 そうである以上、この電力会社の問題に関しても、当然大規模なデモが起こってしかるべきです。総括原価方式が、市民や中小企業にとって余分なコストとなっているのは明らかなのです。今年6月、ブラジルでは、バスなど公共料金の値下げを訴えて、100万人のデモが起きました。また、債務危機があったユーロ圏では、大量の税金が銀行に投入される一方で、市民に対しては社会保障給付を削減するなどという措置に対し、このような市民に負担を負わせて銀行を優遇する政治に抗議するべく、ユーロ圏全体で、長期に渡って大規模なデモが展開されました。そうである以上、日本でも、電気料金を下げろ! 割高な原発なんてやめろ! 東電に税金を投入するならそのカネを社会保障にまわせ! と大規模なデモが起きてもなんらおかしくありません。しかし、官邸前抗議デモにしても、東電本店前デモにしても、そこで抗議する人数は、ごく少数です。殆どの市民は、東電に対しても、政府の電力政策に対しても、なんら抗議することなく、ただ黙って従っているのみなのです。

 こうして、日本においては、賃上げ要求のストも、政府に対するデモも、殆ど起きないのです。そうして市民は、ただ文句を言っているだけなのです。

 このような市民は、物価だけ上がって給料が上がらないのは困ると言い、そしてこのような「民意」を受けて、安倍首相は政権発足以降、経団連をはじめとした各業界に対し、盛んに「賃上げのお願い」をしています。しかし、これは政府のやることではありません。

 政府がやるべきは、具体的な政策を打つことであり、企業に賃上げをお願いすることではないのです。そしてまた、企業の方でも、国会で可決された法案については、それに基づいてビジネスを改める必要がありますが、しかし首相からの「お願い」など、聞く必要はありません。

 企業が対応すべきは、あくまでも労働者からの賃上げ要求です。政府からの賃上げのお願いなど、聞くふりだけしておいて、実際には無視してもなんら構わないのです。

 賃上げとは、労働者が、企業を相手に、自ら戦って勝ち取るべきものです。それが、世界の常識というものです。

 ところが、日本では、人々は政府に対して、給料が上がってくれないと困ると文句を言い、そして有権者の意向を受けた首相が、企業に対し賃上げの「お願い」をしているのです。企業に賃上げをお願いする政府など、日本以外にはたしてあるのでしょうか? 

 これは、まったく馬鹿げているとしか言いようがありません。

 繰り返しますが、賃上げは、労働者が企業を相手に戦って勝ち取るものです。また、政府は、雇用を増やすため、新しい産業が育つ環境を整備すべく、そのための適切な法案を作るものです。これが、デフレ脱却に向けての民主主義的なプロセスというものです。

 にも拘らず、すべてが「景気」の問題となり、そして労働者は自ら戦うことなく、政府が労働者の代わりに企業に対し「賃上げのお願い」をしているのが日本です。

 こんなことでは、デフレからの脱却など百年かかっても無理です。為替や原材料価格の変動により、物価は上昇しても給料は減る一方で、デフレよりもタチの悪いスタグフレーションに陥るだけです。

 ちなみに、経済状況を良くするために政府が出来ることは、法案を作ることだけではありません。成長著しい市場を持つ外国に対し、友好と交流を促進すべく、外交で成果を上げるというのも、政府の重要な役割です。

 そして、外交面に関して、「経済優先=中国優先」というのが、いまや世界的なスタンダードです。とりわけ、中国との経済外交で最も手腕を発揮したのが、ドイツのメルケルです。9月に行われた総選挙に勝利し、異例の3期目を確実にしたメルケルですが、このような長期政権は、メルケルの対中外交が実に巧みであり、それによりドイツと中国の経済的な相互依存が非常に深まって、このことをドイツの経済界が高く評価したことが大きな要因の一つとなっています。

 勿論、高い技術力を持つドイツ企業が中国への直接投資を活発化させることは、中国にとっても恩恵となるもので、今年5月、ドイツを訪れた李克強は、記者会見において、中国とドイツはドリームチームになれると発言しました。

 ちなみに、先程、日本のメディアの中国報道を批判しましたが、実はあのレベルの報道はまだ良い方です。日本の大手メディアで、中国経済についてそれなりに的確な記事を載せるのは日経新聞ぐらいのものです。たとえば、中国において革命的とも言えた鉄道事業の改革について、朝日新聞毎日新聞などは、まったく報道しませんでした。それどころか、中国経済が破綻するなどと、中国に対するネガティヴ・キャンペーンに熱心な状況です。

 現在、日本の大手メディアにおいては、中国に関する真実を報道することは殆どタブーになっているとさえ言えるほどです。日本のメディアは、異様なまでに中国を敵視し、中国を利用してナショナリズムを煽る一方です。

 そして、タブーといえば、村上龍さんも、日本のメディアが真実を報道しないことには、ある種のタブーがあると指摘していました。その理由は何なのか? それはともかく、今一度『希望の国エクソダス』の言葉を引用しましょう。

 「メディアはいつの頃からか、本当のところ日本の金融や経済がどうなっているのか、自然に、わからないふりをするようになったんだよね。いつの間にか、正確な情報ってやつそのものが曖昧になっちゃったのね。特に海外の情報は紹介されることがなくて……」。

 「メディアが敢えて報道しようとしないのか、国民が知るのをいやがっているのか、わたしにはわからないんだけど、なんか、メディアは確かに真実が見えないようにしている気がするし、多くの国民にとって真実は見たくないものになっているような気がするのよ」。

 繰り返しますが、これはとてもサイエンス・フィクションとは言えないのであって、まさに現在の日本を的確に言い表しているといっていいでしょう。

 ところで、2011年以降、世界経済と金融市場において起こり、そして今も起こりつつある巨大な変化は、既に『希望の国エクソダス』という小説の内容を超えています。しかし、その一方で、日本のメディアと日本社会は、そのような変化に対し徹底的に目を閉ざしています。危機感を失い、対応力を磨かない日本。現実に起こり、今も起こっている変化と、それを知ろうとしない日本とのギャップは、この『希望の国エクソダス』以上に、極めてSF的だと言えるでしょう。

 2011年の夏にスペイン国債が大量に売られたような、あるいは2013年の5月から6月にかけてアメリカ国債が際限なく下落していったような、そのようなことが仮に日本国債において起こったとしても、日本がまともに対応できるとはとても思えません。

 一方で、福島の危機はまるで収束していないのです。

 現実は、既にこの小説を軽く超えて進行しています。『希望の国エクソダス』以上に、今の日本の方が、はるかにSF的です。